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第1007回【圧巻人生日誌 日々是成長】(2024/3/3)▲▲記憶の糸口をたどる際の日記の有用性▲▲


3日の日経朝刊・文化のコーナーで、
作家の宮内悠介さん日記について記載されていました。


うーん、分かる分かるってことだらけ。
「だいたい最初の1日だけ書かれて、
 あとは放置された」
→3日くらいは続いたけれども、
似たような経験大いにあり。

普段の記録を取っていなかったから
断片的な記憶にとどまり
一番肝要な、当時宿していた精神
みたいなものは思い出せない、
というくだりは激しく同意です。


というのも、
つい最近こんなことがありました。

大学時代から何かとよく一緒に旅している友人が、
「今○○に来ているんだが、
 10年ほど前にお前(私のこと)と一緒に行った
 定食屋の名前と場所を教えてくれ」
と突然でLineで連絡が。

んなこと、覚えているわけないだろ!
と毎度思うのですが、
彼は断片的に覚えているが
私は全く覚えてすらいない。
記憶の断絶があるわけですね。


結局この一件は彼の勘違いで
私は同行していなかったことが分かったのですが、
かようにも人の記憶は結構適当ですし
しかし記録に残っているだけで思い出せることも
かなりあるものだと思います。


私はスマホが普及して以降は、
字面で記録する代わりに
写真を撮って記録を(とりあえず)残していることが
多くあります。
これも良いところ悪いところがあるのですが、
記録が残っているというメリットがある一方
スマホのストレージの奥底まで探さないと
お目当てのものが出てこないという
面倒さがあります。
(スマホで撮った写真は全く整理しておらず・・・)


一方で一眼レフやコンデジで撮った写真は
行先ごとにフォルダ分けしているのですが、
こちらは当たり前ですが
写真を見ると即座に記憶がリンクしてきます。


これってどっちがいいのだろう?と
時々思い悩むことがあります。

すぐに当時の記憶が紐解けるのは
効率的で大変いいことなのですが、
カオスな写真の山だけを見て
「これなんだっけ?」と
絡まった記憶の糸をほぐしていくのも
時には楽しいものなんですよね。


しかし、
せっかくの記憶が流されて忘れ去られるのも
勿体ない気がするのです。

お子様がいらっしゃる方であれば、
かしこまった写真でなくとも
ふと切り取った一コマにお子様との思い出が
意味づけ出来ますし、
最近私が意図的に試みているのが
街の様子を意味もなく写真におさめておく
というもの。


知らないうちに街の様子が変わり
(道が広がったり、ビルが出来上がったり)、
元の姿が思い出せなかったりすることが
しばしばあります。

ステーションデパートがあった頃の富山駅 - ぞうまさの昔の鉄道写真集 (hatenablog.com)
こんな記録があるだけで、
記憶や思い出がリンクしてきます。


そんな時に断片的でもよいのですが
記録が残っているだけで、
当時の気持ちや空気感に思いを馳せられるのも
これまた一興かなと。
些細なことを文字で残しておく
日々の記録としての日記にも価値がありそうですね。

日々の記録や記憶を大事にしながら、
今日も素晴らしい一日をお過ごしください。

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★★今日の圧巻人生方程式★★


日々のさりげない記録や記憶も、
ストックしておくことで
活きてくることがあるものだ。
それは、数十年経ってからのことかも
しれないが。
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