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覚悟をするということ

父が長くない。今日病院から「今すぐどうこうではないが、いつどうなるかわからない。心の準備を」と連絡があった。
夏に体調を悪くしてから、一気に弱っていった。正直、夏の段階で私は悪い予感が働いていた。だから、夏は目一杯遊んで、それを父に報告して、また父が一緒に出かけられるように、ともくろんでいた。
でも、ダメだった。
いつどうなるかわからない、の「いつ」がはっきりした余命宣告じゃないのがまた悩ましい。もしかしたら先週の手術の時に「1年は難しい」の1年はどうにかなるのかもしれないし、今すぐじゃないけど来週の可能性もある。こればっかりは父の体がどこまで頑張れるかだ。
延命について、父が退院できたら話し合おうと言っていたが、叶わずに、このまま私と母で決めた「回復の見込みが極めて低い場合延命はしない」が本人の意思であろうとの推察で採択される。元々望んじゃいないのは知っている。それに、苦しんでほしくない。延命は、その先が大変なのを知っている。
68歳。本当は現役で働いていた。最後まで働かせてあげたかった。
70歳まではどうにかこうにか、と思っていた。

さて、この場合の心の準備、覚悟とは何になるのか。
父がいなくなる喪失感?それは当然ある。今も入院しているとはいえ、生きている。だから会えるし話せる。連絡ができる。いなくなることに私は耐えられるのか。実家暮らしの親離れできずにいる私が。
それでも働かなくてはいけない。母は専業主婦が長い。私が母の生活を支えていくことになる。
けれど私は病気の都合で正社員じゃないし、正社員は難しい。それでも、その中で働いて支えていくしかない。頑張るしかない。
世帯主になる覚悟をしなくてはいけない。それから、そうなったときに母を支えるのは長女である私の役目だ。
それでも、どうしても今月末と来月頭は自分の仕事の都合で何もできない。そこだけ妹に託した。すまん、妹。私は同じ理由で祖父母の3回忌か何かを行かずに任せた。

父には長生きしてほしかった。せめて祖父母と同じくらいには。70歳を迎えてほしかった。今も願ってる。それしかできない。
親不孝な娘なので、親孝行はそんなにできなかったが、それでも、娘として、ちゃんと一緒にいるから。

覚悟はまだできていない。正直まだ無理。追いついていない。
それでも、それでも、どうにか1日でも長く生きて。名前を呼んで。

これを乗り越えてきた人たちを本当に尊敬する。

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