まるいの

アラフォー実家暮らしの喪女。あれこれ心身に問題抱えながらどうにか生きてる。壊滅的に料理…

まるいの

アラフォー実家暮らしの喪女。あれこれ心身に問題抱えながらどうにか生きてる。壊滅的に料理が出来ない。 腐女子でミュヲタ(not2.5)でヅカヲタ。舞台と福祉と教育と色々な現場にいる。 体力がないのにワーカーホリックで頼りにされないと不安になるという壊滅的な性格。

最近の記事

優しい世界

ありがたいことに、優しい世界に恵まれている。前世の私、頑張って徳を積んだかしら。それくらい本当に恵まれている。 何度か書いたが反復性うつ病を抱えており、よくわかんないタイミングで再発する。前兆はあるので、そのタイミングで仕事を休ませてもらうことがある。人がいる日にするようには努力しているけど、完全につぶれる前に休むようにしている。 そんな突発的な当日欠勤の連絡を受け入れてくれている。一応上司には話してある。普段通り過ごしていても急にダメになって動けなくなると。それを知った上で

    • 血は争えない

      某知識集団のオンラインクイズイベントに出場した。赤点の女王の名を欲しいままにしていたこの私がである。本当に頭の出来が悪い。テストの残念な点数は思い出すのも嫌だ。それくらい勉強は苦手だ。好きなことも繰り返し毎日のように見ていないと覚えられない。そもそもの記憶力が悪い。 と、およそクイズには向かない人間である。またヲタクなので予定をはじめとするガンガン入れてしまうのと、人見知りMAXなのでそんなところに足を運ぶことは一生ないと思っていた。 幼い記憶で両親が何かのクイズ番組に出てい

      • 眠れない夜に

        元々寝るのが下手くそです。寝付きが異常に悪い。 若い頃はそれも体力と気力でどうにかカバーできてしまっていたのですが、さすがに30代入ってからはそれができなくなり、そもそもロングスリーパーの気質があるんだよね、ってところで……。 まぁお察しの通り、睡眠導入剤が必須となったわけです。寝るのに1時間かかるのは当たり前だと思っていた。のび太は特別な才能だと。でもよく考えたらうちの母親一瞬で寝るから分かり合えなかったわ。 で、飲んでどうにかなるかと言えば、別問題で。眠気の私の体内の波と

        • 一歩踏み出す

          お陰様で税務署に提出した相続税の書類も無事に通過したようで、粗方終わった。後は来年度にもう一件だけやることがあるが、まぁ良しとしよう。 短歌の勉強をしている。というか書き殴ってる。元々文章を書くのが好きだ。けれど、ブログほど何か長く書くのも違うし、Twitter(私はそう呼び続ける派)にただ感情を書くのも違うと思った。そこで出会えたのが短歌だった。 まだ書き始めて半年程度の初心者マークだけれど、今いっぱい書いて練習して、他の人の作品に触れて学んでいる。語彙力増やしたい。 人

        優しい世界

          習慣?ルーティン?こだわり?

          どこに行っても謎のルーティンができあがる。気が付く人もいればそうでない人もいるが、何度か指摘をされている。それくらいわかりやすく行動を限定する癖がある。 これを習慣と呼ぶのかルーティンと呼ぶのか、それとも一種のこだわり行動や常同行動なのかはわからない。ただ、それに安心感があるのだと思っている。 今の日常生活で言うと、帰宅してからの流れがわかりやすくそうなっている。 帰宅をして靴を脱ぐとまずマスクを外してゴミ箱に棄てる。それから靴下を脱いで洗濯かごに投げ入れる。鞄を廊下に置く

          習慣?ルーティン?こだわり?

          結婚しなくて何が悪い

          アラフォー、30代最後の年を迎えて早数ヶ月。昨年父が亡くなり、色々なことがバタバタとあり、明日妹が印鑑証明書と遺産分割協議書に印鑑とサインをしてくれたので、税務署に行った。この相続税のあれこれが通れば一連のお役所関係は終わる予定でいる。 持ち家の関係で、税理士さんに頼むとそれなりの報酬額が発生し、ここから先私の1馬力で母を支えるには減らしたくなかったため妹と頭を抱えながら頑張って計算をした。 マジでしんどかった。税理士さんって凄いのね、と専門職の偉大さを噛みしめていた。でも自

          結婚しなくて何が悪い

          今何時?

          相変わらず昼夜逆転とは言わないが、一般の人と4時間くらいズレた生活をしている。良くないのはわかっているのだが、夜更かしが止められない。 日中に満足できていなくて夜に好きなことをして埋め合わせている、というわけでもない。どんなに楽しいことを昼間にしていても夜寝ない。寝るのが怖い。でもロングスリーパー。最悪の状態である。 無理矢理早起きするようにすれば治るのでは?と思う人もいると思う。そんなことはとっくにやっていて、そもそも早起きしないといけない場面なんて腐るほどある。けれどダメ

          去る君へ

          若いのが1人辞めるそうだ。 どうすれば止めなかったりと思うか、社長に聞かれた。正直なところ、答えはわからない。 その子は私とはまた違う形でメンヘラだった。とても自己肯定感低く、自己評価も低く、他の人に褒められても決してそれを上手に受け入れることができなかった。 それでもそれなりにフォローはしてきた、と思う。本当にフォローになっていたのかは本人しかわからないが。 うちの会社が肌感として合わないと感じたのであれば、それはもう致し方がない。1年もたなかったというのはそういうことだと

          メンタルケア

          ストレスと疲れで過食に走る人間です。そして睡眠をおかしくする人間でもあります。自傷は後で面倒なのを知っているのでしませんが、いっそ誰か刺してくれと思う瞬間はそこかしこにあります。ミスの1つで死にたくなるくらいにはボロボロな鬱を抱えながら薬を飲んで生きています。 この3月4月はめまぐるしくわかりやすく忙しく、頭が正常に回っていません。伝達ミスを珍しくしでかして、かなり落ち込んでいます。失敗した。ちゃんと気が付かなかった事も悪いし、同時に、その内容を他のスタッフに正しく伝達できる

          メンタルケア

          育成難しい

          気が付いたら年度末突入です。くそ忙しい、というか、考えることが多すぎてしんどい。 壁打ちをしたり議論する相手が社長になってしまうので、難しい。それは私の役職上どうしようもないのだが、話し合える同僚とか同期とか部下が存在しないので、なかなか大変だ。 後輩の育成が下手である、ということではないと思う。少なくとも現場に出て働いている後輩たちはとても逞しく頼りがいのある存在になっている。 だが、総務の仕事だけは難しかった。誰にもおろせなかった。役職奪いに来いと言っていたが、正直なと

          育成難しい

          その日が来た

          父が亡くなりました。誕生日からちょうど1ヶ月後。68歳を1ヶ月だけ堪能して、この世を去りました。 正直、その前日に会ったときに最後だなという予感はありました。当たらないでほしかったな。そんな予感。 最期を見られたくなかったのでしょう。これ以上できなければマズいとのことで強行することにした透析のために透析室に入ってから心配停止になりました。私は仕事で「明日はいないよ。明後日来るからね」と言っていたので、これ幸いと思ったのかもしれません。本当に困ったものです。 本当に夏に肝臓が一

          その日が来た

          その日が近い

          前回父のことを書いたが、月曜日に「今日明日急変してもおかしくない。2週間はもたない」という宣告を受けました。 月曜日から家族交代で泊まり込みしています。 私は正規雇用ではないのと諸々で有給の残りがそんなにないので、少しでも仕事に行ってから病院に来ている。妹は職場で言われていたタイミングなので有給消化してくれている。 本当は仕事が立て込んでいて、いっぱい動かなくてはいけないタイミングなのだが、こればっかりは難しい。 病院が微妙に遠いのだ。県跨ぎ。1時間は最低でもかかる。つまり終

          その日が近い

          覚悟をするということ

          父が長くない。今日病院から「今すぐどうこうではないが、いつどうなるかわからない。心の準備を」と連絡があった。 夏に体調を悪くしてから、一気に弱っていった。正直、夏の段階で私は悪い予感が働いていた。だから、夏は目一杯遊んで、それを父に報告して、また父が一緒に出かけられるように、ともくろんでいた。 でも、ダメだった。 いつどうなるかわからない、の「いつ」がはっきりした余命宣告じゃないのがまた悩ましい。もしかしたら先週の手術の時に「1年は難しい」の1年はどうにかなるのかもしれないし

          覚悟をするということ

          舞台が好きだ

          自己紹介でも書いたが、小劇場の人間です。 舞台が大好きです。観るのも、演じるのも。 けれど今は役者はしていません。裏方も多分今関わってるのが終わったら区切る予定です。 舞台は皆様ご存知だと思いますが、煌びやかに見えて裏ではもう、それはそれは凄惨な感じです。言い方選ばない(笑) 売れない役者は売れない中で、それでも取り付かれたように芝居を続けます。観に来てくれるのなんか関係者ばっかり。あと近しい友人と親族。交通費も自腹。本当に小さいところは衣装だって自腹。みんなでシェアしてる

          舞台が好きだ

          視力検査のお話

          幼稚園の頃、テレビを見る姿勢がヘンテコリンだったらしく眼科に連れて行かれたら「遠視」と言われ、私の眼鏡生活は始まりました。そこから割と長らく眼鏡っ娘でした。 正直、当時の小学生1年生で眼鏡ってかなり珍しい感じだったのでメチャメチャからかわれてました。人と違うと色々言われるのは今も昔も変わらない。 で、高校生くらいかな。眼鏡使わなくなりました。眼科に行く時間を作れなくなったから(笑)私が行っていたのは町医者じゃなくてちょっと大きめの病院だったので、学校が休みのタイミングとかじゃ

          視力検査のお話

          そういえば今更ながら

          特に何者か名乗っていなかったなと唐突に思いまして。 一旦書いてみるかという気持ちになったのでつらつらと書き連ねたいと思います。 昭和生まれと言えば昭和世代にはほぼ平成と言われ、平成世代には昭和じゃんと言われる、昭和の割と終わりの方の生まれです。 生まれも育ちも都内で、おかげでヲタクとしてフットワーク軽く動けています。これだけは環境にめちゃめちゃ感謝している。 小学生の時に観た劇団四季に憧れ中学校で演劇部に入部し、そのまま専門学校に行って小劇場の役者に。30過ぎまでは役者し

          そういえば今更ながら