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クオリティ・ブルペンで評価したリリーフ投手

前稿では、クオリティスタート(QS)にヒントを得て、クオリティブルペン(QB)とでも呼ぶべき指標を思いついた。これはリリーフ陣がどれだけ責任を果たしているかをQSと同等の基準で測るものだった。リリーフ陣をまとめて算定するため、チーム単位、年度単位での記録として紹介したが、あにはからんや投手起用法の歴史の概説になってしまった。

このQBはリリーフ陣全体、そして継投策を測る指標としてチームに付与された記録であるが、各試合に登板したリリーフ投手にこれを配分すれば、リリーフ投手個人の活躍度も指標化できないだろうか。ということで、本稿では投手単位の記録を集計してみたい。これに何ほどの意味があるかはさておき、他の指標と比較することで見えるものはあるかもしれない。


QBを投手個人に展開するにあたっては、QBを達成した試合に登板したリリーフ投手全員にQBを1付与することとすればよい。ただし、そのままではうまくいかない点もあるため調整が必要となる。また、チーム単位ではなく個人単位であることを考え、他にも条件を二つ加えたいと思う。

新たな条件の一つは「投球回数が0の投手には、QBを付与しない」というものである。QSが6イニング以上を投げることを課しているように、一つでもアウトを稼ぐこと重要な要素である。ところが実際問題、1つもアウトを取らずに降板したが勝利に向けていくらかでも貢献をした、ということは通常考えられない。

もう一つは「その試合の防御率が4.50を超える投手には、QBを付与しない」というものである。QSにおいては3自責点までが認められているところなので、たとえ自責点を記録した投手であってもQBを付与することは問題ないところであるが、QSにあっては6回自責点3、すなわち防御率4.50がかろうじて許されると考えると、QBにおいても防御率4.50を基準にすることには根拠があると思われるし、本家のQRが2イニングにつき1失点としている点にも符合する。

次に実用のために必要やむを得ない点を調整して、最低限の条件を二つ追加したい。

まず、QSは6イニング以上投げるのが条件である。5回コールドゲームの場合、先発投手は自責点0でもQSはつかないことから、QBにも6イニング以上の要件を必要としておきたい。すなわち、「コールドゲームの場合は6イニング以上の成立を必要とする」ということである。なお逆に延長戦となった場合は、QS同様あくまで自責点3以内かどうかで判断されることになる。

次に「再登板」をどう処理するか、という点である。1試合で先発投手は再度先発することはできないが、リリーフ投手は再度リリーフ登板することができるし、先発投手もリリーフ投手として再登板することができる。ここは他の記録項目に倣って、リリーフ投手については1試合につきQBは最大1つしか付与しないこととし、先発投手については本来QSで評価すべきところでもあり、そのリリーフ登板はQBの対象とはしないこととする。

ただしリリーフ投手の自責点の合計を出すときには、先発投手の再登板時の自責点を含めて計算している。これは厳しいようだが、先発投手をQSで評価する際に、リリーフ登板時の自責点は考慮に入れられないためである。

その結果、選手に対するQBの定義は次のようになった。条件数が増えて複雑になったように見えるが、用いる項目自体は投球回数と自責点だけである。

  • その試合のチーム自責点の合計が3点以内の時、登板したリリーフ投手全員にQBを付与する。

  • 上記のほか、その試合のリリーフ投手の自責点の合計が0点の時、登板したリリーフ投手全員にQBを付与する。

  • 1人の選手に付与されるQBは、1試合につき最大1とする。

  • その試合において、先発した投手、投球回数0の投手、及び防御率が4.50を超える投手にはQBを付与しない。

  • その試合のチームごとの合計投球回数が6イニング未満であるときは、QB付与の判断対象としない。

なお、選手個人のQBに入る前にもう一つだけ本稿で用いる指標について説明しておくと、しばしば「救援責任」というものに触れている。これは「救援勝利+セーブ+ホールド」のことで、リリーフして何らかのプラスの責任投手になった試合数、つまり救援責任試合数を略したものである。

ホールドが制定される前の時代であればセーブポイントと同義であり、またセーブ制定前の時代にあっては救援勝利そのものを指すことになるが、この一般的な指標とQBとの対比が、QBの特徴の一つとなる。


それでは実例を見て行こう。前稿で1956年以降を4期に分けたその区分に従って、各期を代表するようなチームを見て、そこから何が論ぜられるかを示していきたい。なお本稿では前稿と反対に、新しい時期から見ていくことにする。

表10-2-1 2017年ソフトバンク投手陣のQBとQB率

まず、今に続く4期目からは2017年のソフトバンク投手陣を取り上げる。サファテがストッパーで54セーブの日本記録を樹立してチーム優勝に貢献、MVPにも輝いた年であり、2勝3ホールドと合わせて59救援責任を記録した。8回を任された岩嵜翔も40ホールドを含む46ホールドポイントで最優秀中継ぎに輝き、2勝と合わせて48救援責任であった。もう一人、森唯斗が33ホールドで36救援責任をマークしてリリーフ陣の柱となっていた。他にはモイネロが15ホールド、嘉弥真新也が14ホールド、五十嵐亮太が11ホールドを記録しているのが主なメンバーである。

これらリリーフ陣に対してQBを集計してみると、サファテが51QBと救援責任より少ないのに対し、岩嵜は54QBと救援責任より数字が増えて逆転する。サファテは66試合中15試合でQBがついていないが、うち6試合は自身の自責点によるもの、残りの9試合は先発リリーフ合わせて自責点4以上が記録されたうえでの登板であった。一方岩嵜は点差のついた展開で最後に起用されるケースなど、ホールドもセーブもつかない場面での登板で14QBを稼いでいたのが大きかった。

残る4投手は森が38、モイネロが23、嘉弥真は32、五十嵐は29となる。特に10ホールド台の、中継ぎ投手としては3番手以降の投手たちは救援責任よりQBが多くなるように見える。これは救援責任が引き分け又は勝っている展開でしかつかないのに対し、QBは負けた試合でも記録されるためと考えられる。自責点3でも負ける展開ならいわゆるタフ・ロスであり、救援責任はつかなくともQBがついて評価に反映されている、といえる。

各選手の数字をQB率(救援登板に対するQB率、以下同じ)にしてみるとサファテが77.3%で岩嵜が75.0%とこの二人が突出している。ちなみに最優秀救援投手のサファテだがQBでは岩嵜に逆転され、QB率だと岩嵜は抑えるものの今度は楽天の松井裕樹に41QBで78.8%とわずかにかわされてやはり2位の涙を呑んでいる。

他の4投手は森が59.4%、モイネロが67.6%、五十嵐が63.0%、嘉弥真で55.2%となっており、QBでは森に1.5倍以上の差を付けられたモイネロがかなり高い数字を出している。森は救援責任のつかない登板が28試合もあるがモイネロは14試合だけであり、このあたりが率になおすとひっくり返る要因のようだ。


表10-2-2 2012年巨人投手陣のQBとQB率

もう一つ、4期からは2012年の巨人を取り上げる。山口鉄也が72試合で44ホールド、西村健太朗が69試合で32セーブとセットアッパー・クローザーに君臨した。救援責任だとそれぞれ52と47となるが、これに対するQBは59と58、QB率でも山口が81.9%で西村が84.1%といずれも非常に高い数値を残している。

それだけではない。3番手の福田聡志は17ホールドで救援責任が25だったがQBにすると40にもなり、しかもQB率も80.0%であった。40QB以上でQB率80%トリオというのは後にも先にもこの年の巨人しかない。またそれ以外でもマシソンが救援責任20から29QB、高木京介が同じく13から23、さらに高木康成は救援責任こそ9だがQBでは27まで伸ばし、田原誠次も9が17と、軒並みQBを稼いだ結果、チームとして111試合でQBをマークしたというのは、史上1位である。

QB率で見ても、マシソンの72.5%を筆頭に両高木が67%台、チーム全体でも77.1%と高く、この年の巨人はQBの観点からはリリーフ投手陣が役割を全うした点で最も評価されるチームであるといえる。


表10-2-3 2007年阪神投手陣のQBとQB率

次に3期の中から2007年の阪神を見てみよう。こちらはJFK全盛時代、特に久保田智之が90試合登板の日本記録をマークして46ホールド、クローザーは藤川球児で46セーブ、そしてウィリアムスが42ホールドという状況で、救援責任にすると久保田55、藤川57、ウィリアムス43となっている。3人以外の数字は低くて江草仁貴の10以外はもう1ケタ、橋本健太郎が9、渡辺亮とダーウィンが8というところである。

これをQBで見てみると、藤川は55だが久保田は大きく伸ばして66、またウィリアムスも49と伸びるほか、江草が27、橋本が20、渡辺が19、ダーウィンが12と、やはり中継ぎ投手は救援責任よりQBのほうが高くなる傾向が見受けられる。

またQB率で見ると、藤川が77.5%、久保田が73.3%、そしてウィリアムスは81.7%と3人とも好成績を残している一方、江草以下の4投手は江草こそ54.0%だがあとの3人はいずれも50%を切っている。先のソフトバンクや巨人と比べても、JFKに偏重している様子が見て取れる。


ひとまず3例を挙げてみたが、以上を見てもいくつかの傾向が見て取れる。リリーフ陣でも中心となる投手はQB率が70%以上を記録していること、そういったリリーフエースに比べて中継ぎ陣、それも3番手以降の投手のほうがQBの数字が伸びること、そして基本的なこととして、セーブやホールドを稼いでいる投手ほどQBも多いことなどである。

上記の傾向を検証するために、ホールドが現行制度になった2005年以降に1試合以上リリーフ登板した延べ4432投手の年度別成績と、そのうちQBを1以上記録した延べ3496投手の年度別成績を基に検証してみた。

表10-2-4 QB率と達成人数

まずQB率についてである。4432投手の平均QB率は52.0%であった。このうち、1シーズンにQB率80%以上を記録したのが延べ324人、70%以上だと546人、60%以上なら1063人となる。ただしこれらの中には100%という投手が264人含まれている。このうち216人はリリーフ1試合で1QBという100%であり、100%中の最多でも2022年の藤浪晋太郎の6QBでしかない。

そこで1シーズン10QB以上の投手延べ1567人に絞ってみると、80%以上は47人で3.0%、70%以上は232人で14.8%、60%以上は607人で38.7%となる。一定のQBを記録してなお7人に1人ということを考えれば、70%以上で一流というのはあながち間違いではないだろう。80%以上が超一流というのは言うまでもない。

表10-2-5 救援責任とQBの関係

次に中継ぎ陣のほうがQBが伸びるという点だが、2005年以降に記録された救援責任、つまり救援勝利とセーブとホールドの合計31361に対して、この間のQBは延べ46247に上っている。実に救援責任の1.5倍でQBのほうが14886多いわけであるが、一方この46247QBのうち、負けた試合で記録されたQBが14220あった。

ホールドのうち20%近くが負けた試合で記録されている点で多少割引く必要はあるにせよ、救援責任とQBとの差の多くは、負けている展開で登板した中継ぎ投手の好投が評価されたものだと考えられる。これ自体は勝敗に関係なく評価するというQBの目的とも一致する。一方、クローザーの登板は大半が勝利時であるため、従来の評価法である救援責任以上に新たに評価の増える余地がなく、かえって大量点どうしの試合でQBがつかないなど、記録条件の違いが増減に反映されているということだろう。

図10-2-6 救援責任とQB(1以上)の分布

最後に、救援責任とQBの関連性についてであるが、4432人全員における相関係数を調べたところ、0.940という極めて高い正の相関関係、つまり救援責任が多いほどQBも多くなる関係にあるということがほぼ確かであると確認できた。また対象を1QB以上の3715人に絞っても0.938と同様であった。

ホールドやセーブが多い投手ほどQBも稼ぐ、というのは予見できることでもあるし当然と言えば当然かもしれないが、それでも記録の達成条件が全く異なる両者について改めて関係性の裏付けが取れたことは重要な意義がある。


救援責任とQBの相関が強いとなると、既に救援責任が判明している現状下で、似たような指標であるQBをわざわざ求めるのは無意味だと思うかもしれない。だがこのことは、ホールドやセーブが制定されていなかった時代の選手を評価し比較する際に非常に有効である。

ホールドやセーブが制定されていなかった時代の選手を救援責任で比較するためには、ホールドやセーブを遡って算出しなければならない。その場合、登板時の得点差やランナーの状況などの角煮が必要なケースも多く、時に文献を細かく読み込まないと分からないケースも出てくる。だがQBだと投球回数と自責点さえ分かっていれば算定できる。この2項目はランナーの状況などと比べると入手がかなり容易な情報である。

というわけで救援責任とQBの相関の強さは過去との比較において有意義なことである。この後追いのしやすさはQSの特徴でもあったが、これを引き継いでいるところにQBの強みがあると筆者は考える。


以上の知見を踏まえて、ホールドやセーブがない時代のリリーフ投手陣をQBで評価してみよう。まずはわかりやすいところで、1998年の横浜のケースである。「大魔神」佐々木主浩が、ストッパーに君臨して1勝45セーブの大活躍でチームを38年ぶりの優勝に導いた活躍でMVPを受賞したことは、まさにこの年の横浜を強く印象付ける事象であった。

一方この優勝では中継ぎ投手陣の充実ぶりもクローズアップされた。まだセットアッパーの固定やイニング単位といった現在の起用方式は定着していない時代であったが、横浜では佐々木の他に島田直也、横山道哉、阿波野秀幸の3投手が50試合以上に登板、また関口伊織と五十嵐英樹も40試合以上に登板(関口は8月以降先発に回る)し、権藤博監督の起用方針とこれに応えたリリーフ投手陣は高く評価された。

表10-2-7 1998年横浜投手陣のQBとQB率

成績としては島田が6勝1セーブ、横山と阿波野が4勝、五十嵐が5勝1セーブ、関口はリリーフで1勝であった。これらをQBで評価していくと、佐々木は42となる一方、島田は28、横山は29、阿波野は23、五十嵐は20、そして関口が14となるほか、河原隆一も救援責任8が12QBとなり、斎藤隆は救援責任8が9QBである。

ホールドが分からないながらも、中継ぎ陣が軒並みQBを稼いでいる様子は現代のリリーフ陣と共通する傾向である。一方、セットアッパーとしてクローザーと同等以上のQBを稼ぎ出すような投手がいるわけではないのは、2007年の阪神と同じ3期にくくったとはいえ、大きな違いである。QB率を見ても、佐々木こそ12球団トップの82.4%を記録しているものの次は島田の54.7%、以下軒並み40~50%台にとどまっている。

これは、島田と横山が共にQBを記録したのは8試合しかないなく、阿波野と五十嵐も5試合しかないなどリリーフ陣内でのローテーションや連投抑制は行われていたものの、4投手とも投球回数が1イニングを超えた試合が10試合以上あるなどイニング限定起用は導入されていなかったことが原因であろう。


表10-2-8 1988年のQBランキング(上位20位)

さらに10年遡り、今度は1988年を見ていこう。QBの期間としては2期の後半である。この年リーグ優勝した中日では、ストッパーの郭源治が7勝37セーブの44セーブポイントをマーク、これは日本新記録だった。この郭は44QBのQB率72.1%でありQB率は12球団トップの成績であったが、QB数では大洋でリリーフエースをやっていた中山裕章が10勝24セーブ、47QB(67.1%)をマークして郭を上回る12球団最多QBであった。

他には近鉄の吉井理人が10勝24セーブで34QBの68.0%、南海の井上祐二が8勝20セーブで34QBの66.7%、ヤクルトの伊東昭光が18勝17セーブで34QBの61.8%と、当時リリーフエースとしてトップクラスの数字を残したストッパーは、回跨ぎの起用など現在と違う部分もあるとはいえ、記録の比較の点では現在のクローザーと同等の値を残している。

しかし全体的に見ると、10QB以上の投手はストッパーを含めても12球団で38人しかいない。2017年の88人と比べると半分以下、1998年の58人と比べても3分の2である、QB率でも10QB以上で60%を超えたのが8人しかおらず、ストッパー以外では上原晃と河野博文ぐらいである。これらはやはり中継ぎ投手の起用方法が現在に比べてまだ整理されていなかったからであろう。

このことはQBを記録した試合数にも表れている。郭の活躍で中日は130試合中74試合でQBを記録し、2位大洋の60試合を大きく引き離していたが、例えば1998年は12球団中10球団が60試合以上でQBを記録しているし、2007年は最少がヤクルトの64試合であり、2012年に至っては最少ですらヤクルトの81試合という具合である。


次に取り上げるのは1979年、2期のコアに位置付けられる時期である。リリーフ専任となって甦った広島の江夏豊が9勝22セーブで最優秀救援投手となり、さらにMVPも獲得した。リリーフ専任投手のMVP受賞は史上初であり、これでチームの優勝に貢献した江夏が「優勝請負人」の名声を築く足がかりの年であった。

表10-2-9 1979年のQBランキング(上位20位)

その江夏は32QBだったが、広島では他に大野豊が5勝2セーブながら24QBを記録したほかベテランの渡辺秀武が2勝2セーブで19QBであった。次は三輪悟の8QBなので全体的な数字としてはあまり高くないが、それでも55試合でQBを記録したのは、巨人、中日と並んで12球団トップタイであった。

その中日では小松辰雄が6勝16セーブで29QBと江夏を脅かしていた。巨人は角三男の19QBが最多だが、新浦寿夫が先発メインながらリリーフでも1勝5セーブで12QB。、少ないながらQB率70.6%はこの年10QB以上の投手中最高であった。ただ、新浦以外には70%はおろか60%台すらおらず、小松で53.7%、江夏で58.2%、大野に至っては44.4%であった。

パリーグでも同様で、最優秀救援投手となった南海の金城基泰が4勝16セーブながら31QBで58.5%と江夏に匹敵する数字だったがあとは阪急の永本裕章が2勝3セーブの14QBながら58.3%というのが目立つ程度、優勝した近鉄では山口哲司が救援で注目されたが、4勝4セーブの13QB、50.0%とやはり高くない。QBの数も率も奮わないところは、さすが2期の時代と思わせる。


上に挙げたメンバーの中で、新浦が先発28試合に救援17試合と起用されて高い率を残したのは、ちょっと前時代的なところがある。これは2期の前半にあたる1972年の各投手を見ていくとよく分かる。

表10-2-10 1972年のQBランキング(上位20位)

例えば23勝を挙げて防御率3位だった阪神の江夏豊は、49試合に登板したが先発31試合の他に救援が17試合あり、4勝で13QBだったが救援率は72.2%だった。同じく大洋の平松政次は13勝15敗、防御率では16位と決して良くはなかったが、41試合中15試合の救援があり4勝で13QBまでは江夏と同じだが、QB率は86.7%にも上った。

パでも最多勝に輝いた阪急の山田久志が43試合中救援が18試合で4勝の11QBながらQB率は68.8%、最優秀防御率となった近鉄の清俊彦も先発26試合に救援19試合、7勝の13QBでQB率は68.4%だった。

こういった起用法は前時代の「エース重点起用戦術」そのものである。これは、エース級の先発投手が、他の投手が先発した試合ではリリーフとして控え、リードを奪った直後やその後のピンチに出てきて抑え込み逃げ切り勝ちを図るという起用方法である。しばしば登板間隔や先発ローテーションを無視した起用法は投手の酷使につながるものだが、この時代でもこれが行われ、またそれが受け入れられる土壌がまだ残っていたことが分かる。

一方、近代的なリリーフエース的存在もいないわけではなかった。その代表は南海の佐藤道郎と中日の星野仙一で、佐藤は65試合中63試合にリリーフで交代完了が44試合、星野は48試合すべてリリーフでうち43交代完了といずれも抑えの切り札であった。ともにリリーフで9勝していたが、佐藤は35QBのQB率55.6%、星野は32QBの66.7%でそれぞれリーグのトップ、30QB以上はこの年この2人だけである。

なおQB率のあまり高くない佐藤であったが、1970年の入団から1976年までの7年間で30QB以上を5回、70%以上を3回記録しており、この年がむしろ例外的に低かっただけで全体を見ればリリーフ投手として一流クラスの数字を残していたことは補足しておく。


表10-2-11 1965年のQBランキング(上位20位)

さていよいよ1期の時代から、1965年と1961年の状況を取り上げる。まず1965年であるが、この年は登板の大半が交代完了という投手が3人も活躍し、QBでもQB率でも上位を占めた。その中でも有名なのは「八時半の男」のニックネームがついた巨人の宮田征典だろう。

宮田は20勝中19勝をリリーフで挙げたが、現行ルールを適用すれば22セーブ4ホールドを記録していたことが確認されている。その救援責任45に対して48QB、QB率71.6%は現代のリリーフ投手にも十分伍する数字であった。チーム優勝の投の主役として王貞治とMVPの座を争い、近代的なリリーフエースの嚆矢と評されるのも当然のことである。

他にも広島の竜憲一は救援で17勝、さらに11セーブ1ホールド相当ということで救援責任29に対して38QB、QB率65.5%を記録し、中日の板東英二は10勝に11セーブ2ホールド相当を加えた救援責任23に対して31QBでQB率66.0%と、いずれもリリーフエースとして十分な数字を挙げている。

これ以前にもこういった選手がいなかったわけではないが、試合数の3分の2以上が交代完了という抑え投手(ここでは宮田と竜)が30QB以上という実績を残したのはこの年が初めてであり、その点でも1965年は逃げ切って試合を締めくくるという形を専業の抑え投手に委ねるという、継投策の新たな扉が開かれた年と位置づけられるだろう。

もちろん、従来型のエース重点起用戦術で使われる投手もいた。例えば東映の尾崎行雄は61試合中24試合の救援で、4勝で17QBながらQB率は70.8%と宮田に匹敵する数字を残していたし、大洋の高橋重行は59試合中29試合の救援で、9勝で20QBを挙げて69.0%とそれなりの好成績であった。


表10-2-12 1961年のQBランキング(上位20位)

そういった投手がむしろ主流の、エース重点起用戦術の華やかなりし時代として取り上げるのが1961年である。もっとも当時はエースに限らず戦力となる投手は多かれ少なかれ先発と救援を掛け持ちしていた。その中で勝利が求めてより強い投手が集中的に起用されるようになっていった結果として、エースが最も起用され、また最も起用される投手がエースとされた。

その代表的存在が、西鉄の稲尾和久と中日の権藤博であった。稲尾は現在のセットアッパー並みの78試合に登板して404回を投げ42勝の日本記録を作ったし、権藤は69試合に登板して35勝、稲尾を上回る429.1回に投げて新人王を獲得している。

その稲尾は78試合中先発が30試合、救援が48試合の活躍で、42勝のうち18勝が救援勝利、30QBでQB率62.5%とリリーフ専任投手並みの数字を示した。権藤は「権藤権藤雨権藤」のとおり先発がメインで、69試合中救援は25試合と救援のほうが少なかったが、救援勝利7に対してQBは18ながらQB率は72.0%と一流の数字であった。

この二人以外でも、この年だけでも中村稔が稲尾のように63試合中39試合の救援で8勝ながら27QBを挙げていたり、久保田治が権藤のように55試合中21試合の救援で5勝の17QBではあるがQB率81.0%を記録していたり、他に土橋正幸、梶本隆夫、大石清、金田正一…とこの手の投手は枚挙にいとまがない。

また、逆に救援逃げ切りをメインとしながら時に先発でも起用される、というパターンの投手もいた。その筆頭は大洋の秋山登であり、権藤と並ぶ69試合登板とはいえ先発は17試合だけ、交代完了38と救援勝利15がリーグトップとリリーフに重点を置かれていた。QBは12球団最多の35を記録してQB率も67.3%と好成績を記録している。

では逆に救援専門という投手はいなかったかというと、いないわけではなかった。代表的なのは南海の皆川睦男で、51試合中47試合が救援登板で救援勝利15勝に対して30QBで63.8%と、救援専門の投手では唯一30QBをクリアしていた。他に阪神の渡辺省三や東映の橋詰文男などもいたが、全体的に見るとあまりいい成績は残していない。

この年10QB以上の選手について、登板の3分の2以上が救援という投手はQB率が53.2%だったのに対し、それ以外の投手は61.3%、さらに登板の半分以上が先発という投手では68.2%であった。救援専門の投手よりは先発救援掛け持ちの投手のほうが一般にQB率が高く、「先発投手は一流、救援投手は二流」という当時の一般的な意識とそれに基づく起用のされ方が浮かび上がってくるようである。


最後に、シーズン最高記録や歴代通算記録といったところについて見ておきたい。

表10-2-13 シーズンQBランキング(上位20位)

シーズン最多は2011年に中日の浅尾拓也が記録した69QBである。7勝10セーブ45ホールドで救援責任は62だったがこれを上回り、しかもQB率87.3%も極めて高く、リリーフ投手の一つの完成形という感じである。2位の2007年久保田智之と共に、シーズン60QBを記録したのはこの2人だけである。

50QB台は延べ36回記録されている。山口鉄也と西村健太朗の巨人コンビは2012年の項目でも取り上げたとおりだが、2013年にも53QBと59QB、82.8%と83.1%とハイレベルな方程式を2年続けていた。山口は2009年にも56QBを記録していたが、50QB以上を2005年から4年連続で記録したのが藤川球児で、当時の圧倒ぶりがしのばれる。

表10-2-14 40QBを5回以上記録した投手(上位20位)

藤川はその後も含めて8年連続30QB以上であったが、連続記録で言えば1999年の入団以来2013年まで15年連続30QB以上という岩瀬仁紀がなんといっても図抜けている。うち50QBが1回に40QBが9回と内容も素晴らしかった。山口も2008年から2015年まで8年連続30QB以上でうち40QB以上を6回記録していたほか、サファテとマシソンが2013年から2017年まで5年連続40QB以上を揃って続けたのも光る。

表10-2-15 QB率90%以上の投手(100%の選手はQBの少ない選手を除く)

一方QB率でみると、100%の選手も600人以上いるには居るが大半は10QB以下とあって手放しには評価しづらい。野口二郎が1940年に26QB、1941年に22QBでQB率100%を達成しているが、投高打低の戦前とあって1940年のチーム防御率は2.00、1941年のチーム防御率は1.33であったから、野口は確かにすごかったにせよ、QB率の高さだけで現代と同じにとらえるのはちょっと難しいかもしれない。

100%に続く95.5%を記録したのが意外や1975年の村田兆治である。先発でスタートしたが後期から抑えに配置転換された結果、先発17試合で7勝、リリーフ22試合で2勝13セーブの数字を残した上セーブと防御率2.20で二冠を獲得してリーグ2位の21QBを記録していた。QB数は高くないが時代的にはむしろ評価されてよいQB率ではある。

QBとQB率双方が高レベルな投手としては2011年の浅尾がまさにそうであるが、他には2014年のサファテと2022年の平良海馬がそれぞれ50QB以上かつ85%以上というハイレベルな数字を残している。


表10-2-16 通算QBランキング(上位30位)

次いで通算記録である。宮西尚生を筆頭に現役選手が8人入っておりまだまだ変動を続けているランキングでもある。2022年末現在で通算300QB以上の投手は19人いるが、既に山崎康晃と松井裕樹が2023年中に300QBを達成している。

1位はシーズン記録の連続記録で名を挙げた岩瀬であり、698QBは2位の藤川を大きく引き離してアンタッチャブルの域に達している。通算QB率69.7%も非常に高い率であるが、QB数では半分以下とはいえ16位サファテの73.5%というの数字もまた他を圧倒している。

最近の選手が多いランキングの中で、7位の鹿取義隆などはホールド制定以前の投手、10位の江夏豊はセーブ制定以前の時代も経験した投手である。そんな中セーブもホールドもなかったエース重点起用戦術時代の稲尾和久が284QBで28位に食い込んでいるのはさすがと言える。

いずれにしても現在の投手がランキング上位を占めるのは、リリーフ投手の起用法が進化し続ける中で、QBがそれら投手の評価に適しているからということもあるだろう。だからQBが良いというわけではなく、救援責任との相関性を考えると、現代にあってはセーブやホールドを使うことでも十分に選手の評価ができていることの裏返しであろう。


以上見てきたように、QBは各時代の起用法を踏まえつつ、リリーフ投手の成績を割合フラットに評価できるのではないかと思うのだが、いかがだろうか。とはいえ欠点も論理的ではない部分もあり、これが唯一最高の指標とも思わないし、ベターですらもないであろう。あくまで筆者の思い付きであり、ただただ肩の力を抜いて見ていただければ幸いである。そんな意味で、最後にQBの珍記録を一つ紹介したい。

1954年7月25日の大阪対中日13回戦は2-2の延長戦から10回表に中日が3点を取って勝負あり、試合は中日の勝利となった。のだが、実は10回裏にファウルチップ落球の判定が覆ったことをきっかけに大阪側と審判団が揉めた末にファンの乱入もあってとうとう収拾がつかなくなり、没収試合となった。俗に(第二次)難波事件と呼ばれる一幕である。

9-0で中日の勝利となったものの当時の制度により選手記録は表裏の完了していた9回までとなり、10回表の中日の攻撃は無効、児玉利一の適時二塁打も杉山悟の2ランも幻となった。ところがこれで大阪投手陣は10回自責点5のはずが9回自責点2となり、おかげで救援の渡辺省三と2ランを打たれていたはずの駒田桂二にはQBがつくことになった。

消えてなくなる幻の記録は数あれど、復活する記録というのは滅多にないものだろう。

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