大人になって「ハリー・ポッター」を読んで思うこと
私はハリー・ポッターシリーズ(以下ハリポタ)のファンである。
初めて作品と出会ったのは地元徳島県の美馬市脇町という小さな町にある「オデオン座」という小さな劇場だった。
余談だがこの「オデオン座」は1930年代に開館し、市の有形文化財にも指定されているかなり歴史ある劇場だ。
私が小さいころから見た目はボロいし、映画館としてのスペックもしょぼいのだが、もしも将来取り壊されることになったらすごく悲しい、そんな場所。
話は戻って、そのオデオン座でハリポタの一作目『ハリー・ポッターと賢者の石』を見た。
確か小学生1年か2年の夏だったと思う。3つ上の兄とその友人とでチケット(もちろん紙の)を握りしめて劇場に入った。
先述の通り映画館としてのスペックは高くなく、シートなんてものはないので、各自好きな場所に座布団を敷いて座った記憶がある。
スクリーンはせいぜい新宿シネマカリテくらいの大きさだった気がする。
現代のセレブの家ならばこれより大きいスマートトレビが置いてあっても驚きはしない。それくらいの慎ましいスクリーン。
扉も映画館仕様にはなっていないので、受付の明かりが漏れて常時薄明るかった。さらにガキども小さなお子様が好き勝手走り回っている。
というような、決して最高とは言えない映画鑑賞環境だったが、
初めて見た時の衝撃たるや凄まじかった。
オープニングのタイトルが出るところで、お馴染みのあの音楽が鳴った瞬間、扉の隙間から漏れる光も、走り回る子供の足音も、なにもかもが消え去り、これから目の前で起こることを何一つ見逃すまいという使命感に駆られ、その先はまさに魔法にかけられたかのように一瞬だった。
たまに家族で市内の「映画館」に映画を見に行くこともあったが、こんなにワクワクした映画体験は初めてだったと思う。
この時すでに第三作目の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』まで日本語訳版の本が出版されていたが、私は知らなかった。
映画を見終わって速攻で母に買ってもらった。
ドラマや小説など、ハマるとそれ以外目に入らなくなる性格はこの頃からだった。小学生だったので昼夜問わず、というわけにはいかなかったが、貪るように読み進めた。
小学2年生だった自分がどこまで詳細に理解できていたかは定かではないが、面白くてページをめくる手が止まらなかった。
そこから1年に1作くらいのペースで新作の映画と小説が世に放たれた。
(制作会社さん、出版社さん、ありがとう)
映画は全作映画館(オデオン座ではなぜか1作目以降ハリポタの上映はなかった。あったとしても普通の映画館で見ていたと思うが)で見たし、新刊も出るたびに買ってもらった。(母上、ありがとう)
ありがたいことにハリーの冒険は簡単には終わらず、長きにわたり私を楽しませてくれた。
2作目からは本を読んで内容を知ってから映画を見る、という順番になったが、作者JKローリングの言語化能力と同じくらい、映画に携わった方たちのビジュアライズ力には脱帽するしかない。
まじでなんでこんなことできるの?????
今改めて一作目や2作目の映画を見ると、もちろんCGにおいては現代とはレベルが違うと感じる。ただそんなことは些末なことで、いつ見ても初めて見た時の感動は薄れない。
おそらく我が家は年1回以上はハリポタの映画を見返している。
(夫もハリポタが大好き)
私が特に好きなのは『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』と『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』だ。
小さい頃のハリーたちの冒険も愉快だが、大人になってからのダークでシリアスな物語はもう味わいが深すぎる。
感情の種類は年を重ねるごとに増えていくというが、ハリポタシリーズにおいても見事にそれが描かれていて、愛とか友情というシンプルな言葉では言い尽くせない人間らしい感情の機微が見て取れる。
ちなみにアズカバンの囚人で好きなシーンは、マルフォイに「穢れた血」と呼ばれたハーマイオニーが、彼に見事な右ストレートをくらわせたところ。
(前の2作に比べてアズカバンは撮影の期間が開いたのか、役者さんたちもみんなかなり成長しており、ハーマイオニーの美しさにびびった)
きっと人を殴ったことなど今までなかったであろうハーマイオニー渾身の一撃。あのとき彼女に惚れたのはロンだけじゃなかったはず。
死の秘宝は好きなシーンありすぎるけど、敢えて選ぶとしたら、やはりモリ―母さんとベラトリックスのタイマンだろう。
このシーンが好きなファンも多いと思う。
死の秘宝までにモリ―が使った魔法と言ったら、散らかった部屋を片付けるとか結婚式の飾りつけをするとかそんなかんじ。(平和な世の中では当たり前かもしれないが)
そんなモリ―母さんが娘ジニーを守るためにあのベラトリックスにたった一人で対峙するわけです。既に泣ける。
ベラといったらネビルの両親、シリウスをはじめ大勢の善良な人々を躊躇なく葬ってきた血も涙もないやつ。しかもかなり強い。
そんな敵に対して ”Not my daughter, YOU BITCH!!”
かっこよすぎるでしょう。
しかもこの戦闘シーンの何が胸にくるかというと、この戦いが始まる少し前にウィーズリー一家はフレッドを亡くしているということ。。。
誰にやられたかは書かれてなかった気がするが、ヴォルデモート陣営のデス・イーターの手によって最愛の息子を、しかもまだ10代で失った母親の悲しみたるや想像もできない。。。
モリ―母さんレベルの魔法使いになると、魔法を使うときにいちいち呪文を唱えないからなんの魔法を使っているかは定かではないが、相手を石のようにフリーズさせたあと、(おそらく「レダクト」的な)呪文で木っ端みじんにしている。最後の一撃を出す前の「溜め」の表情にはいろんな気持ちがこもっていて、思い出すだけでじーんとしてしまうシーンだ。。。
どうしよう、本題に入っていないのにこんなに書いてしまった、、、。
さんざん語ってしまったが書きたかったことは思い出話ではなく、
子供のころに読んだ(見た)ハリー・ポッターシリーズを今読むと、昔と全然違う感情になる、ということ。
現在英語の勉強も兼ねて1巻から原書を読み直しているが、初めての物語を読んでいるくらいの面白さがある。
理由は「自分の考え方が変わったから」に尽きる。
作品が変わることはないのだから至極当たり前だが、どの年代・性別・その他あらゆる属性の人がみてもそれぞれ違った面白さが見つかるという点は改めてハリポタのすごいところである。
具体的にどう変わったのかというと、登場人物に対して抱く感情が変わった。
幼い頃、わたしはひたすらハリポタに出てくる子どもたちが羨ましかった。
特にハリーが!
自分は何の取柄もない不幸な少年だと思っていたらある日突然魔法使いだとわかる
→覚えてないけど赤ちゃんの頃に邪悪な魔法使いを対峙しておりみんなから伝説扱いされる
→両親の遺産があるからお金の心配ない
→魔法使ったことないけどホウキに乗るのがめちゃくちゃうまい
→各寮から数名しか選ばれないクィディッチ選手に1年生から抜擢される(勝ち組)
もうそんなんずるいやん。
魔法使いってだけで死ぬほど羨ましいのに、こんな圧倒的主人公待遇されてずるくない?
くらいには思っていた。
ただ、今読むと、そんな感情は一切なく(あったら困る)
まず最初のダーズリー家との同居シーンでハリーが不憫すぎて泣ける。
なんでご近所さんとか誰も児相に連絡しないんだ!と憤る。
てかダンブルドアひどくね?他に方法あったよね?とキレる。
など若干親目線でハリーの境遇を嘆きまくり、
ハグリッドが誕生日にハリーを迎えに来たときは心から安堵した。
よかったねハリー。。。!!!
でそこからは徐々にあらわになるハリーの人間力の高さに尊敬と憧れがとまらない。
ハリーは11年間も虐げられて生きてきた子とは思えないまっすぐな心を持っている。
絶対とは言わないが、あの待遇されてたら普通はグレるとか
自己肯定感拗らせてすごい卑屈になったりするもんじゃないのか。
それがハリーには一切ない、、!
謙虚さは備えつつも、「どうせ僕なんて…」的な思考にならずに、
他人からの賞賛ややさしさを素直に受け取って感謝できる子なんですね、、、。
なんて良い子、、、、!
彼になんぼでも幸あれーーーーーーーーー
また、ハリーといえばとにかく勇敢。
有名なシーンだが、入学式の前に(本だとホグワーツに向かう列車の中)
ハリーのことを「あのハリー・ポッター」だと認識したマルフォイが
「つるむ友達は選んだほうがいい。僕が手伝おう。」的なことを言ってくるが、それに対しハリーの返答は
「自分で選べるよ。」
とっさに言えますか?これ。
「ばーか!」と言われて「うっせーばーか!」って返すのは誰でもできる。
売り言葉に買い言葉。
しかし、自らにすり寄ってきた権力に対してこの返しができるのは
芯から自由で勇敢な人間だけだと私は思う。
ハリー、あんたはすごい。
あと、ロンに対する印象もかなり変わった。
昔は、「兄弟多くて家も貧乏なのか、しかもハリーみたいな有名人と友達なって腰ぎんちゃくか、かわいそうに。。。」などと失礼なことを思っていたけれど
今見ると、ロンってモテそうでしかない笑
兄弟が多くて学校の勝手が分かってるから、先生とも仲いいし、
すぐ制服とか着崩すし、同学年よりこなれてる感じで、
おまけにチェスも強いってかっこよすぎんか?
普通にモテる。
そのほか原書を読み返す中で、昔はなかった視点をたくさん発見して非常に楽しんでいるけれど全部書ききれる自信がないのでいったんこの辺で止めておこうと思います。
最後に、原書でハリポタを読むのはかなりおすすめ!
やっぱりイギリスならではの皮肉とかブラックジョークは英語そのままのほうが切れ味がある。
そういう表現をよく使うマクゴナガル先生やハーマイオニーは原書のほうが日本語訳よりイキイキしてる感じがする。
※個人の感想です
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<追記>
作者のJKローリング氏のセクシャルマイノリティに対しての最近の発言には賛同できないし、考えを改めてほしいとも強く思います。
ただ、これを受けて作品の不買運動をするとか、
作品を自分の人生から排除するとかは私にはできませんでした。
本当に大好きな作品なので。
同じようにもやもやしている方もいると思いますが、
作品を好きな自分を恥じたり申し訳なく思う必要はないのかなと私は思います。
ハリポタの世界でも様々な差別がありますが
ハリーのように勇気とやさしさを持って、自分が当事者じゃやなくても
そういう差別に立ち向かえる人でありたいと思います。