「与えられる価値」と、「生み出す価値」の違いから「成長」について考える。
昨日で今働いている工場での勤務がまる1年経ちました。
これを機にこの1年間、自分自身の成長幅を振り返ったことをきっかけに、自分自身がどんな「成長」をしたのか考えました。
今日は、そんな振り返りを通して感じたことを書いてみます。
1.与えられる価値
僕は今、「お金のための仕事」をしています。
「お金」という価値を与えてもらうために、働いています。
業務に務めることでお金を与えてもらえるわけで、一側面から見るとお金を生み出しているようにも感じますが、これは本質的に自ら価値を生み出しているわけではないように感じます。
この1年での業務的成長幅を振り返っても、「誰もができるようになること」、「できるようになるべきこと」しか思い浮かばない。
確かに、仕事のスキルは上がっています。
他にも、どんな仕事でもこなせる、「忍耐力」と言ったものだったり、「継続力」だったり。
ものは言いようで、この1年を振り返ったときに、できるようになったことなんて、無限に思いつくことができる。
ただ、そこには何一つ自分自身で価値を生み出しているわけではないということ。
代替え可能な価値でしかなく、全くオリジナリティのない価値。
そんなものは世の中にも認知、必要とされることもなく、要するに価値のないものだということ。
与えられる価値というものを通してできるようになったこと、というのは決して成長とは言えない。
それが、この1年を振り返ったときの結論でした。
2.生み出す価値
仕事をする合間を縫って、この1年間、多くのことを始めました。
今書いているこのブログもその1つ。
そして、SNSでの発信、読書、勉強、今まで避けてきた飲み会の幹事等…。
自分で価値を生み出したい。という思いから、とりあえず始めてみようと思ったことがきっかけです。
結果、この1年間を振り返ると、
相談を受ける案件が増えた。
応援してくださる人が増えた。
多方面の現場で必要とされることが増えた。
と、まさに直接的に「お金の価値」とは絡んでいなくとも、確実に価値と言えるものを生み出していると感じました。
もちろん、教員採用試験不採用など、全てが全て思い通りになったわけでもなく、悔しい思い、失敗もたくさんしています。
ただ、その失敗の数以上に、自分の成長幅を感じ、変われている実感もしています。
自分で自分が成長しているなんて言うのは、おこがましいことでもありますが。笑
でも、それがいわゆる、「自信」になったり、また次のアクションの「活力」にもなっています。
要するに、価値を生み出そうとすることで、ようやく「成長」と密接に関係することができ、それがまた次への力になるわけです。
3.終わりに
抽象的で回りくどい内容になってしまったことは、ご容赦いただきたい。笑
「価値」を取り上げると、まさに「価値観」と言う言葉通り、人によって大切にする「価値」の違いがあるために、一概にこれが正解ということはありません。
今回の内容だって、「お金」と言う価値を最も重要視する人からすれば、どうだって良い内容です。
しかし、人間として生きるのであれば、僕はこの価値だけに縛られる必要性はないと、常々考えています。
確かに僕自身借金があって、今は「お金」を必要とするわけであって、だからこそ今の仕事を選んでいます。
ただ、じゃあこの先、一生この仕事を続けるか?と言ったらそうではない。
やはり、自分自身が成長できてると感じられることを仕事にしたい。
そう考えます。
その方が、間違いなく生きている実感もあるし、生きることが楽しいと思えるから。
とまぁ、こう書くと空気が重くなりすぎる感がありますが(笑)、とにかく、そうやって価値を生み出すことを追い求めた仕事に就くことができれば、もっと働くことにも前向きになれる。
「お金」に捉われなくても、必要とされる人間になることができれば、必然的にそんなものは付いてくる。
そう言った長期的視野を持って、また次のチャレンジにも臨んで行きたいものですね。
ご精読、ありがとうございました。
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