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旅にフレーム♯1『植田正治に出会う旅』

写真家、植田正治をご存知ですか?

鳥取砂丘を背景にしたモノクロの人物写真を、
一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

彼の写真を知らなくても、鳥取県の大山山麓にある植田正治写真美術館を知ってる方もいらっしゃるのでは?

今回は、植田正治先生に出会うことができたお話。

植田正治(うえだしょうじ)
写真界の巨匠・故・植田正治は、世界で最も注目された日本人写真家です。
生地(鳥取県境港市)を離れず、山陰の空・地平線・そして砂丘を背景として、被写体をまるでオブジェのように配置した植田正治の演出写真は、写真誕生の地フランスで日本語表記そのままにUeda-cho(植田調)という言葉で広く紹介されています。アマチュア精神を抱き続けた偉大な写真家の軌跡は、まるで日本の写真史そのもののようでもあります。

出典【植田正治写真美術館より抜粋】

写真教室を17年に渡り運営してきた私が、
写真と共に旅を振り返る【旅にフレーム】
シリーズです。

企画意図は、仕事や生活の中で、テーマを設定すると世界に枠(フレーム)が現れて、想像力で補完し捉えた世界に意味や役割が生まれることがある。旅もそうだよね、ということで過去の旅をnoteでシリーズ化してみる試み。

第1回目は『植田正治に出会う旅』。

(尚、この記事は株式会社青春website
【社長日記】の内容を再構成したものです)

旅の舞台は鳥取境港。
旅の目的は、ある人に出会うこと。


植田亨さんとの出会い

私たちが会いたかった人。
植田正治先生の三男である植田亨(うえだとおる)さん。

有名な、弓ヶ浜での家族写真「ぼくのわたしのお母さん」(1950年)で、先生に肩車されている坊ちゃんが亨さんです。下リンクに写真↓

この旅で、植田亨さんを通して、
写真家・植田正治に出会うことができた。

はじめに、植田亨さんと繋がるきっかけとなった出来事を書きます。

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ある日の写真教室。私は課題を出しました。

テーマは「写真家の写真を真似てみよう」。

10人ほど写真家の名前が入ったくじを引き、
引き当てた写真家の写真を1枚選び完コピをするという、青春写真教室の名物課題のひとつです。

森山大道、荒木経惟、浅田政志、蜷川実花、
ライアン・マッギンレー、杉本博司、
その中に植田正治の名前もありました。

たまたま「植田正治」のくじを引いたのが、
生徒のOさん。

「完コピは写真を真似るだけではない」

課題の本質に気づいた彼女は「植田正治をもっと知りたい」と、鳥取まで足を運びました。

植田正治の生家の前で、うろうろしていた彼女に気づいたある写真家の方が「今、植田先生の自宅で撮影会をしてるんだけど、よかったら一緒にお家入る?」と声をかけてくれたそう。

自宅に招かれ、そのとき初めて出会ったのが植田亨さん。そこから彼女と亨さんの交流が始まり、
そのご縁を私へと繋いでくれました。

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いざ、鳥取へ

2018年。
事前に享さんに連絡した私たちは、鳥取へ向かいました。亨さんは、わたしとビア子さんを快く迎えてくださいました。

国登録有形文化財にも指定されている、美しい古民家の扉をくぐると、玄関で出迎えてくれたのは、作品にも使用された黒いハット。

リビングに繋がる部屋には、先生愛用の8×10の大判カメラが鎮座。

そして奥の仏間には先生の写真が飾られていた。

先生のお仏壇に手を合わせる日がくるとは、
夢にも思いませんでした。

植田家に残る、様々な美術品や民芸品コレクション、愛用のカメラやジュラルミンケースも見せていただきました。

植田先生はシャツが大好きだったそうで、
たくさんのシャツが丁寧に保管されていました。

リビングに戻ると、亨さんが言いました。
「さて、何が見たいですか?」

わたしは答えました。
「植田正治先生の写真が見たいです。」

すると、亨さんは大切に保管された箱を奥から持って来てくださいました。
中には、数々のネガやオリジナルプリント。

誰もが知る名作から、未発表の作品、
有名な写真の前後のカットなど、大変貴重な写真の数々を見せていただきました。

特別な時間。
感動を飛び越え、声が出ない。

すべて先生が焼いたオリジナルプリントです。
よく観察すると、細部に試行錯誤の後が
見て取れる。

かれこれ1時間以上、
夢中でプリントを見ていたと思います。

植田先生は、暗室に篭っては
新しい試みに挑戦していたそうです。

特に、ある1枚の家族写真は印象的だった。
植田先生が焼いたプリントの左上に、指紋がくっきりと残っている。
これはミスではない。先生が意図的にやったものに違いない、と亨さんの分析。

家族写真に、自らの痕跡を残す試みだった。

他にも、
影を意図的に伸ばし物語性を高める作品などもあり、暗室ワークのみで様々な試みをされている。

写真をやる人ならわかると思いますが、
誰にも気が付かれなくても、細部に本質やこだわりを潜ませることがある。
鑑賞者がそれに気付いてくれた時、めちゃくちゃ嬉しいんですよ。

写真を見る私たちに向けて
「どうです?わかりますか?」
と問いかけ笑う、先生の顔が浮かぶ。

亨さんが写真をじっくり観察しては発見し、
その謎を解明する。

時代を超えて親子で会話しているようだった。

ああ、植田正治先生もまた写真少年なんだ。

この旅で、植田正治という日本写真史に
永遠に刻まれる写真家が、とても身近に感じた。

先生が過ごした、光の入る天井の高いリビングで、生活の匂いや彼の愛した民芸品・たくさんのカメラに触れることで、まるで植田先生がすぐそばにいるような、温かい感覚がありました。  

私たちは、この旅で、
植田正治に出会うことができた。

おまけ/2度目の訪問with students

数ヶ月後、私はこの感動を自分の中で留めておくことができず、写真教室で鳥取ツアーを企画。

亨さんは快く引き受けてくださり、
生徒さんを引き連れ、34人でお邪魔しました。

鳥取砂丘、植田正治写真美術館、植田正治邸、
植田カメラ、弓ヶ浜と先生の足跡を巡りました。

植田正治的な集合写真を撮ったり、
バス車内では植田正治にまつわるクイズ、
旅の期間中、わたしたちは植田先生一色でした。

植田正治先生が着用していたジャケットをもらったり、植田カメラでは、古いフィルムカメラをもらった生徒さんもいた。(羨ましい笑)

こんな短いまとめでは到底収まりきらないくらい、生徒のみなさんにとって、また青春写真教室にとっても特別な1日でした。

亨さん、本当にありがとうございました。

尚、植田正治の生家は2024年現在一般公開されておりません。突然の訪問などはご遠慮くださいますようお願い致します。

植田正治のベス単

こぼれ話をひとつ。

この旅の途中、亨さんが私に、とあるレンズを手渡して
「このレンズで撮ってみたら?」
とおっしゃった。

ちょっと待って、、、
これ伝説のベス単じゃない!?

アマチュア写真家たちの間で流行したのが、「ベスト・ポケット・コダック」という単玉レンズ付きカメラ、通称「ベス単」の、レンズフィルターのフードを外して撮影することで得られる独特のソフトフォーカス効果を使った写真です。

出典【美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ】

植田先生が作品撮りにも使っていたレンズ。
このレンズで撮影できるなんて、そうあることじゃない。いや、これからも一生ない(笑)

ということで、30分ほど、
先生のベス単をマイカメラに取り付け、
撮ったのが下の3枚です。(自慢)

絶妙なソフトフォーカスと風合いで、
不思議なレンズでした。
このレンズで森を撮りたい。。。

下は、植田正治先生がベス単で撮影した
「ベス単写真帖白い風」のリンクです。
よければご覧ください。

個人的に、植田先生のカラー写真シリーズもすごく好き。

写真家はヒーローなんだ

野球少年にとってのプロ野球選手のように、
私にとって写真家は、憧れのヒーローそのもの。
植田正治先生は、例えるなら王貞治。

(ちなみに浅田政志さんは大谷翔平)

写真が日常化し使用用途も多様化した今、
写真が身近な存在になった一方、「写真表現」のジャンルは少しずつ縮小しているように感じます。

それは、とても寂しいのです。
日本にも、素晴らしい写真家たちがいる。

植田先生が掲げた「生涯アマチュア」。
私も生涯アマチュアとして、写真を撮らない写真家として、私なりの方法で写真の素晴らしさや写真家のことを伝えていきたい。

その一端を感じていただけるように、
noteでも発信してみようと思います。

今回も長い文章にお付き合いいただき、
ありがとうございました。

それでは、ごきげんよう。