第82話 歌うたいは困ったら中州へ行け【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
別府の宿で目を覚ました僕は、何か燃え尽きたような、しーんとした空気に包まれていた。
都城でのちょっとした事件を除けば順調に行き過ぎていたというのがあるのだろう。
久住に行こう行こうとは思っていたが、なんとなく気が乗らない。
こういう時のぼくは本心ではそれほど望んでいないという時のパターンだ。
ヒッチハイクで大荷物の野宿の旅でなければきっと喜んで行くのだろうが、久住高原に行くとなればたっぷりハイキングになることだろう。
行ったことがないから聞いた話での想像に過ぎない。
でもぼくの旅のスタイルでさくっと久住高原を満喫できるとは思えない。
または満喫できるほどそこに留まってしまったらへとへとになった上に寝る場所がない可能性が高い。
だってそこは大自然で、屋根のない場所ばかりなはず。
いや、もしもいろいろお世話してくれるような親切な人に出会えればいいのだけど、そうそうそんなことが起きるわけでもなく、それを期待して無謀な道に進んではいけない。
そもそもぼくのこの旅のコンセプトは、全都道府県を歌を歌いながら旅をするというもの。
無理に観光する必要はない。
さらに、由布岳に登って歌うということを成し遂げたのだから、改めて久住高原という自然を満喫しにいかなくても、もはや十分に「やっちまっている」と言えるのである。
というわけでぼくは、
(まあ、久住にこだわらずに、もし久住高原を案内してくれるような人に出会わなかったらそのまま福岡まで抜けて行こう。)
という方針にしてヒッチハイクを開始した。
93台目。「久住方面」と書いてヒッチハイク開始。
「大分と水分峠の間を配達してるのよ。」
お弁当を配達している途中のあかりさんという女性だった。
「久住高原てすごいきれいだと聞いたんですよ。」
と話をふってみたところ、
「ガンジー牧場って有名でね。」
と、大きな牧場を教えてくれた。でもまさか仕事中に連れて行ってくれるわけでもなく、こちらからお願いすることでもない。
ぼくはあかりさんが行けるところまで行ってもらうことにした。
「福岡に今日着けたらいいなと思っているんですよ。」
「そしたら大分インターまで乗せてってあげる。」
94台目。奥谷さんというカメラマンさんが乗せてくれた。
奥谷さんも仕事中らしい。
大分朝日放送で仕事をしているらしく、かの有名な久米さんと知り合いだとか。
別府湾サービスエリアで降ろしてくれた。
95台目。電気工事をしている3人組だった。
大阪の北区出身だという。
いかにもこういった仕事で使っていそうなバンだった。
また、話題もいかにもという感じで、
「知ってる?こっちじゃあ、ヘルスはラウンジっていうんだよ。ランパブとも言うでしょ。」
などと、夜の遊びの話をいろいろ教えてくれた。
もちろん真っ昼間だが。
そしてぼくは姪浜に着いた。つまり、あっけなく福岡に着いたのであった。
ぼくが何故福岡に行きたいのか。
それは中洲があるからだ。
中洲はぼくが思うにもっとも歌ううたいに温かい街だ。
中洲がいかに歌ううたいにとって素晴らしいか。
それは以前たっぷり書かせていただいたので改めて書くまでもない。
ぼくは中洲に歌いに行きたかったし、中洲の歌ううたい仲間に会いに行きたかった。
特にあいちゃんには絶対。
そして下世話な話だが、お金を稼ぎたかった。
この旅はそもそも歌で稼ぎながらまわるのだから下世話であるどころかもっとやれよという感じかもしれない。
鹿児島についてからぼくは由布岳の山頂でしか歌っていないのだから。
万場さんにいただいた5000円以外にお金は増えていない。
この先のことを考えると中洲で稼いでおく必要がある。
ぼくは姪浜につくなり中洲へ向かった。
(夜になればあいちゃんがいつものところで歌っているかもしれない。)
いつもの場所とは那珂川にかかる春吉橋だ。
ぼくはまだ明るい時間だったが春吉橋に向かった。
あいちゃんはやはり昼間はそこにいるわけもなかったが、道の反対側には例の占いのおばちゃんがいた。
おばちゃんに話しかけるとまたも無料でいろいろしゃべってくれた。
いったいいつ占いの仕事をしているのかわからん。
ぼくは暗くなるまで時間をつぶすことにした。
「渡辺通り」「ソラリア」「警固公園」などのなつかしい名前がぼくの胸を躍らせる。
地元の人でなくても地元の人のようにその名前を感じる。
旅をするまでは全く縁のなかった土地が、まるでぼくの一部になったような気がして、それがうれしいのだ。
数か月ぶりに来たけども、街をうろうろしていても、自分がどこにいて何がどこにあるのかがもう体にしみついている。
ぼくは近くのデパートなどに入って体を休めながら時間をつぶした。デパートはトイレがきれいだし、階段の踊り場などでゆっくりやすめる。
夜が深くなり、ぼくは再び動き出した。
春吉橋に行くと、あいちゃんがそこにいた。
「覚えてる?」
「覚えているとよ。ひさしぶり!」
(ちゃんと会えた。あいちゃんはやっぱりここで続けていたんだ。)
沖縄での数か月をぼくはいろいろあいちゃんに話した。
あいちゃんはこれからツアーにでるという。
「SEGEくん、うちツアーに出るからうちのアパート使ってええよ。」
「本当に?!」
「うん。今回は1,2週間で帰って来るけどSEGEくんだったら全然いい。」
「ありがとう!」
あいちゃんのアパートは、いったんタンクでお湯を沸かし、それを浴槽に移すスタイルのお風呂。
そんなお風呂を使えることがむしろぼくはうれしい。そしてキッチンも洗濯機も使わせてもらえる。
言うなればプチ一人暮らしである。
ひとり暮らしというものをしたことがないぼくには、それは貴重なありがたい経験だ。
ワクワクする。
昼間は家事をし、夜は春吉橋で歌って稼ぐ。
(最高じゃないか!あいちゃんはこうやった毎日生活しているのかあ。すごいなあ。)
ぼくは翌日からしばらくあいちゃんちを拠点に毎日のように夜のストリート生活を続け、旅の資金をいくらか稼ぐのであった。
つづく
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