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ソウルソース

「食べ物の恨みは恐ろしい」。一度は聞いたことがあるだろう。いや、一度は口にしたことがあるかもしれない。

一体何かを恨むということには、非常なエネルギーを必要とするものだ。なので何かを恨み続けるためにエネルギーを注ぎ続けることは、営まざるを得ない日々の生活がなかなか許してくれない。自然月日と共に恨む力は弱まり、やがて忘却の海に澱むことが多い。

なのに食べ物の恨みが恐ろしいというのは、それだけ食べ物が人に身近であって、大した恨みにならないからだろう。そのくせ、ふとしたきっかけで忘却の浅瀬から呼び返されたりするものだ。

あるいは、それが恨みでなくて楽しい思い出や悲しい出来事であったとしても、そしてそれらが忘却の深海に沈んでいたものだったとしても、食べ物にまつわることというのは、すぐさまに蘇ってくるものなのかもしれない。


関西に生まれた私は、子供のころから、たこ焼き、焼きそば、お好み焼きといったいわゆる「粉もん」を食事として、またおやつとして、食べて食べて育ってきた。これら粉もんは関西人のソウルフードである、ということに異論を唱える人は(特に関西人には)少ないだろう。
ただそこにもう一つ、忘れてはいけない存在がある、と私は思っている。

子供のころにたこ焼きやお好み焼きを食べるということは、家で作ることもあっただろうが、たいていは親が買ってくるわけである。普段のくらしの中で、コンビニやスーパーで日常品を買うならば、値段や鮮度などを見てあちこちと違う店舗で買い物をするということはあるだろうが、たこ焼き屋やお好み焼き屋は、たいてい近所の決まった店になることが多いはずである。

それらはたいてい個人商店で(最近はチェーン店も増えてきたが)、店によって焼き方も味も変わるから、たまには違う店の味を試したとしても、結局「あそこはタコが大きいから」「やらかいほうがええさかい」「ここは甘手でええわ」と言って自分の好きな店の味に落ち着き、近所にお気に入りの店ができる、ということになる。

私の場合、近所にいくつかの個人商店が集まってできた、ショッピングセンターとまではとても言えないこじんまりした市場のような所があって、そこにたこ焼き、焼きそば、お好み焼き、ついでにソフトクリームも売ろうという店が入っていた。親はそこで普段の買い物をし、帰りにそこでたこ焼きを買って、家に帰って子供らとおやつにしよう、という流れである。

その店のたこ焼きは、外側がカリッと焼けて一口噛めば中はダシの効いた生地が柔らかくトロリとした、などというのではない。中は確かにトロトロ柔らかいが、外も負けじと柔らかく、爪楊枝を指してもぶにゃぶにゃとしたものであった。そのくせ冷めても締まらず、十分旨いものだった。

今なお私がたこ焼きかくあるもの、と思っているのはこの店のたこ焼きのおかげであるが、ただ私は、たこ焼きよりもその店の焼きそばのほうが好きだった。

具はキャベツと豚だけ、特にキャベツは昨今の控えめなやつと違ってたっぷり入っていた(が野菜嫌いだったので全部脇へ除けていた)。豚肉も少ないながら存在感があり、それらにしっかりからんだ甘めのソースと相まって本当に美味しかった。大盛りを一パック平らげれば満足のうちに一食が事済んだ。

中学生ぐらいまでは店があったように思うが、その後近所に大手スーパーが進出し、市場も改装されて普通のスーパーに変身、あのたこ焼き屋も姿を消してしまい、移転したのかどうなったのか、行方もわからなくなった。

そしてあの焼きそばの味は、思い出の中のものとなってしまった。

二十年も経ったか、大人になって初めて「地ソース」というものを知った。典型的には、中小の醸造会社の町工場で作られ、生産数が少ないため大規模に生産流通されることなく、地域の酒店や地元のスーパーチェーンなんかでやっと見つかるようなソース、とでもいえばいいだろうか。

そんなソースがテレビ番組で料理人に取り上げられて脚光を集め、ブランド化してしばしば品切れを起こす、という話もあった。私が地ソースを知ったのも、あるいはそれがきっかけだったかもしれないが、そのうち私はいろんなソースを食べ比べて、自分に合ったソースを探してみたら面白いのではないか、ということを漠然と考えるようになった。

グルメの本質は、あらゆるものを食べ比べてその中から真の美味を選び出すことにあるのだろう。調味料を選び出すなんというのは、素材を生かして云々というグルメからすれば邪道の話かもしれない。ただやることは同じで、いろんなソースの味を食べ比べることから始まる。

ソースの食べ比べということだけで言えば、例えば焼きそばを一玉作ってソースを何種類か用意して、一口ずつかけては食べ比べ、ということは十分可能だろう。しかし調味料というものは一度の食事にそこまで多く使うものではない。我が家では卓上サイズのソースを1つ買ってきても、消費するのに1か月以上かかってしまう。

特に地ソースは業務用サイズしかないものもあり、卓上サイズを作っていないメーカーも多い。なのでそれらを買い集めて比較するなど、我が家の規模ではおいそれとはかなわぬ話である。

そんな頃に、そういった全国各地の地ソースを集めて、好きなソースで焼きそばやお好み焼きを食べさせる店が大阪に何軒かある、ということを知った。自分の口に合うものを探すのにはうってつけである。

やがてそのうちの一軒に私はちょいちょい食べに行くようになり、ネットで見て気になるソースや店主にお勧めのソースを教わっては、試食した。といっても、焼きそば一つに一つのソースしか掛けられないから、ソースの数を考えたら一生かかりかねない。

そんなある日、客から何もリクエストがないときに使われるという、云わばその店デフォルトのソースで作った焼きそばが出てきた。一口食べたとき、

「あ、これや」

まざまざと、あの思い出の、「市場の焼きそば」の味がよみがえった。少し甘めの、しつこすぎず、でもベタベタになるくらい使ってあるソース、そばは普通の中華麺、脇に除けたキャベツ、青海苔の香り、角みじん切りの紅しょうがの甘さ……味を通して思い出そのものが蘇った。

思わずそのことを店主に伝えると曰く、元々大阪近辺一円で、多くのたこ焼き屋で使われていたあるソースがあった。大阪地元のソースとしてはかなり有名であったが、作っていた会社が倒産してしまい、その後その味を引き継いだ別の会社が、このソースを再現し作っている、と。

味を引き継いだとはいえレシピは引き継がれなかったようで、原材料は全く変わってしまっているようだ。それでも、私の舌の上にはあの時の味があった。してみるとこのソースの元になったソースが、子供のころのあのソースだったのだ。二十年の歳月を超えて、ようやく巡り合えたのだ。

その時私は気づいた。関西人にとって粉もんはソウルフードであるが、その粉もんの味を決定づけるソースの味に、関西人はひとりひとりの味の思い出を持っているのではないか。つまり関西人には、ひとりひとりに「ソウルソース」と呼ぶべきソースがあるのだ、と。

普段のくらしの中で、大手メーカーのいくつかのソースからいつものソースを選ぶことはあっても、もっと細かな、あるいは業務用のソースの銘柄を探すこだわりのある人は、関西人でもあまりないだろう。

それでも、そうやって子供の時のあのソースをたこ焼きに、お好み焼きに、あるいは焼きそばに使うことができたなら、それを食べた人の記憶はたちどころに忘却の深海からさえ蘇るに違いないのだ。それこそがその人にとっての原点たるソウルソースなのだ。

後日このソースが卓上サイズで市販されていることを知って、メーカー近くのスーパーまで買いに出かけた。家で焼いたお好み焼きにソースをかけてみて、やはりあの味だと確信した私は、弟が帰省したときにこのソースでお好み焼きを食べさせてみたところ、確かにそうだ、間違いないだろう、という感想だった。

それはきっと、弟にも訪れたソウルソース蘇生の瞬間だったのである。

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