第99話 人はなぜ旅をするのか【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
西灘から芦屋まで歩いて2時間くらい。
ライブ会場は芦屋駅から南東へ数百メートル下ったところにあった。
近くに川もあった。
ライブ会場は住宅街にあり、カフェなのか工房なのか、ものづくりとかおしゃれ好きな人が好きそうなたたずまいのお店?だった。
そして昼下がりということもあり、とても平和な空気が流れていた。
しんじさんはここで3人組のユニットでライブをするのだが、夢有民牧場で聴かせてもらったのこぎりではなく、今回はウクレレ担当だという。
他のお二人は女性で、のこぎりを演奏する。
ユニット名は「ゴールデンバタフライ」、通称「ゴーフラ」。
(へえ、こういう演奏もあるんだなあ。)
変わったお店で、珍しい音楽を聴く。
会場ののどかな空気にのこぎりのシュワン、ウクレレのポロンという音が溶け込んでいく。
とても気持ちよい音だった。
お客さんは20~30人はいるだろうか。
(結構人が来るんだなあ。どれくらいのペースでやっているのかなあ。どういう目標でやっているのかなあ。おれもなんか歌いたくなるなあ。ここで。)
そんなふうにも思ってしまう。
「あ、SEGE!」
お客さんの中には、しんじさんと一緒に夢有民牧場に来ていた宍戸さんや安本さんも来ていた。
「しんじさん、ストリートで歌うとしておすすめのスポットはありますか?」
「おれは四条大橋のとこにある木屋町でやったことあるよ。あそこいいんじゃないかな。」
「ぼく、明日京都に行くからそこでやってみようかな!」
「そしたらおれも行くかもしれない。」
「本当ですか?いいですね!連絡しますね。」
「私たちもいこうかな。」
安本さんが京都に住んでいるらしく、今日来ていた人たちも一緒に何人かストリートに来てくれるようだった。
(これは心強い!)
「SEGE、今日はこの後どうするの?」
「インドでお世話になった人が芦屋に住んでいるんですよ。その人に会いに行きます。」
「芦屋に?偶然だね。」
「すごいですよね。」
ぼくは早々にライブ会場を後にした。
次は芦屋に住むのんちゃんに会いに行く。
ぼくはとにかく旅仲間に出来るだけ会いたかった。しんじさんのライブの日にはのんちゃんとも約束を入れていたのだ。
というのも、旅で出会った人に歌を届けるのがぼくのこの旅の目的だったのだから、いろいろな人に連絡をとるのは当たり前で、その日はのんちゃんが夜会おうと言ってくれていた。
もっとしんじさん達との時間を大切にしたいところでもあるのだが、あまり長くいるとアフターを期待しているようにもなってしまう。
しんじさん達だって、(今日このあとSEGEはどうするんだろう?)と思うのが自然だろうし、こちらが何かを期待することはよくない。
それにしんじさんはみっちゃんつながりだから、これから距離が縮まっていくかもしれない人ではあったけど、まだまだ甘えるにはしんじさんを知らなすぎた。
のんちゃんはネパールのカトマンズで歌を聴いてくれた貴重なファンの一人で、「絶対日本で会おうね」と約束をしていたから、これはめちゃくちゃ楽しみな再会である。
そののんちゃんが芦屋に住んでいるということだから、すごい偶然だ。
のんちゃんはアジア料理屋に連れて行ってくれた。
「私今度は、東南アジア行こうかと思って。」
「またちがうところに行くんだね!すごいね。」
「いや、SEGEの方がよっぽどすごいでしょ。」
のんちゃんはお金を貯めてはまた海外へ行くという生き方をしているようだった。
ぼくにとってはそれはすごい新鮮に思える。
メインの仕事があり、休みに旅行を入れるというのではなく、旅行に行くことがメインで、その為のお金を作るために帰国して、お金が貯まったらまた長い旅に出る。
そういう生き方もあるのだ。
それはぼくにはない感性だった。
(きっとぼくはこの旅を終えたらもう次に旅に出ることはないだろう。)
旅をするだけを目的にして生きていく。それはあこがれるし、自分で作り選んだ自由だし、もしかしたらそれが仕事になっていくこともあるかもしれないし。
この世に生きながら他の世界を知らないということはさみしいことだ。
だからみんな旅に出た方がいいと思う。
ぼくだって日本二周をしているとたくさんの発見があり、「日本人ならみんな日本一周した方がいい」と思っている。
でも、旅をし続けるということは、ぼくにとってどうなのだろうか。
延岡のたいぞうさんがインドで言っていた。
「長渕の歌に『ガンジス』ってあるでしょ。『ガンジス』を実際にガンジス川で聴いたらしみたね。あのまんまだよ。それと、『帰る場所があるから旅をするのだ さすらいの旅ほどさみしいものはない』というところあるでしょ。ほんと、そうだよね。」
のんちゃんもぼくにも帰る場所があった。ぼくらはそういう旅人であった。
だからぼくは帰る場所がありながら旅をし続けることは無責任に感じた。
ぼくは、親や兄弟に黙って、縁を切るつもりで日本二周に出た。
その後連絡はとることはあったが、危険な旅でもあるし、もう戻れないかもしれないという覚悟で旅をしていたことは確かだ。
だから家族に対してはもう戻らずに旅をし続けるということはありなのかもしれない。
でも彼女のちはるも置いてきている。
もし日本二周を終えても、ぼくはちはるとは関係を持ち続けていたいと思っていた。
その彼女に対して、また旅に出るということはぼくには許されることには思えない。
もし出るならその時は縁を切るしかないのかもしれない。
そうなったら、それこそ帰る場所のない旅人になってしまうのかもしれない。
いや、旅をし続けることが無責任に感じるのには、決定的な理由があった。
ぼくは旅をするために旅をしているのではなかった。
ぼくは歌を歌いたいから、その流れで旅をしているのだ。
歌うたいになりたくて、今、歌を作り、歌を広めているのだった。
だから日本二周が終わったら、今度は歌をさらに進めていくことになるだろう。
はたまたひろみさんや中洲のあいちゃんのように、どこかを拠点にしてひたすら日本を回り続ける歌うたいになるという道もある。
(それならちはると縁を切らずにやっていけるかもしれない。)
ぼくにはまだ未来が定まっていなかった。
ぼくはのんちゃんのような生き方があることを知り、あらためて何故旅をするのかということを考えさせてもらった。
自分の生き方を見つめ、ちがう発想があるかもしれないと考えてみることは大切なことなのだ。
「明日京都の木屋町で歌う予定なんだけどのんちゃんも来る?」
「行けるかも!連絡ちょうだい!」
その日はのんちゃんのご実家に泊まらせていただいた。なんと夜に雹(ひょう)が降ったのが珍しい。
野宿中だったらたまったもんじゃない。
翌日、目指す先は京都だ。
つづきはまた来週
西灘から芦屋まで歩いて2時間くらい。
ライブ会場は芦屋駅から南東へ数百メートル下ったところにあった。
近くに川もあった。
ライブ会場は住宅街にあり、カフェなのか工房なのか、ものづくりとかおしゃれ好きな人が好きそうなたたずまいのお店?だった。
そして昼下がりということもあり、とても平和な空気が流れていた。
しんじさんはここで3人組のユニットでライブをするのだが、夢有民牧場で聴かせてもらったのこぎりではなく、今回はウクレレ担当だという。
他のお二人は女性で、のこぎりを演奏する。
ユニット名は「ゴールデンバタフライ」、通称「ゴーフラ」。
(へえ、こういう演奏もあるんだなあ。)
変わったお店で、珍しい音楽を聴く。
会場ののどかな空気にのこぎりのシュワン、ウクレレのポロンという音が溶け込んでいく。
とても気持ちよい音だった。
お客さんは20~30人はいるだろうか。
(結構人が来るんだなあ。どれくらいのペースでやっているのかなあ。どういう目標でやっているのかなあ。おれもなんか歌いたくなるなあ。ここで。)
そんなふうにも思ってしまう。
「あ、SEGE!」
お客さんの中には、しんじさんと一緒に夢有民牧場に来ていた宍戸さんや安本さんも来ていた。
「しんじさん、ストリートで歌うとしておすすめのスポットはありますか?」
「おれは四条大橋のとこにある木屋町でやったことあるよ。あそこいいんじゃないかな。」
「ぼく、明日京都に行くからそこでやってみようかな!」
「そしたらおれも行くかもしれない。」
「本当ですか?いいですね!連絡しますね。」
「私たちもいこうかな。」
安本さんが京都に住んでいるらしく、今日来ていた人たちも一緒に何人かストリートに来てくれるようだった。
(これは心強い!)
「SEGE、今日はこの後どうするの?」
「インドでお世話になった人が芦屋に住んでいるんですよ。その人に会いに行きます。」
「芦屋に?偶然だね。」
「すごいですよね。」
ぼくは早々にライブ会場を後にした。
次は芦屋に住むのんちゃんに会いに行く。
ぼくはとにかく旅仲間に出来るだけ会いたかった。しんじさんのライブの日にはのんちゃんとも約束を入れていたのだ。
というのも、旅で出会った人に歌を届けるのがぼくのこの旅の目的だったのだから、いろいろな人に連絡をとるのは当たり前で、その日はのんちゃんが夜会おうと言ってくれていた。
もっとしんじさん達との時間を大切にしたいところでもあるのだが、あまり長くいるとアフターを期待しているようにもなってしまう。
しんじさん達だって、(今日このあとSEGEはどうするんだろう?)と思うのが自然だろうし、こちらが何かを期待することはよくない。
それにしんじさんはみっちゃんつながりだから、これから距離が縮まっていくかもしれない人ではあったけど、まだまだ甘えるにはしんじさんを知らなすぎた。
のんちゃんはネパールのカトマンズで歌を聴いてくれた貴重なファンの一人で、「絶対日本で会おうね」と約束をしていたから、これはめちゃくちゃ楽しみな再会である。
そののんちゃんが芦屋に住んでいるということだから、すごい偶然だ。
のんちゃんはアジア料理屋に連れて行ってくれた。
「私今度は、東南アジア行こうかと思って。」
「またちがうところに行くんだね!すごいね。」
「いや、SEGEの方がよっぽどすごいでしょ。」
のんちゃんはお金を貯めてはまた海外へ行くという生き方をしているようだった。
ぼくにとってはそれはすごい新鮮に思える。
メインの仕事があり、休みに旅行を入れるというのではなく、旅行に行くことがメインで、その為のお金を作るために帰国して、お金が貯まったらまた長い旅に出る。
そういう生き方もあるのだ。
それはぼくにはない感性だった。
(きっとぼくはこの旅を終えたらもう次に旅に出ることはないだろう。)
旅をするだけを目的にして生きていく。それはあこがれるし、自分で作り選んだ自由だし、もしかしたらそれが仕事になっていくこともあるかもしれないし。
この世に生きながら他の世界を知らないということはさみしいことだ。
だからみんな旅に出た方がいいと思う。
ぼくだって日本二周をしているとたくさんの発見があり、「日本人ならみんな日本一周した方がいい」と思っている。
でも、旅をし続けるということは、ぼくにとってどうなのだろうか。
延岡のたいぞうさんがインドで言っていた。
「長渕の歌に『ガンジス』ってあるでしょ。『ガンジス』を実際にガンジス川で聴いたらしみたね。あのまんまだよ。それと、『帰る場所があるから旅をするのだ さすらいの旅ほどさみしいものはない』というところあるでしょ。ほんと、そうだよね。」
のんちゃんもぼくにも帰る場所があった。ぼくらはそういう旅人であった。
だからぼくは帰る場所がありながら旅をし続けることは無責任に感じた。
ぼくは、親や兄弟に黙って、縁を切るつもりで日本二周に出た。
その後連絡はとることはあったが、危険な旅でもあるし、もう戻れないかもしれないという覚悟で旅をしていたことは確かだ。
だから家族に対してはもう戻らずに旅をし続けるということはありなのかもしれない。
でも彼女のちはるも置いてきている。
もし日本二周を終えても、ぼくはちはるとは関係を持ち続けていたいと思っていた。
その彼女に対して、また旅に出るということはぼくには許されることには思えない。
もし出るならその時は縁を切るしかないのかもしれない。
そうなったら、それこそ帰る場所のない旅人になってしまうのかもしれない。
いや、旅をし続けることが無責任に感じるのには、決定的な理由があった。
ぼくは旅をするために旅をしているのではなかった。
ぼくは歌を歌いたいから、その流れで旅をしているのだ。
歌うたいになりたくて、今、歌を作り、歌を広めているのだった。
だから日本二周が終わったら、今度は歌をさらに進めていくことになるだろう。
はたまたひろみさんや中洲のあいちゃんのように、どこかを拠点にしてひたすら日本を回り続ける歌うたいになるという道もある。
(それならちはると縁を切らずにやっていけるかもしれない。)
ぼくにはまだ未来が定まっていなかった。
ぼくはのんちゃんのような生き方があることを知り、あらためて何故旅をするのかということを考えさせてもらった。
自分の生き方を見つめ、ちがう発想があるかもしれないと考えてみることは大切なことなのだ。
「明日京都の木屋町で歌う予定なんだけどのんちゃんも来る?」
「行けるかも!連絡ちょうだい!」
その日はのんちゃんのご実家に泊まらせていただいた。なんと夜に雹(ひょう)が降ったのが珍しい。
野宿中だったらたまったもんじゃない。
翌日、目指す先は京都だ。
つづきはまた来週