【子牛が生まれた日に】
家畜は経済的メリットを生み出すために生と死を繰り返しているという現実があります。私達は家畜の生命を頂いて生きています。生産者は経済活動として生計を立てるために牛を育てています。私達は食事の前に「いただきます」と言っています。これは、その食事に関わってくれた人たちへの感謝だけでなく、食材そのもの、その生命に対する感謝を言っています。肉だけでなく、魚、野菜、米、小麦、大豆、蕎麦などにも生命があります。私達人間は生き物の生命を自分の体内に取り込むことで生きながらえています。私が牛舎を訪れる度に再認識させられるのは、私達がたくさんのいのちを奪って生きていること、自分の欲に任せて必要以上のいのちを奪わないように生きなければいけないということです。私達、人間も自分のいのちを無駄にせず「いただきます」という気持ちで日々を生き、寿命まで全うし、生き抜いた末に「ごちそうさま」と死んでいくのだと思います。
テーブルやお膳で自分の前に置かれる箸は、自然界と人間界の境界を示すものです。私達は箸を手にとって、自然界とつながります。そして、大切な生命をいただくのです。仏教では精進料理が示す通り、殺生は最も重い戒めで、肉や魚を使わない理由のひとつは、動物や魚は「死」をはっきりと感じさせるからだそうです。肉や魚を使わないと意識することで私達が普段いのちを奪って生きていることを思い出すきっかけにしているのです。また、自分が生きていくために必要最低限の栄養をとるためだけとされています。肉や魚は栄養満点なのでたくさんのエネルギーを生み、必要以上に精力がつきすぎるからとも考えられています。同様の理由で、野菜の中でも精力がつきすぎるニンニクやニラは精進料理のメニューから外されています。
しかし、道元による禅宗では「典座教訓(てんぞきょうくん)」という教えがあり、生き物の生命をいただく料理こそ、いのちの大切さを知る修行そのものであると捉えられています。精進料理を食べたから殺生をしなかったと考えるのではなく、食材とは生命そのものであり、肉も魚も野菜も穀物もそれぞれが生命の塊であると意識したとき、初めて「私達は生きるためにはいのちを奪わないと生きていけない存在である」ことに気づき、つくる側は素材を大切に扱って料理をし、食べる側が感謝を込めて残さずに食べることができるようになります。フードロスなどは言語道断で、飽食の時代と言われて久しい現代への戒めとして生産者も消費者も食を捉えていかなければならないと思います。食べ物と、自分の命に感謝を込めて「いただきます」と「ごちそうさま」をいつも声に出して言ってくださいね。