脳梗塞後の人が死ぬ理由
去年の7月、半年前に『脳梗塞』で救急車で運ばれ入院しました。
退院後、リハビリや生活の再建の為に、いろいろ読んだりして感じたのは、医者が書いたり、リハビリに成功した人の文章ばかりで、実際に苦しんでいる人間の言葉は無いようになので、何かの資料にでもなればと記録に残します。
『脳梗塞』後の自殺リスクは通常の10倍、比較的に若いとさらに5.89倍。男性が多い。一人暮らし。発症後2年以内。薬物自殺が多い。うつ病を発症。薬物自殺が多い。周囲からの孤立が遠因。と、確かスウェーデンの研究だったと思いますが、思い当たるところは多いです。
まず、『脳梗塞』は人によって症状が違います。『脳』の細胞の一部の死が発症原因ですから、その位置によって、機能不全になる部分が違うからですが。私の場合は入院時に分かっていたのは。会話、右手、右足の不自由でした。
会話は多少ろれつが回らない程度でしたが、右手は箸が上手く使えないレベル、足は時々、力が抜ける感じでした。
入院時、最初に医者が私に言ったのは「脳梗塞です。治せません。」でした。
死んだ脳細胞が生き返らないのも、リハビリで他の脳細胞にその代わりをさせるのも、一応、物書きなので理解してました。だから1日も早く退院して、動かなければと。入院が長引けば費用もかかるのも分かってましたから、すぐに退院を希望しましたが、病院は許さず。おかげで、ひと月近く、仕事は2ヶ月以上の損失になりました。
入院中も元の身体に戻したいと、病院側のリハビリ以外にも、病院の廊下を何度も往復し、ベットの上では、色々なものを握って上げ下げしました。退院後も手首にウェイトを付け、1日5キロを目標に歩きました。とにかく「早く元の身体に戻りたい」が生活の中心でした。
ですが、3ヶ月を過ぎた頃、違う症状が現れました。腕や脚ではなく、胴体部分の症状です。入院時に分かっていた部分以外は医者でもわからないようです、胴体部分は患者本人も自覚できなかったので、しょうが無いかもしれません。
他にも、例年冬は乾燥肌で背中が痒いのですが、左の背中は痒いのですが右の背はなにも感じないとか、空腹を感じないとかもあるのですが。
とにかく、右側の上半身が痛いのです。
特に酷いのは僧帽筋の背骨近く。焼けたナイフを突き刺されて捻られる感じでしょうか。他にも胸部の脇近くがキリキリと。この強い痛みがひどい時には三晩二日続きました。痛み自体がなくなる時間は無く、絶えず痛みます。通常は、鉄板を背中に貼り付けて締め付けられるように重く痛い時など、痛みの位置も種類も様々です。
今だに、手足は不自由です。まず朝から、上手く床から起き上がれません。椅子やベットはすぐに立ち上がれるのですが、床に座ったり、時には部屋の中でバランスを崩して仰向けにひっくり返った時に、立ち上がるのは一苦労です。
手のなんとか箸は使えますが不器用です。疲れが溜まるとフラフラするので、キーボードでさえもよく押し間違えます。この文章も何度たたき損なったか。
常時の痛み、疲労しやすい体質、入院時からの睡眠障害。
視力も変動中なのとお金が無いので、メガネの新調ができず、生活に問題ない程度に見えるのですが、字幕が読めず、映画もテレビも楽しめません。本も読むには、本を押さえる手とページをめくる手が必要なので長時間集中できず。とにかく、お金がないので何もできず、痛みと悩みで心の休まる時はなく、絵を描くことは唯一の気休めでしょうか?
これに周囲の人間の私への扱いです。
悪気はないのでしょうが、とにかく今は体の不調で精神的にはいっぱいいっぱいなので、ちょっとした行為が不快になりますし、悪く受け止めます。もともと「イイネ」や「スキ」など気にせず、描きたいものを出してたのですが、今はそれで落ち込んだりもしますし、誰も話しかけてこないと、避けられている、嫌われているなどと考えたり。周囲の人間の態度や目が気になり、今まで描いた作品でさえも価値のない物に感じてきます。
「自分の描くモノはダメだ」「ゴミだ」「自分はゴミ屑以下の存在だ」とです。
ただでさえ私は上手く動けない自分を不快に感じている人間だ、他人もそう感じている。自分は必要のない存在だ。いない方が良いのだ。世間が死ねと言っている。生きていてもしょうがない。死にたい。
しかも、リハビリ生活も、半年を越えても一向に改善できない身体では、将来の希望も失います。
私の場合はこれに貧困が加わります。仕事は元に戻し、普通に生活する分にはあるのですが、治療費と2ヶ月の穴はなかなか埋まりません。支払いが遅れているものの催促は頻繁にあり。現状の月々の稼ぎでなんとかしてはいるのですが、それでも払いきれないものがあり、そのたびにお金のやりくりは心労が重なります。若い頃にやってたので、肉体労働でも、どんな仕事でも平気なのですが、この身体では。
経済的に、なんとかやりくりしてきましたが、それもそろそろ限界のようです。先日のカードの停止は、その始まりでしょう。
身体の不調、経済的な問題、周囲の目への過敏な反応、将来の希望の喪失、癒しの無い生活。これらが私の毎日です。
「死にたい」と考えて何が悪いのでしょうか?
死ねば、全てから解放されます。惜しい希望や夢も無くなりました。
せめて『希望』でもあれば。ですが、この状態では難しいです。「絵」でも描いとけ!とお考えでしょうが、作画作業は左手なのでリハビリにもなりません。痛みがひどいと描くことにも集中するのも大変です。描くことで経済的な問題の少しは解消につながるとかあればと思ったのですが、それも無駄なようです。
せめて安らかに死にたいです。毎日これだけ痛みで苦しんだので、最期は眠るように安らかに、やはり『薬』でしょうか?
ここまで書くと、お分かりでしょう。
自殺のリスクの高さ。男性の多さ。一人暮らし。うつ病。薬物自殺。2年以内。周囲との関係。
『脳梗塞」後に、死を選ぶのは、こういうわけです。
じわじわと死に追い詰められているように感じます。特に経済的に。
死ねと言われているように感んじます。あなたに世界に。
自分の描くものはゴミだと感じます。きっと世の中そう思ってる。
まだまだ、書きたいことがあるのですが。長すぎました。
すみません。
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