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中学受験に失敗して、呆然として、そして今残っている気持ちの話。

はじめに

この記事は、中学受験をこれから考えている人と惜しくも第一志望に合格できなかった人のために書きます。

まず、我が家のことです。
・住んでいる地域では、
 だいたいクラスの半分くらいが中学受験をするようなところです。
・僕含めて親は2人とも中学受験は未経験です。
・ハードな受験はちょっとと思って、
 都立中学受験に絞って挑戦しました。
(都立は2から3科目受験で、倍率は5から6倍と厳しい受験です)

ヤバイと気づいたのは、小6の夏

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受験勉強は、週2回の塾通い中心で、基本息子にまかせてました。そしたら、夏の模試でものすごい(悪い方の)成績をたたきだして。

「これは、もうダメだな・・・・」と正直思いました。なんせ、倍率高いし、別に内申が(悪い方じゃないけど)すごく良いわけでもないし。それで、嫁に「このまま失敗しても一生の傷になるかもしれないから、もうやめないか?」と相談しました。

嫁は「本人がやると言ってるからには、タオルは投げない」とボクシング映画みたいなことを言って、続行決定。

中学受験にフルコミットすることを決めた秋

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小6の夏からは、ほぼ毎日息子の学習を見ることに決めました。息子の成績が伸び悩んでいる原因は2つで、明らかでした。

・塾で聞いてわかったつもりになっているけど、実際には理解できてない。

・「復習をしていない」から、苦手のままになってる

とりあえず春までの教材を全部ひっくり返して、イチから解き直しをさせました。それで、その場で答え合わせて解き直す。これを毎日繰り返し。

成績が爆上がり。調子に乗ってた秋

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夏からほぼ秋は模試ラッシュなんですけど、みるみる成績が上がってきました。毎月1ずつ偏差値が上がるみたいな。正直、この時期、自分が一番調子乗ってました。

(ほら、見ろよ。俺の言った通りやれば、だいたい成績上がるんだよ。やっぱり俺って、教える才能あるな。)

それで、「あ、そうだ。次の副業は、塾の講師をやろう」「いや、金持ちの家庭教師でもいいな」とか、そんなことばっかり考えてました。「都立受験は6ヶ月で合格できる」というコピーまで考えてました。今思えば、本当にバカです。

ただ、2学期の終わりにもらった内申も上がっていて、家族の中にも、「これはいけるぞ」という希望みたいのが生まれたのが秋でした。

年が明けて、受験本番がスタート!

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先輩ママからのアドバイスで都立と同じ形式の滑り止めの私立を2つほど年明けから受けました。正直レベルは低かったけど、まあ、肩慣らしにはいいだろうと思って、あまり考えずに選びました。

1校目はさすがに緊張してたけど、2校目になったら模試で通った学校ということもあり、落ち着いて受験に向かう息子の姿に、次の本番も大丈夫だなと少し確信めいたものを感じました。実際に2つとも合格。

もう、このとき、僕の頭の中では、「父と息子の6ヶ月限定の合格体験記」みたいな本を出版することまで、妄想が膨らんでました。

第一志望の都立受験の当日!衝撃の・・・

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2月の上旬。いよいよ本番の受験当日。息子も良い意味で緊張しすぎず、でも緩みすぎずという表情で。校門の前で「じゃあ、行ってくるね」と一言。握手をして「全力でいってこい!」とハッパかけて。

待っているときは、『息子も、成長したなー。』『本当にがんばったもんなー』と、もう終わりモードになってました。

そして、受験が終わって校舎から出てきた息子。

中空を見つめて、何もしゃべらない。足早に駅に向かう。

話しかけづらい雰囲気で、ただただ後ろからついていく自分。

そして、駅のホームで、

「おつかれさま」と声をかけた瞬間、大粒の涙がボロボロ。

他の受験生親子がワラワラといるホームで、ただ無言で泣き続ける息子。事情が全く飲み込めない僕。2人でしばらくホームの隅にたたずみました。

ここから、段々とこの受験のストーリーに暗雲が立ち込めてきたのです。


やはりというか、、、合格発表とその後

1週間後の合格発表。息子の番号はありませんでした。親子3人で一緒に見ましたが、その瞬間は、もうなんともいえない空気が流れました。息子はその場で涙をこぼし、少し1人にしてほしいと部屋にとじこもりました。

そのあと、部屋からでてきて「ごめんね」と言いました。僕も嫁も何も言えませんでした。

結局、滑り止めの私立の期限がせまっていたので、40万円を入れて私立入学を決めました。必死に、「あの学校は大学の進学実績いいよ!」とか「海外留学もできるんだって!」と、その私立のいいところを見つけては、気持ちを盛り上げようと頑張ってた・・・・というか、無理してたと思います。

滑り止めは滑り止め。やっぱり、第一志望との差は明らかで、どこかで「このままでいいのかな」という思いを抱えながら、でもここで落ち込んじゃダメだと頑張ってる感じでした。

どうしていいかわからず、逃げることにする。

合格発表が終わってから、息子は学校に行きたくないと言い出し。確かに、他の私立のこはみんな良いところに既に決まっていることがわかってて。

近所の人にも中学受験の話をしていたので、気まずい気まずい。なんで落ちてるのに、自分から説明しなくちゃいけないんだよと。

それで、学校を休んで急遽父と息子で2人旅にでました。

2人で雪降りまくる北陸をただ歩いていく旅。何かドラマチックな展開があるかと思ったけど、一切なく(笑)。神社回って「どうしていいかわかんないけど、結果オーライになるように」と祈って回りました。

「高校受験でリベンジしたい・・・」

滑り止めの私立の説明会&制服採寸が始まる前日に、息子が言ったのは「高校受験でリベンジしたい・・・」でした。

「え?(40万払ってるけど・・・・)」

「高校受験でうまくいけば、もっといいところいけるかもしれないんだよね?」

「う、うん。まあ、そうだけど(もう40万払ってるけどね)

「やっぱり、もう1回挑戦してみたい」

「まあ、それもあると思うけどね。(40万は戻ってこないけど)」

ということで、地元の公立中に進学することになり、急遽私立にことわりの連絡を入れて、入学届を出しにいきました(とっくに締め切り過ぎてたけど)。

小6・3月から高校受験の塾へ通う

今、高校受験の塾に通っています。「え?早くない?」とか「そんないきなり?」と思う人が多いかもですが、中学受験で通っていた塾の講師に言われたんです。

(宮崎駿みたいな感じの人なんで、そういうイメージで見てください)

講師「この子は大丈夫。どこの高校・大学も目指せるよ。

   だから、親は黙ってお金を出して、

   ハイレベルな勉強ができる環境を用意してあげなさい。

   この子に公立中は退屈だよ。」

もう、衝撃ですよ。「よし、これからまた親子二人三脚でやっていこう」と思っていたところに、「子離れしろ」と。それで、本人とも相談して、塾に行かせることにしました。

それで、

毎日、何も言わなくても勉強しています。

中学は、新しい友達ができて、同じ境遇の子もいて、楽しそうです。

塾は特進クラスに入りました。

合言葉は「臥薪嘗胆」らしいです。

エピローグ

昨日、小学校で同じクラスで、超有名中学に進学した子に偶然あったとのこと。その子から、

「なんだおまえ、〇〇中(進学した公立中)だったのか。ダセエな」

と言われたと。

気が弱くて、いじめられっ子だった息子。今までは、そういうことを言われたら、必ず家で泣いていました。

「帰り道はあっちだろ。バイバイ。」

とスルーして帰ってきたと、淡々と話していました。

強くなったなあ。


おしまい。

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