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第39話 旅先で初めての原付に乗って、中洲に歌いに通う【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説
みえちゃんは中洲まで原付で迎えに来てくれていた。原付1台なのに、こちらはバックパックとハードケースのギター。
これで帰れるのかな?とちょっと心配になったけど、みえちゃんは一瞬思案したものの、そこはインドや東南アジアを旅したくらいの人なので、「大丈夫」と一言だけ言ってぼくを後ろに乗せた。
ぼくはバックパックを背負って、右手にギターケースを持ち、まさかみえちゃんのお腹をがっしり抱えるわけにいかないので、左手はバイクの座席をつかむ。
(大変なのはみえちゃんじゃなくておれだよね。)
かなりしんどかったが無事みえちゃんの住まいにたどり着いた。
みえちゃんは団地の2階に住んでいた。
「わたし別のところで寝るからSEGEくんはここで寝てていいよ。」
みえちゃんははっきりは言わなかったが、団地の別の部屋に彼氏がいて、そこで寝るらしい。
翌朝、みえちゃんは「みんなでバスケするんだけど、SEGEくんもどう?」と誘ってきた。
団地に何人か仲間がいて、みんなでバスケをするという。
彼氏のまもるくん、面白キャラのいぞっちなど、数人が集まって団地内の公園でバスケをした。
秋晴れの柔らかい日差しが、ゴールが一つだけ立っている公園を温かく包んでいた。
旅の途中にバスケットをするというのはなんとも平和な時間だった。それも20代のあんまり健康的に見えない人たちが団地でバスケット。
毎日何かしなくちゃ、何か示さなくちゃ、何か次につなげなくちゃという緊張の連続の中、「休む」のでもなく「一人で思索する」のでもない。
みえちゃんという気心の知れた友達と、そしてまたみえちゃんの友達は旅をしようとか何か旗を挙げようとか切羽詰まった生き方をしているわけでもない。
みんなぼくの年上だったが、とってもアットホームで居心地がよかった。
ぼくは「こんなことしてていいのかな」と思う反面、「こうでなくちゃいけないこともある」とも思えた。
その日の夜はみんなで演劇を見に行き、翌日はスケボーをした。食事とかも含めかかったお金はみんなが出してくれた。
もともとぼくは娯楽が得意ではない。「遊びたい」とあまり思わないのだ。
「遊びたい」と思うよりも、「ギター弾きたい」、「歌を作りたい」、「旅をしたい」、「本を読みたい」、「テーブルを作りたい」、「走りたい」などと思う。遊んでいる時間が空虚に思てくるのだ。
いや、カラオケも行ったし、ゲームにもはまるし、酒も飲む。
でもゲームはある時からほとんどしなくなった。これをしていたら自分がしたいもっと大事なことができなくなると思ったからだ。
カラオケは、歌うのは好きだけど、むなしかった。その気持ちよさに浸っている自分が嫌だったし、盲目的にカラオケで時間をつぶしている友達には心の中で馬鹿にしていた。
「カラオケしている自分に酔っている場合じゃないだろ。歌で勝負するなら本気でしなくてどうする?」
そう自分を急き立てた。それに、人を馬鹿にしているのは、歌を作りたい、歌いたいという自分の本心に目を伏せていた証拠だった。
酒は誰かといっしょなら楽しいし、自分の思いを聴いてほしい。一人で飲むのはかっこいいと思うけど、時間がもったいないと思ってしまう。きっとさみしいのもあるのだろう。
ギャンブルは、全く興味がなかった。人がしているのはいっこうにかまわない。でも自分がするのは本当に無駄だと感じてしまうのだ。
要するに、前進していないと感じてしまうことが嫌だった。特別なことをしていないと不安だった。
「この時間、このお金でもっと他のことができたのに。」
だから、単純に遊ぶということがすごく意味のない無駄なことに思えて落ち着かなくなってしまうのだ。
でも反対に、シンプルに遊ぶということができる人をうらやましいとも思っていた。
それは自然な体の欲求をかなえているともいえるからだ。
ぼくは、みえちゃんたちがこうした大人になってものんびりバスケなどをして時間を使うことができることを、とてもいいなと思った。
ある意味みえちゃんは旅をしてそういうゆるやかな時間の使い方を学んだのかもしれない。
インドなどを旅しているときは、基本的に日中はだらだら過ごしていたのだし、長距離列車では10時間や20時間も列車に揺られ、ほとんどが大自然の原風景を車窓からずっと眺めていたり、読書に耽っていたりして過ごしていたのだ。
そういった時間は、無駄でも意味のない時間でもなく、むしろすごく意味のあるものだった。
今の日本人が忘れてしまっている時間の流れがそこにあり、そして精神の扉もそこに開かれていた。
夜、ぼくはみえちゃんちから中洲に歌いに行くことにした。
みえちゃんに言うと、
「うちの原付使ったら?乗れるでしょ?」
と言う。
「う、うん。免許持ってる・・・から、乗れないことはない・・・けど、乗ったことはない。」
「えー!!原付乗ったことないの?」
「な、ない。でも乗れるよね?車の免許持っていると原付も乗れるでしょ?乗ってもいいってことだよね。」
「ま、SEGEくんなら乗れるでしょ。」
ぼくが原付に乗ったことがないことは意外だったようだが、その辺は女子であっても「何とかなる精神」が勝つ。
そしてぼくも「何とかなる」と思ったし、やはり旅人同士である。
ぼくは、初めて原付に乗れるということにドキドキしていたし、やはりうれしかった。それも旅先の福岡で、ストリートで歌うために友達の原付に乗る。その状況が面白かった。
みえちゃんは中洲への行き方をざっくり教えてくれた。少しだけアクセルとブレーキのかけ方を教わり、練習してから出発した。
ぼくはギターのハードケースを両足にはさんで、原付に乗った。
「行ってきまーす。」
最初の信号を左折し、次の信号を右折・・・。
「右、右折って、原付ってこわい・・・。」
教習所で覚えた、かすかだが記憶に残っていた「二段階右折」という言葉。
(そういえば原付って右折しちゃいけないところあった気がする。なるほど、車道の真ん中から原付で右折するの、ちょっとこわいな。ドキドキする。がんばれ!)
ぼくは自転車で2車線以上の車道を右折するということを想像した。そんな場面は普段はめったにない。記憶にない。
つまり、車に乗っての右折しか経験したことがなく、2輪車で体をオープンにして大きな通りを右折するというのは、とても心細いことなのだ。
(だから二段階右折があるのかあ。)
ぼくは納得した。
つづく