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「性自認が女性であるトランスジェンダー」とはだれのことか。

 以下の原稿は、困難な問題を抱える女性への支援のための施策に関する基本的な方針(案)についてのパブリックコメントとして書いたものです(実際に投稿したパブリックコメントとは多少内容が異なります)。

意見内容


9ぺージの第2 困難な問題を抱える女性への支援のための施策の内容に関する事項 1.法における施策の対象者及び基本理念の最後から2番目の段落「性自認が女性であるトランスジェンダーの者については、トランスジェンダーであることに起因する人権侵害・差別により直面する困難に配慮し、その状況や相談内容を踏まえ、他の支援対象者にも配慮しつつ、関係機関等ともに連携して、可能な支援を検討することが望ましい」を削除するように求めます。


理由
 

1.  女性が対象の法律なのに、女性でない人を対象にする意味が
わからないから


 「性自認が女性であるトランスジェンダー」は生物学的男性です。「困難な問題を抱える女性への支援のための施策の内容に関する事項」(以下、『事項』とする)に入るはずがないので、入れてはいけません。
 これは女性が対象の法律です。法律の条文には、はっきり対象は女性であると書かれています。そして「性自認が女性であるトランスジェンダー」は明らかに生物学的男性です。性別適合手術を受けていようが、女性ホルモンで胸を膨らませていようが、女性用の服を着ていようが、それは「体の見かけを変えた生物学的男性」です。なぜ法律の条文には対象は女性とあるのに、『事項』で、生物学的男性を入れるのですか。障がい者を支援する法律を作って、その基本理念の『事項』に「自認が障がい者であるトランス障がい者にも可能な支援を検討することが望ましい」と書きますか? 「自認が障がい者であるトランス障がい者」とは、障がい者でない者、つまり、健常者です。それでは、法律で支援される対象は、障がい者と健常者の両方ということになります。法律の名称を障がい者支援法などとする意味がありません。女性が対象となる法律でも同じです。対象に生物学的男性を入れるなどそもそもありえないことです。もしかして、この『事項』を作成したみなさんは、「性自認が女性であるトランスジェンダーは女性である」と信じているのでしょうか。LGBT関連の啓発活動をやっている人たちがよく使うフレーズに、「体の性別はグラデーションである」というものがありますが、ひょっとして、人間には男/女以外の性別があるとか、生物学的性別が男から女、女から男に変わるという話を信じているのでしょうか。ちゃんと科学的に裏付けられていると思っているのなら、それは単なる疑似科学です。世界は神が作ったのだと信じる進化論否定論者にだって、彼らが言うところの「科学」があります。トンデモ科学を信じるのは個人の自由ですが、法律の基本理念にその考えを忍び込ませて他人にまで押し付けてはいけません。
 
2.  言葉の定義がされていないから

 「性自認が女性であるトランスジェンダー」については、言葉の定義がされていないので、基本理念に入れてはいけません。
 当たり前のことですが、この法律の対象が女性である以上、『事項』に女性以外の人間を対象に入れてはいけませんよね。それなのに入れたいというのなら、その正当な根拠を示さなければなりません。使われている文言の意味や定義がわからないのに、契約書にサインする人がいますか。商品が何かわからないのに、言い値でお金を払う人はいますか。「性自認が女性であるトランスジェンダー」とは何か定義を示しなさい。「金色に輝く固形物」を金の値段で買わせて後から実は金メッキだったら、それは詐欺です。「別に純金だと言った覚えはない、そっちが勝手に純金だと思い込んだだけだろう」と言い逃れようとするのは詐欺師です。なんの説明もなく、人々に対して、雰囲気だけで「性自認が女性であるトランスジェンダーは女性なのか…」と思わせることは、騙しの手口です。後から、「別に、性自認が女性であるトランスジェンダーが女性だと言った覚えはない、そっちが勝手に女性だと思い込んだだけだろう」と言うつもりですか。これは詐欺なのですか。

3.  反対しても実際には何の効力もないことについて意見を求める無意味さへの抗議

 「性自認が女性であるトランスジェンダー」については、国民的に議論する機会もないし、時間もないし、反対者の声の数が効力を持つという保障もされていないので、これを『事項』に入れてはいけません。
 契約者にきちんと定款を説明しないで契約させたら、保険会社はその責任を問われます。国民の側がパブリックコメントで、「性自認が女性であるトランスジェンダーは女性ではない」と一生懸命説明しなければならないとは、全く主客が逆転しています。説明責任は国、政府にあります。しかも、いくら反対の声を上げようと、パブリックコメントというものは、たとえ反対意見の数が全コメント数の9割を占めるものであったとしても無視されたらそれまでです。選挙の投票権のような法的な力がありません。客に契約書を見せて「質問や意見を言ってください。でも私たちはあなたの声を聞くだけで、別に無視しても誰からも罰されないんですよ」と迫るのとどこが違うのですか。保険商品なら契約を断ることができますが、この『事項』はどうなんですか。
 
4.  誰も客観的に立証できないことを条文に入れた法律は、法律として大きな欠陥があるから

 この『事項』によって、事実上「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」を女性とみなすことになります。それはしてはいけないことです。なぜいけないのでしょう。法律として致命的な欠陥になるからです。
 非白人の人たちを支援対象とした法律に、「自認が黒人であるトランス黒人(実は白人)にも可能な支援を検討することが望ましい」と書くことに、非白人である当事者の人たちは賛成すると思いますか。障がい者を支援対象とした法律に、「自認が障がい者であるトランス障がい者(実は健常者)にも可能な支援を検討することが望ましい」と付け加えることを、障がいを持つ当事者は歓迎するでしょうか。白人なのに黒人のためのリソースを使ったり、健常者なのに障がい者のためのリソースを使ったりすることは正しくないと、多くの人は思うでしょう。女性を支援する法律でも同じです。ただ、不正行為かどうかについては、調べてみれば「実は白人だった」とか「実は健常者だった」ということは客観的に判別できます(内部障がいの人も身障者手帳を持っていたり、医師が診察したりすればわかります)が、「性自認が女性であるトランスジェンダー」は、どうやったら客観的に判別できるのか分かりません。性別違和や性同一性障害(旧称)を長く診断していた針間克己医師ですら、「臨床的な現実として『自称』と『本物』の性同一性障害の鑑別は困難である」と述べているほどです。性同一性障がいは、今のところ、細胞の検査やMRIの画像などで客観的にそれと診断できる種類の症状ではないからです。「幼少期はままごと遊びをしていたと嘘を言って、性同一性障害の診断をもらった」という当事者の「告白」が、有名小説家のエッセイの中にも知人本人から聞いた実際の話として登場しています。つまり「性自認が女性である」という診断の手がかりになるのは、ただ本人の話だけだということです。
 一体、法律で決める事柄の中で、客観的に誰も判別できないものを入れ込んでいいものでしょうか。先の例で言えば、「白人か非白人かは本人の自認で決まるのであって、肌の色など体の特徴は関係ない」とか、「障がい者かどうかは、実際に心身が不自由かどうかではなく、自分は障害者であるという感覚が6ヶ月以上持続しているかどうかで決まる」と主張して、その言い分が社会的コンセンサスを得られると思いますか。女性のための法律の場合も同じです。女性たちに大きな影響があるのですから、女性たちのコンセンサスが得られていない取り決めは不正です。法律は、性善説で作ってはいけないと言われています。悪用する人間がいることを前提にしなければならないはずです。悪用できることは明白で、悪用する人が出てくることは簡単に予想がつくのに、「実際に運用してみないと分からない」などと言う人がいるでしょうか。悪用を許す可能性があるということは、致命的な欠陥です。
 
5.  本来守るべき女性の生命や安全が脅かされ、法の主旨と正反対の結果を招きかねないから

 この『事項』によって、事実上「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」を女性とみなすことになります。それはしてはいけないことです。なぜいけないのでしょう。女性の生命や安全に関わることだからです。これを作るのは法の主旨をひっくり返すことになります。
 3.で法律は性善説で作ってはならないと述べましたが、感情論で法律を作ってもいけません。この『事項』に「性自認が女性であるトランスジェンダー」を入れた人たちは、感情的なのでしょうか。「当事者は、性別違和があって苦しんでいる人がほとんどなのに、ごく一部のなりすましや犯罪に利用する人間が出るかもしれないからといって、法律で守ってあげないのはかわいそう。だから、女性と一緒にしてしまえ」とでも考えているのでしょうか。これは、困難女性のための法律であることを忘れているとしか思えません。冷静に考えてください。「性自認が女性であるトランスジェンダー」のためには、別の法律や制度や施設を作ればいいことです。「性自認が女性であるトランスジェンダー」のために、それをする手間を惜しむとは、彼らのことを本当には考えていないのではありませんか。また、「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」のために、女性の権利、生命や身体の安全を軽視してもかまわないということでしょうか。それは、重大な裏切りです。なぜならこの法律の場合、法は、脆弱な状態の女性を支援する任務を負っているのに、犯罪傾向のある生物学的男性(それがごく少数であれ)、それらの女性たちに近づきやすくなってしまうからです。もし、ここで「そんなことはありえない」と言うのなら、海外で女性自認の生物学的男性が、病院の女性病棟や女性のシェルターや女性刑務所で女性に対する暴力・性暴力犯罪をどれほど起こしているか調べてみるとよいでしょう。未だに男女平等法や包括的な性暴力禁止法がなく、ジェンダーギャップ指数が121位のこの国で、海外で起こっているようなことは、絶対に起こらないと一体誰が保証できますか。
 犯罪目的の男性が容易に悪用できたという事例が一つでも起これば、多くの女性に待望されてできたこの法律は、根底から無意味になり、それどころか悪法にさえなりかねません。困難な状況にいる女性を救う場が、男性が合法的に入れて犯罪も可能なところだと広く知られることになります。そうなれば、性被害や虐待を生き延びた女性たちは支援の窓口に行かなくなるでしょう。それは、女性トイレを「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」にも使えるようにした国で起こっている現象を見ても分かります。男性でも合法的に入れるようになった女性トイレは、女性たちの方が徐々に避けるようになり、実質的に男性専用トイレになっていくのです。性暴力を生き延びた女性たちの自助グループでも同様のことが報告されています。「性自認が女性であるトランスジェンダー」の生物学的男性が一人でもグループに参加すると、女性たちは安全感を脅かされトラウマ体験を話せなくなり、参加することをやめる人が続出し、やがてグループ自体が消えてしまうのです。このように、「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」も支援対象に加えると、実際には、本来対象者である被害者女性たちのためのリソースが、生物学的男性によって奪われる結果になるのです。本末転倒もいいところではありませんか。人口の半分を占める女性に比べたら「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」なんて微々たる数だから、影響はほぼないとでも言うのでしょうか。一件でもあってはいけないと考えるべきではありませんか。思い出していただきたいのは、先ほども書いたように、女性たちの自助グループを消滅させるのには、男性が一名いたら事足りるということです。
 さて、犯罪目的ではない男性が一人入ってきても、女性支援の場が崩壊するのは簡単だと述べましたが、犯罪目的の男性についてはどうでしょうか。全男性のうち犯罪者より非犯罪者の方が多数なのは確かでしょう。しかし、世の中には、一度もまだ捕まったことのないレイプ常習犯(隠れレイピスト)がいます。デイヴィッド・リザック博士の『隠れレイピストの繰り返されるレイプと多数の犯罪』という研究によれば、マサチューセッツ大学ボストン校の男子学生から無作為抽出された1882人を研究した結果、サンプルの6.4%にあたる120人がレイピストと特定されました。これは大して多いように思われないかもしれませんが、問題なのはその120人のうち、76人(隠れレイピストの93%、学生全体の4%)が繰り返し罪を犯しており、一人当たり平均6件近く、合わせて435件のレイプ事件を引き起こしていた、という事実が判明したことです。それだけではなく、この76人の隠れレイピストは、レイプに満たない49件の性的暴行、子どもに対する277件の性的虐待、子どもに対する66件の身体的虐待、パートナーに対する214件の暴行という事件も引き起こしていました。しかもこれは若い大学生ですから、その先一生涯犯罪を続けるであろうことを考えれば(常習者なので手口は洗練されていく一方です)、一人の隠れレイピストが生み出す性犯罪被害者(ほとんど女性)の数は膨大なものになるでしょう。そう考えると、たとえほんのわずかな法の穴でも、犯罪者の侵入を許すような欠陥があってはいけないことがわかるはずです。
 次に、「(前述の研究結果が正しいなら)残り93.6%の男性は安全だということになるのか」というと、そうでもありません。UCLAの研究者ニール・マラムスによる1986年の研究によれば、男性の30%が「逮捕されないならレイプをする」と回答したといいます。しかも、「レイプ」という言葉を「女性と強制的にセックスをする」に変更した上で、同様に男性は逮捕されないと条件を付けて同じ質問をすると、50%以上が実行すると答えたそうです(「女性と強制的にセックスをする」のは紛れもなく性暴力です)。日本の犯罪統計によれば、性犯罪の99%以上は男性によるものであり、男性の性被害の場合も加害者は男性が多いことは明らかです。犯罪学者の小宮信夫教授によると、世界では、罪を起こす機会をなるべく減らす社会設計をすることが犯罪の予防になるという『犯罪機会論』が主流であり、その視点で見れば、男女の入り口が近く、誰でも入れる日本のトイレは世界一危険なのだそうです。一方、日本で主流の『犯罪原因論』は、犯罪の原因を犯罪者の性質に求めるもので、その視点で行なわれている犯罪遺伝子の研究では、犯罪を起こす遺伝子の可能性が指摘されているのは、男性ホルモンだということでした(イギリスのトランス慈善団体によると、いわゆる「トランス女性」の99%は男性器を保持しているそうです)。以上のことから、女性を男性の性暴力から守るために有効な方法は、男性を女性専用の施設に入れないことであると結論づけられます。犯罪は、起こってからでないと警察も動けないのですから、どういう男性であれ生物学的男性を入れないようにすることが、最も有効で合理的な防犯方法です。
(ここに書いた、男性による女性への性暴力のくだりを読む人が、もし「男性全員が犯罪者みたいに言うな!」と冷静に意味を受け止めることができない方だったら私の主旨が正しく伝わらないので、念のため申し添えておきます。NHKの科学番組によれば、赤ちゃんの世話をしている時の男性のテストステロン(男性ホルモンの一種)の値は低くなるそうです。また、フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学の人類学者ペギー・リーブス・サンデーさんは、多文化にまたがる研究で、「成長する女性の美しさと命の神聖さを敬うよう習慣づけられた男性は、女性に暴行などしない」と説明しています)

6.  男性から女性へのトランスジェンダーには2つのタイプがあるようだが、女性が警戒心を抱かざるを得ないタイプの人に対して女性が警戒心を抱くこと自体が差別と言われかねないから

 この『事項』によって、事実上「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」を女性とみなすことになります。それはしてはいけないことです。なぜいけないのでしょう。女性の生命や安全に関わることだからです。今度は、生物学的男性一般ではなく、「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」について、身近に私が見聞した経験なども含めて述べたいと思います。
 「性別違和がある」、「トランスジェンダーである」という生物学的男性たちには、様々な人がいて、厳密に一つの基準で分けることができないかもしれませんが、私は、自分なりのある基準で彼らは2つに分かれると考えています。
 「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」の第一のグループは、性別違和、特に身体違和が強く、外科的手術による肉体的な変化の必要性を感じており、ただ周りに溶け込んで幸せな生活を送りたいとだけ思っている人たちです。もう一つ別の、第二のグループは、第一のグループとは対照的に、積極的にあちこちでその存在をアピールしている人たちです。知人の娘さんが胸を取りたがっているとか、は、人間関係のつながりで聞こえてくるのに対し、第二のグループの人は私にとっては個人的には特につながりのない他人ばかりですが、彼らは公的な窓口に来たりして非常に目立つため私も知るところとなったり、取材を受けて大手のメディアに登場していたり、無名人でも個人的な自己アピールのツイートや投稿画像などから「こういう人がいるのか」と気付きました。何となくですが、第二のグループの人は、「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」のうちの、大部分を占めているような気がしています。
 第二のグループには、女性のメイクや服装をして自撮りを公開する人が多いのですが、なぜかそのファッションは同年齢の女性の格好とは全く異なるのです。同年齢の女性の中にいたら、その男性的な顔立ちや骨格・体型、立ち居振る舞いで男性だとすぐ分かるだけでなく、着ている服やメイク・髪型がごく普通の女性たちと違うので大変異質に見えると思います。実際の女性はショートヘアだったり、パンツスタイルだったりもしますが、第二のグループにそういう人はまずいないのです。第一のグループの「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」の場合は、普通の女性たちの中で浮いて見える格好はしないようなので、この2つのグループの人は全く違う種類の人たちだと分かります(どんなファッションかは後述します)。また、第二のグループの人は、女性に近づきたがって、女性同士として話をしようと持ちかけてくるのですが、その話の内容は、男性そのものなのです。女性用下着や月経時の生理用品の話、排泄の話、果ては痴漢にあった時の状況を微に入り細に入り語りたがるのです。それこそが「自分は女性である」証拠だと思っているようです。そんな話を喜んでしたがる女性などいないことを彼らは知らないのでしょう。女性同士はこういうことをするのだろうと勝手に性的な妄想を膨らませているのでしょう。しかも、実に上から目線で「トランスジェンダーについて勉強しろ」と言ってそういう話を強圧的に聞かせようとしたり、「女性同士だから、下着の話をしてもセクハラじゃない」「女性同士だから、ハグしてもセクハラじゃない」として実際に実行したりするなど、典型的な男性の発想・男性の行動パターンなのです。普通の男性が、もし自分が女性になったらやってみたい性的なことを、実際にロールプレイングゲームのように自己陶酔的にやっているという感じです。男性に「女同士だからセクハラじゃないよね」と言われたら、恐ろしくて凍りついてしまいます。さらに驚いたことに、彼らはLGBTの権利活動をしている場合もあります。それで、私はLGBTの権利活動の人たちを信用できなくなりました。
 こういうわけなので、第二のグループには、女性に警戒心を抱かせる要素が十分過ぎるほどあります。さて、ここで第二のグループのファッションを説明しましょう。それは、露出の多い、明らかにセクシュアルな、派手なファッション、またそれとは逆に、ロリータファッションや女子高生ファッションのようなものと、二極化の傾向が見られるものです。実際の女性の年相応の格好とまったく違う、この2つの傾向は、しかし共通点があります。それは、どちらも男性にとって性的欲望をかきたてられる女性像だということです。毎日電車痴漢にあっていた女子高生は、高校を卒業すると痴漢にあわなくなります。警察は、薄着になる夏に痴漢が多いと広報しますが、実際は学校が休みになる8月は痴漢被害が減ります。つまり、女子高生の制服に欲情しているのです。奥手そうで、若い、あるいは低年齢の子どものような女性に性欲を抱くのでしょう。一方、露出の多いドレスにハイヒール、または、超ミニスカートやホットパンツ、ハイヒールにストッキング、派手な化粧とロングヘアといったファッションの意味は何でしょうか。これらは高齢女性のものでもないし(しかし、着ている男性の方は実年齢が中年以上、中には70代の高齢男性もいます)、大部分の女性の普段の格好でもありません。男性相手の接客業や売買春に従事させられている女性のスタイルです(有名デザイナーのファッションショーのモデルや歌手のマドンナが着ているじゃないかという方がいるかもしれませんが、それは逆です。有名デザイナーやマドンナがそういうファッションを真似て流行らせたのです)。あからさまに男性の性欲を刺激し、受容するスタイルです。昔、女装は上流階級の紳士の密かな楽しみだったと聞きます(イギリスの話)。おそらく、「女性になること」は男性の性欲が求めているものでしょう。昔は、バレたらスキャンダルになるので隠れてやっていたのが、昨今のLGBTの権利活動に乗って一般男性にも広まり、表に出やすくなったのではないでしょうか。実際のところ、第二のグループの人には、妻子がある場合が多いようですが、「心は女性」と言って女性の格好をしても、家の中では家事もせず全て妻にやらせ、自分はもっぱら着飾って出かけてトランスジェンダーとして社会的に注目を浴びようとする人が多いようです。
 私が考える、第一のグループと第二のブループを分ける基準は、『女性に警戒心を抱かせるか、否か』というものです。『女性に警戒心を抱かせる』をカジュアルな言い方で言えば、『キモい』(注)になります。『この男性はキモい』と感じることは、女性が危険を回避するための大事な警告音です。第二のグループのような人は「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」に当てはまりますか?もしそうなら、『事項』を絶対に即座に削除するべきです。実は、第二のグループの人は、すでに女性のシェルターなどに入ってきているのです。この『事項』がまだ成立していない段階で、女性専用の相談窓口とかサポート機関によくアクセスしてきているのです。詳細については特定されるので言えません。が、特に問題なのは、彼らが女性を怖がらせていることに全く無関心で、逆に「自分を女性扱いしろ」と男性丸出しで恫喝をしてくることです。たまたま一人の個人がそういう人だったというわけではなく、キレやすい人が多いという感触があります。このような人たちが「性自認が女性であるトランスジェンダーの生物学的男性」として、第一のグループの人に混じって困難女性の居場所に入る可能性が、今よりもっと拡大するのですから、『事項』を削除するべきだと強く主張します。


注:「キモい」という言葉は、性同一性障がいの人に対してではなく、女性に警戒心を抱かせるような言動をする男性に対する、女性の反射的な身体感覚を言葉化したものです。この言葉の使用に関しては、会内でも議論がありました。確かにこの言葉に違和感がある人もいると理解します。しかし、男性の(物理的であれ心理的であれ)性的な侵入に対して、女性が反射的に「キモい」と感じることや、「キモい」という言葉でしか表せない感覚を「キモい」という言葉を使って表現することはあっていいはずです。女性が男性に警戒感を抱いた時に「キモい」と思ってもいいのだという意味で、カギカッコ付きで使用しました。

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