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今、なぜ星新一さん「ボッコちゃん」を読み返したいという衝動に駆られたのか【読書の記録】


ここ1年くらいのこと。

星新一さんの「ボッコちゃん」に出てくる、「おーい でてこーい」という話を読み返したくて、たまらなくなった。


実家にあるガラス戸がついた木製の本棚の中には、古い本がたくさんあった。

その中に何冊か紛れ込むようにあったのが星新一さんの短編集だった。

.......

10代の頃、暇なときは、いつもゴロゴロしながら本を読んで過ごしていた。

体が元気でエネルギーが余っているときは長編を読んだし、気持ちが落ち着かなかったり疲れているときは短編を読んだ。

そして、やる気がおきない時には、なぜだか星新一さんのショートショートに手が伸びた。


星新一さんの短編はすごく短いのに、必ず衝撃のオチがあって期待をうらぎられることがない。一つの話から味わえる満足感が大きいのだ。

そんな中で、「ボッコちゃん」の「おーい でてこーい」を読んだのは高校生くらいの時だろうか。その内容は、とにかく強烈だった。

ラストに衝撃を受けて、心底「怖い……」と思った。

例えば、自分が何か犯罪などをおかして、ひた隠しにしていたのに、全部見ているぞ!っと見知らぬ誰かから言われたような背筋の凍る感じの怖さと言ったらいいか。

怖さに加えて、未来を予言するかのようなこの話を読んだ時、ものすごい話を読んでしまったな……という印象が強く強く私の中で残った。


それから、多分一度も読み返していない気がするのだけど、ずっとあの話はすごかった……というのが残っていて、最近になり、また読み返したくなったのだ。

先日、ようやく「ボッコちゃん」を手に入れて、最初から読み返してみた。

「おーい でてこーい」は、痛烈な社会風刺的な物語だった。

50年以上前に星新一さんがえがいた話だけど、原発そしてプラスチック問題にしろ、現実がまさに話の通りになっているのを確認した。

あの話を読んで、あんなにも恐ろしかったのは、現代社会が抱える重大な問題点を、子どもの私にも分かるように物語として表現しつくしていたからだとおもう。


他にも当時は理解しきれなかった素晴らしく面白い作品がたくさんあった。


私が、特に気に入ったのは以下の話だ。

「来訪者」「特許の品」

最近流行りの地球人視点を通り越し、星新一さんは宇宙人視点だ。

地球人の悲しい性の数々を、宇宙人視点で、おもしろおかしく切ってくれる話を読むのが好きだなと思った。


「冬の蝶」「生活維持省」「ゆきとどいた生活」

便利さや、一つの価値観を追求しすぎてしまったことによる未来社会への警笛的な話を、美しい物語にしたもの。

「冬の蝶」は本当に美しく魅惑的で危うい世界だった。


「月の光」「診断」「なぞめいた女」

人間とは何なのか?他の地球に生きる動物や生き物と人間との違いは何かについて考えさせられるように感じた物語だった。哲学的ですごく深い作品だなと思った。


星新一さんの作品には、S市とかN氏だとか固有名詞が一切出てこないのは有名な話。

昔話のように普遍的に読み続けられるSFを目指していたんじゃないかと僭越ながら思った。


なんとなく今、星新一さんを読みたい人が増えている気がしている。

実際、私の知り合いは、星新一さんの短編集を全て大人買いして、今、読んでいると言っていた。

多分それは星新一さんが描いた世界に、現実社会が近づいてきているからで、星新一さんの本から学べる所が沢山あると感じるからなのだろう。


50年以上の時を経て、未だ全く古びることのない大人気の星新一さんだが、公式のHPには著名人が星新一さんに対する想いを語った寄せ書きがある。

タモリさんや浦沢直樹さんなど、そうそうたる顔ぶれの著名人が、星新一さんについて語っている。

その中で恩田陸さんが、星新一さんの作品には、「神の視点」の現れと書いていたけれど、まさに、そういう感じがする。

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