生きるのに息が詰まったら、海を見に行く話
ここ最近、ずっと体調が悪かった。朝起きられないし、何となく頭は痛いし、節々も痛い気がする。心配になって熱を測ってみても、ド平熱。咳や鼻水、嗅覚も味覚も全く異常なし。何じゃこりゃ?やらなきゃいけないことは山積みで、でも体調が悪いと集中できなくて、全く仕事にならない。気が散る。やらかす。謝り倒しで自己評価も下がりまくり。罪悪感に追い立てられて焦る。焦るとまたやらかす。頭の中は「やらなきゃいけない」でいっぱいなのに上手くできなくて。義務感、悔しさ、罪悪感、「助けて」も上手く伝えられなくて、頭の中のぐちゃぐちゃで喉が詰まったみたいになる。そして、最終的に息が上手くできなくなったら、私は大抵、海を見に行く。
海風に当たりながら怒りに任せて歩いたり、歩き疲れたら座り込んで遠くを眺めたり。眺めているうちに考え込んじゃって、またムカムカしてきて歩いたり。気がつくと少し汗ばんでて吹いてくる風が気持ちいいって思うようになってきて、空を見上げたら飛行機が飛んでたりして。だんだんと自分のリズムを思い出してくる。歩くのもゆっくりになって、立ち止まって深呼吸してみたり。帰りは何だかスッキリしている。昼の海だとこんな風に、叫びたい衝動を歩いて昇華している。
夜の海を見に行く時は大抵もう気持ちが沈みまくってて、波音を聴きながら泣いている。座り込んで「もう全部やめよう」とか思いながら、白く淡く光る波を眺めて、星を眺める。ボロボロに泣いて、眠くなってきて、問題が何ひとつ解決したわけじゃないのに、よく眠れてしまう。そして翌朝は目覚ましよりも早く、スッキリ目が覚める。
きっと私は、つい自分を忘れてしまうんだと思う。自分、というか自分のリズムというか。海に行って、海風に雑音が攫われて、波の音で自分のリズムを思い出すんだろう。思い出したリズムで息をして、何かに納得して、何かを諦めることができて、自分のリズムでまた歩き出せる。
息が詰まったら、海に行けよ。自分。
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