松本大洋『Sunny』

さして大きな事件がおきるわけでもなく、日常を淡々と、子どもたちひとりひとりの目線で描いていく。それがつらいし、うつくしい。みんな懸命に生きている。それを描く作者の目はやさしい。

ああそうだ。『ファイト!』が流れているんだ。上からの視点ではなく、同じ地平に立って同じように「冷たい水の中を/ふるえながらのぼって」ゆくにんげんの目がそこにあるんだ。

中学生の頃、「『学園』の子」が同級生に数人いた。私はその子たちをどう見ていたのだろう。その子たちは私をどう見ていたのだろう。

大学に入って、ボランティアとして児童養護施設に通っていた。あの頃の子どもたちは私をどう見ていたのだろう。私はあの子たちをどう見ていたのだろう。

「おねえさん!おねえさん!」と人なつっこく飛びついてきてくれていた子どもたちは、問わず語りに自分のことをたくさん話してくれた。

「ぼくのお父さんはトラックの運転手だから、ぼくもトラックの運転手になって日本中走って、お父さんを探すんよ。同じ仕事だったら、見つけやすいでしょ」と、行くたびに話してくれた小学校3年生の男の子。

「運動会にはお母さんが来てくれるから、ずっと運動会だったらいいのに」と言っていたかけっこの早い小学校2年生の女の子。

万引きの常習だった中学3年生の男の子は、いつも台所用品を盗っていた。

お人形みたいに可愛い小学校3年生の女の子は、「かわいいから」という理由で引き取られては「懐かないから」という理由で「返品」されて施設に戻っていた。

お父さんと住むことになった中学2年の男の子には「おねえさん、家に勉強教えにきてや」と言われて何度か家に通った。私が大学を卒業した後に一度だけ葉書をくれた。慣れない漢字を書く彼の姿を思い出して胸が熱くなった。

表層的なことしか見えないまま、記憶の隅っこに追いやってしまっていた彼ら彼女らが、『Sunny』の中にいた。笑っていた。泣いていた。生きていた。

「星の子学園」の子どもたちが、自分の力ではどうしようもできない大きな力によって学園を離れていったり新しく入ってきたりするように、私たちも何か大きな力にいつも翻弄されている。彼らはその中で、時に身をゆだね時に抗いながら生きている。私たちも何か大きな力の中で、時に身をゆだね時に抗いながら生きていかなくちゃ。一生懸命に生きていかなくちゃ。

有川浩の『明日の子供たち』も同様に児童養護施設で生活する子どもたちと職員を描いた作品だ。併せて読むといいかもしれない。

はぁ。

一応吐き出したけど、まだ何か胸の底にもやもやが溜まっている。これが何なのか、もう少し時間をかけて見極めていきたい。



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