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午前10時は朝か昼か
午前10時は朝だろうか。昼だろうか。
通勤や通学(あるいは通園)の嵐が過ぎ去った後、街は人の匂いを忘れ、夜明け前の静けさを取り戻す。ただし、陽の光はシャワーとなり、猫は眠っている。
開店前のレストランの、濃い茶色(チェロの低音のような)のテーブルの上に、風のない日の雲みたいに、真っ白で清潔なナプキンが置かれている。
レストランはまだ夢の中である。
【日記】ファンレターに愛を込めて
この間、人生で初めてファンレターを出した。中学生の頃から好きなバンド、シドのボーカルであるマオさん宛。手紙の下書きを書きながら「もう10年も好きなのか」としみじみしてしまった。同時に、10年も私は「好き」と自分の言葉で言えてないんだな、と気がついて、後悔のような、寂しいような、なんとも言えない気持ちになった。
身近な人にも、1人のファンとしても、「好きです」と伝えるのが今まではどうしようもな
今日ひさしぶりに乗った路線バスから見えた海、すごく綺麗で、なんだかローズマリーの香りがしそうだった。きっと春が初夏を隠してるんだろうね。もう春の背中を見てるのかもしれない。追う頃になって愛おしくなるのはきっと仕方のない事なんだろうけど。少しだけさみしい。
みんなに会えるって、とくべつ。3/3『みんなに会えるって、とくべつ』
どうしようもないけれど、家の中から「笑い」が消えるのは寂しくて悲しかった。耐えて耐えて耐えた2年半。ようやく少し落ち着いた頃、また従姉妹夫婦が会いにきてくれた時の祖母の幸せそうな顔ったら。また目尻が床につきそうになっていて、笑ってしまった。従姉妹の娘ちゃんはもう10キロを超える体重なのに、祖母は「抱っこしてあげるからおいで」なんて言う(家族全員が止めに入った)。
「ああ、これが幸せか」と思っ
みんなに会えるって、とくべつ。2/3『笑わない日々』
私の家は祖父母、母、私の3世代同居だ。昔はそれはもう賑やかな毎日だったけれど、10年も経てば家の中はすっかり静かになってしまっている。そこに従姉妹の娘ちゃんの誕生だった。私の祖父母にしてみれば待望の「ひ孫」である。従姉妹夫婦が連れてきた時にはもう目尻が床につきそうな顔で、これ以上ないくらい幸せそうだった。クリスマスやお正月、初節句の時だって、幸せの空気が溢れていた。
そんな日々が、コロナ禍に
みんなに会えるって、とくべつ。1/3『会いたいけど、会えない』
みんな大好きミスタードーナツが11月12日から行っているポケモンコラボ。このコラボでのコピーの1つ「みんなに会えるって、とくべつ」は、私の心には痛いほどに沁み入るものだった。
緊急事態宣言が解除され、少しずつ、コロナ禍以前の生活が戻ってきたように思う。この間、しばらく会えていなかった従姉妹が家に来た。最後に会ったのは1年以上前になる。従姉妹は子供たちを相手にする仕事をしている上に3歳になる娘