【短編小説】死人が出たら猫を隠せ
同居人の月が死んだ。
キッチンで倒れてるのを見て、最初は嘘だと信じたかった。けれど、生きてるとは思えないほどの体温を感じて、脈も鼓動もない体を見て、虚ろな目をした同居人の死を認めざるを得なかった。通報することも忘れて、亡骸を抱いて気付けば涙が流れていた。
だから、いつの間にか家に入り込んでいた猫に気付きすらしなかった。
≪≫
又木月は、私こと菊花七恵と共に、大学を卒業してからシェアハウスして二人で過ごしていた友人だった。ふわふわしてどこか抜けているところがあり、そんなところも可愛い人だった。
喧嘩とかもそれほど起こらなかったし、お互い快適に過ごせていたと思う。まさか死ぬだなんて思いもしなくて、本当にショックだった。
数分が経った頃だったか。まだ気持ちの整理もできるわけもなく、未だ泣いていた時だった。唐突に、月の体がむくりと動いた。
「――月?」
思わず呼び掛ける。確かに、月は今動いた。もしかして本当は死んでなんかないんじゃないのか。そんなことは決してないはずなのだけど、動いたのも確かな事実だった。
それを決定付けるように、月の顔がこちらを向く。自然に、生きているかのように顔を向ける。そうして彼女は、口を開いた。
「にゃあ」
その第一声はあまりにも間抜けで場違いだった。ふざけているというよりかは自然に発せられた言葉といった感じだったけれど、怒りなんかは湧いてこなかった。月が生き返ったという事自体が嬉しいのだ。その喜びで、私は「月が一度死んだ」という事実を記憶から消していた。月がこうして生きて動いてさえいれば、それでいい。
「あぁ、良かった、急に倒れちゃうから……」
「んえ? ……あ、うん、心配かけちゃった、ね。大丈夫、あたしは生きてるよ」
「うん、うん!」
安心させるように月は背中をさすってくれる。この温もりが死人のものなわけがない。それならやっぱり、月は死んでなんかいなかった。それがわかっただけで十分だ。またいつもの日常が戻ってくるのならなんだっていい。
「それで、さ。あたしが倒れる前のことを教えてほしいんだけど、どうしてあたしは気を失っちゃったの?」
「大丈夫、月は何も心配しなくて大丈夫だから。何も起きてなかったんだから」
「そ、そう、なんだ。よかった、ありがとう」
多分月は混乱しているだろうから、あまり変な事を言っちゃいけない。もっと混乱させちゃうかもしれないし、できるだけ月には心配かけたくない。
それにこういうことも、いずれきっと笑い話になるはずだ。きっとこのまま穏やかな日々が続いて、一瞬の悲しみだって思えるようになるから。それまで今は、安堵の沼に溺れていよう。
≪≫
月が倒れた日から何日か経つけれど、どこか様子がおかしい。話がすれ違ったり噛み合わなかったりすることはない。でもどこか言動が変だった。
たとえば、異様に魚を欲したり、いつも眠たそうにしていたり、というかよく寝ることが多くなったり。他にも爪とぎしようとしたり口から変な音を鳴らそうとしたり、まるで猫みたいな言動が多くなった。というか、猫だ。私の同居人はいつから猫になってしまったのだろうか。
まあでも、割と気にしているわけでもなかったりする。だって、月は月だしね。言動は猫っぽくなっても、気が狂ったようにおかしくなったわけじゃない。私はまだ月を愛することができる。月が月でなくなるまでは。
それでもなんとなく怖くなって、ある日の夕飯の時に月に聞いてみた。
「ねえ、本当に月は月だよね?」
「えー? 何それ哲学?」
「いいから。ねえ、答えてよ」
「んー、なんて言えばいいかわかんないだけどさ、でも私は月だよ。あなたの同居人で親友の、又木月。だから、不安にならなくて大丈夫だよ」
そう答えると、月は私の頭を撫でた。別に不安になっていることを伝えたかったわけじゃないんだけど、そう感じ取れちゃったみたいだ。
それはそれとして、やっぱり貴方は月だ。貴方自身が言うなら間違いない。言ったことが全て嘘なら、私は貴方を信じられないし、愛せなくなる気がする。だって、嘘ってなったら月じゃなくなるわけだから。誰かが模倣した月なんて、それはもう月じゃない。
私は月の言葉を一旦信じて、彼女に微笑みかけたのだった。
≪≫
死人が出たら猫を隠せ、と昔はよく言ったらしい。なぜならその死人に猫が憑いて化け猫になってしまうからだ。だが最近じゃ迷信やら都市伝説やらと、あまり本気で信じられてはいないようだな。
それでも化け猫は存在する。アタシがそうだ。名前なんてないただの野良猫だったアタシは今、一人の人間に憑いて化けている。
人間の名前は又木月。そしてその同居人として菊花七恵という女の人間がいる。どうやら月という人間の記憶はアタシに引き継がれたようで、すぐにこいつの体に順応できたこともあって繕うことは簡単だった。
ただ、菊花七恵、こいつはヤバい。会話こそできるが、時折訳の分からないことを言ってくる上、とんでもない「凄み」に襲われることが多々あった。アタシの正体がバレているのかとも思ったが、どうやら奴はアタシを、というか「又木月」を妄信しているところがあるようだった。勿論アタシもバレないように努めてはいるのだが、猫の時の習慣が消えない時もある。それでも今日までバレていないのだから、奴の妄信は止まらなかった。
というかそもそも、奴は又木月が死んだことすら覚えちゃいない。アタシが乗り移る直前のことも「なんらかの原因で気絶していただけ」と捉えており、又木月が生き返ったのではなく「目が覚めた」と少し歪曲して記憶している。当然そんなことはなく、又木月は既に死んだ人間だ。だって彼女の記憶を辿れば、死んだことなんて明らかなんだから――。
そこで、アタシはハッとした。知らず知らずのうちに、アタシも記憶を消して捻じ曲げていたのかもしれない。
どうして忘れていたのだろうか。記憶を引き継いだ時に、ショックが大きすぎてすぐさま消していたのかもしれない。
気絶していただけで、死んでなんかいないって? ふざけるのも大概にしてくれ。お前がこの人間を殺したんだろ、菊花七恵。あのキッチンで首を絞めて殺したんだろ、どうして覚えていない。もしかして、それすら無意識に記憶から消しているというのか、随分と都合がいいな。
この体の主には毛頭興味はないが、少々借りがあったからムカついている。それに、人を殺しておいてあんな顔ができる神経がわからない。自分の意志で殺した人間に、死んでいなくてよかっただなんて思えるものか。イカれている。
そんな奴に、アタシは恐怖と怒り、そして好奇心を覚えた。奴を問いて、喰らってやりたいと思った。
≪≫
「ねぇ、ななちゃん」
「なぁに、月」
とある晩、ベッドの上でアタシは切り出した。
この人間らはいつもこのダブルベッドで寝ている。そのことを二人とも特段嫌だとは思ってはいないので、今日もアタシはそれに従った。菊花を隣に座らせて、話を続ける。
「変な事言ってるようだったら、ごめんね。あたし、もしかして一回死んで――」
言い終わらないうちに、肩を掴まれ押し倒される。凄い形相だ。一度でも又木月が死んだ事を認めたくないらしい。ここまでは、まあ大方予想通りではある。
「なんで、どうしてそんなことを言うの? 月は私を悲しませることなんか絶対言わないよ。私、月のこと嫌いになっちゃうよ?」
肩に置かれた手の力が、徐々に強くなるのを感じる。痛い、けどそれだけだ。その言葉はアタシには届かない。それはアタシに向けられたものではないから。
「月には何もなかった、それでいいの。余計な事は考えなくていいから」
もはやこいつの言葉は、菊花自身が安心したいだけのものに過ぎなかった。
アタシは今どんな顔をしているだろう。感情のままに抑えつける菊花七恵とは対照的に、酷く冷めた気持ちになっていた。そんな顔を、おそらく又木月にさせていた。
――そんな顔に気が付いたのか、菊花の表情が変わった。妙に納得したようにスッと無機質なものになる。アタシを掴む手の力も抜けて、ただ見下ろしていた。その突然の変容とギャップに、また恐ろしくなった。
「あぁ、あなたやっぱり月じゃないんだ。月はそんな顔しないよ。演じるなら、もっとうまくやりなよ」
「……へぇ」
もっと怒り狂うんじゃないかと思ってたけど、案外大人しいんだ。まあ、やっぱりだなんて言うんだから、前から薄々勘づいてはいたんだろうな。あれだけ盲信してたのに、結局どこかで疑ってたんだ。
「私ね、実は信じてたかったんだよ。月は死んでないし、誰かに代わってることもないって。本当の月がここにいるんだって。実際、あなたには騙された」
「けど、それはあり得ない。何故なら又木月はお前が殺したから。正直言って、イカれてるよお前」
そこで再び、菊花の手に力がこもる。肩に爪が食い込む程に力が入る。それほどコイツは苛ついたのだろうか。
「あれは、月が悪いんだよっ! あの日知らない男と仲良さそうに一緒にいたから! 月に聞いてもはぐらかしてくるし、知らないうちに恋人でもできたのかと思ったの。私達、愛し合ってると思ってたのに、月が私を愛さないなら死んでもらうしかないでしょ!?」
流石に暴論が過ぎる。愛さないなら殺すという考えなど、まるで理解できないな。こうも理解し難い人間がいたのか。
「でも殺した後で思ったの。月が死んじゃった、って。月がいないと私が生きてる意味なんてないのに、私は殺しちゃったんだ。私を愛してくれない月は要らないけど、月がいなきゃどうやっても愛を確かめられなくなるんだからさ。ホント、私の行動も全部嘘だと思いたかったよね」
「ずっと何言ってるかはわからんが、殺したことは認めるようだな」
「そうするしかないでしょ。あとは誰に否定するの?」
「強いて言えば警察なんかだろ。普通は殺人を犯したら認めないことが多いようだがな。それより、これからお前はどうするつもりだ?」
ここから先はあまり興味はないが、乗りかかった船でもあるからな。一応最後まで話は聞いといてやろう。まあ聞き終えた後は喰らうだけなんだがな。
「……あなたは、私を殺してくれるの?」
「また妙な事を言うんだな。人間、というより生物というのは普通、地を這ってでも生きようとするはずなんだがな」
「質問に答えて。私を死なせてくれるの? 本当の月に、会わせてくれるの?」
必死に、懇願するように菊花は問い続ける。何故そこまで必死になれるのか、どうして愛の為に死を選べるのか、ただ野良猫であるアタシには一生かけても理解できないだろうな。
「まあ、お前を殺すことなら、当然できるな。むしろ、端からそのつもりだ」
「そう、良かった。月のいない世界なんて無意味なの。あの子に会えるなら、私は躊躇わない」
「……それなら、アタシも遠慮せずにお前を喰らうぞ。良いんだな?」
「良いよ。ほら、さあ、私を食べなよ」
両手を広げながら、倒れ込んでくる。アタシの元へ抱かれにいくように、そして不思議と幸せな顔をしながら。
アタシはそんな人間に牙を立てて、大きく口を開けた。
≪≫
菊花七恵の亡骸を傍らに、アタシは虚無感に苛まれる。結局、イカれた人間など理解できるものではなかった。なぜ死に恐怖しない? 人間のいう愛とは、こんな得体のしれないものなのか?
そう問いても、答えてくれる奴などいない。今はただ、勝手に一人勝ちされたような気分だった。
……それはそれとして、届かずともいくつか言わなければいけないことがあるな。
なあ、菊花七恵。お前は勘違いをしている。当然、気付いてなどいないだろうがな。又木月の記憶を直々に引き継いだアタシが教えてやろう。
まず又木月は確かに、死ぬまで菊花七恵を愛していたよ。菊花の言う「愛」なんてアタシには知らないが、少なくとも一生添い遂げる覚悟を又木月は持っていたようだ。
その上で又木月が男と会っていた件についてだが、彼女は菊花に寄り付く男を排除していたようだ。端的に言えば、その日又木が会っていた男は菊花に惚れていて、又木はその日の内に男を殺している。証拠は菊花にすらバレないように隠蔽していたな。誤魔化していたのは、菊花を心配させたくないから、といったところか。
そして、お前は又木月に会いたいが為にアタシに殺されたが、この先お前らが再会するとは思えない。これはアタシの勘だがな。ただ実際、殺した人間と殺された人間だ。碌な再会にはならないだろう。
……いや、これは勘違いというには早計だろうな。というかそもそも、アタシは奴らの再会を見ることはできないじゃないか。じゃあもう、これ以上考えるのは無意味だな。まったく、とんでもない人間に憑いてしまったものだ。
さて、そろそろアタシは猫に戻ろう。アタシが戻れば、こいつらとの縁はさっぱり無くなる。アタシはもう、こいつらの今後を一切気に掛けることはないだろう。いずれこいつらも誰か他の人間に発見されるだろう。その時は、もぬけの殻となった体が二つあるだけだ。その先は、アタシの知ったことじゃない。
アタシはただの野良猫。こいつらとの繋がりは、二人が生前世話してくれたということだけだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?