茶所では茶摘みの季節。 新茶の季節だ。 娘のピアノ伴奏で初めて『茶摘み』の歌を歌ってみた。 文部省唱歌だ。 1912年(明治45年』の作品だという。 もっとも茶所の京都『宇治田原』で歌われていたり 奈良にも、大津にも同様な『歌詞』が残っているという。 静岡にはその痕跡がないようだ。 ところで『茜襷』と歌われているが単に赤い色の『襷』かと思ったが 『茜』には『殺菌作用』があり、素手で『茶摘み』の際指に怪我をした場合の『殺菌効果』を願ったものだという。 茶摘み
コロナの新規感染者数は『高止まり』あるいは『下げ止まり』。 減少傾向にはあるがまだ『終息』には程遠い。 毎日『東京・神奈川県・静岡県・広島県・大和市』の数字には素早く『反応』する。 神奈川県は私の在住県、大和市はわが町。 静岡県には孫が住んでいる。 広島県はカミさんの実家のあるところ。できれば墓参りにも行きたい所だ。 そんな中いつもながら誠に意味のない勝手な数字の『いたずら』や『遊び』に関心と興味が行ってしまう。悪い癖だ。 例えば昨日の東京の数字は『4936』人
昨日夏日の中、仕事があって東京港区芝公園前まで行った。 自宅を少し早めに出て仕事先のビルの隣にある『メルパルクホール』のレストランで昼食を済ませてのちに会場入りと考えていた。 JR浜松町駅から歩きまっすぐ急ぎ足でメルパルクを目指した。 汗ばむほどであった。 されどレストランの玄関ドアには無情にも『クローズ』の表示がかかっていた。そういえば出がけにカミさんが『休みかも』と行っていたが、まさか『土曜日』休館とは思いもよらなかった。 さてどうするか? ここは思案のしどこ
テレビを見ていたら若い女性が 『昨日は冬のコート、今日は夏服!』と笑っていた。 昨日はおとといのこと、今日は昨日のことだ。 そして今日もまた『夏日予想』とか。 久しぶりの『仕事』で『スーツにネクタイそして革靴』と思っているがさてさてどうなりますか。スーツは夏用だが夕方寒くならないかと気にかかる。 最近では楽なスニーカーばかり履いていたので、仕事現場に行くまで街中を少し歩くので足が心配だ。 どうもいつもと違う日常とは戸惑うことも多い。 コロナのせいもあって仕事もな
先日のワクチン3回目接種で発熱した沼津の孫もその後は元気に仕事をしているようで安心だ。 昨日は休みのようだったので夜夕食は何にしたのか尋ねてみた。 余計なことだが仕方がない。気になるのだ。 すると『あさりの炊き込みご飯』にしたと返事が来た『美味しかった』とも。 先日カミさんが手渡ししたものだ。 沼津から大和に帰るたびカミさんはなにがしかを渡している。 また母親の娘も常に『お米』とか『ペットボトルのお茶や水』を送っているらしい。それらは買えば買えるのだろうが『不憫』
この楽曲佐々江華が作曲したのが1922年(大正11年)とのこと。 様々経緯があるようだが作詞は時雨音羽。 最初にヒットさせたのは二村栄一という歌手。 昭和3年というから1928年のことだ。 昭和の名曲であるが、大ヒットさせたのは昭和36年にアレンジも変えて歌ったフランク永井による歌唱だった。その年第3回『レコード大賞』を受賞している。 私はどちらかといえば『高音』なのでフランク永井さんの歌はあまり歌ったことはないのだが、この度なぜか娘のピアノ伴奏で『君恋し』を歌っ
四月も後半なのにまだ寒い。 思わず『寒い朝』という歌を思い出した。 あれは『北風』の『寒さ』であったが、今朝はかすかに東風、それでも寒い。 最近では一年中手が冷えている。 血流が指先まで届かないのだ。『血の巡り』が悪くなったのかもしれない。 冬の間は『ホカロン』を使っていたが四月では抵抗感がある。 高齢者は風邪など引かなければと思うが花粉が収まり『くしゃみ』はしなくなった。 昨夜遅くに娘から『認知症予防』には『水を飲め』とメールが来たが、水を飲みすぎると『トイレ
今週末には『朗読講師養成者』のための『講座』の講師役を一つ引き受けてしまった。 3年越しだ。 私の与えられたテーマは『魅力的表現』。 どんな講座になるかやってみないとわからない。 人生の如しだ。 受講者は二十人前後ということだが、どんな方々なのかは知らない。 会場は東京港区芝公園前にあるビルで一度下見してきた。 会議室が『教室』のようだが、下見では中まではみられなかった。 『公演の司会』や『講演』経験は何度かあるが『講師役』というのは久しぶりのことだ。 定年
何事かあると結局力になるのは『家族の力』だ。 昨日の娘の31回目の『ピアノ教室発表会』もおかげさまで無事終了したが、発表の子供の応援に来ていたのは『父母や姉妹』それに中には『祖父母』。つまり家族や一族だ。 主催の娘の方も旦那と息子それに私ら爺婆の一家だけ。 どんな小さな催しでも一人ではできない。 スタッフを雇うほどではない。雇えば費用もかかる。 結局『家内興行』となりつまり『家族の力』だ。 そしてそれはいいことだ。 滅多に家族が力を合わせて事に当たることもない。
今日は娘の音楽教室の31回目のピアノ発表会。 私はプログラム紹介の役割だ。 それにしても最近のお子さんの名前にはびっくりするし確認せねば読めない。昔ながらの『太郎、次郎』『花子、和子』はもとよりまず男の子で『郎』がつく名前なし。女の子で『子』のつく名前一人もなし。 例えばといってパソコンに撃ち出そうとしても最初の一字からして読めない。『音読み』すれば『サナ、スズカ、ミハナ、マミ、リサ、ツグミ』などだが幼稚園や、学校の先生も出席をとるたびさぞや大変だと思う。 もっとも最
春霞の季節だ。 『春霞と思えど我が瞳ゆえ』なんてこともありそうだ。 昨年の今頃は『腎臓』かと思えば『胆嚢』が『炎上』果ては手術騒ぎ。 秋口からは『白内障』の診断と手術ですっかり気持ちが『炎上』。 そして今は春。 筋力もつき。結構歩ける。有難い。 仕事もぼつぼつ『始動』し始めた。オファーがあれば有難いがなくても構わぬ。我ら『年金族』だ。 明日は娘のピアノ教室発表会の手伝い。 昨年は『微熱』で一人家で寝込んでいた。 『一年』は短いようで思いの外あれこれもある歳月
先日久しぶりにデパートの入り口の椅子に腰掛けてカミさんを待った。 デパ地下で買い物というカミさんに付き合っても良かったのだが次の待ち合わせ時間が気になり私だけ待った。 わずか15分ぐらいだったがその間に誰かと待ち合わせと思われる奥さん連れがいた。 やがて『御免んなさい』という声。どうやら待ち合わせ時間に遅れたらしい。 そのうち『何も言わずに』片手を上げて悪びれもせず悠然と訪れる人、小走りに汗拭き拭き登場する人など短い時間に4組ほど。 中には小声で『言い訳めいたこと』
近所の公園の桜も我が家の鉢植えの桜の花は散ってもはや葉桜。 しかし今年は随分と長く桜の花を見ることができたようです。 気温差の激しい春だったからかもしれない。 ある時は真冬、またある時は真夏のような温暖差。 昨日の暑さに比べ今日は一転寒い朝。 高齢者には体調管理が難しい。しかし花粉の飛翔は収まったのかしら? 誰かの言葉に『桜が咲いて春でした』という表現があったが、 普通は『桜』が散って『葉桜』となれば季節は『初夏』のはずだが今年ばかりは『桜が散って冬でした』!と
この頃気づいたことがある。いつの頃からか、 朝刊に織り込まれてくる大量の『折込チラシ』に目を通すことになったことだ。 我が家は2紙購読しているが以前は気にすることもなく『折込チラシ』は即カミさんに回していた。 しかし気がついて見たら『本紙』に目を通す前にまずは一応チラシをチェックするようになった。 特段『安売り商品』を気にしているわけでもないし第一『安い高い』もわからないのだが。 かといってそれで『世の中』の変化が類推できるほどの知識があるわけでもない。 時間はた
山川清作詞 山本雅之作曲 『月見草の花』 唱歌というか童謡というか昭和24年の作品。 私には『歌謡曲』に聞こえる。ずっと以前から口ずさんではいたが昨日娘のピアノ伴奏で歌った。 歌って見てやはり『メロディー』運びが『歌謡曲』だと思った。 この曲かつて長い間続いていたNHKの子供ののど自慢番組『声比べ腕くらべ子供音楽会』では歌の上手い中学生の『定番曲』であった。出場すると必ず合格の鐘を鳴らした。 相手が子供なので『鐘の数』は一つは無し。 2つ、3つそして合格の鐘連
ざま昼席で左橋師匠には合わず伝言だけ頼んだのだが その左橋師匠からメールが届いた。 悪筆のハガキを書き終えたところなのでびっくりした。 『携帯番号』は交換しあっていたようだ。確認すればよかったのだが当方失念していた。 楽屋に尋ねればよかったが本番終えたばかりの楽屋は独特な雰囲気がある。 私としては遠慮したのだが左橋師匠はメールのなかで『コロナに気を使ったのでしょうか?』と慮ってくれていた。 左橋師匠は奥様と二人の娘さんとで『左橋リベンジャーズ』を結成しているが師匠