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パキスタンで乗合ジープの3人掛けに5人で座って15時間同じ姿勢で発狂しそうになる

インドで出会う旅人は口をそろえてここへ行けと言った

20年前の春(2001年)、ぼくはバンコク経由でインド放浪の旅をしていた。

当初の計画では4月にインドのカルカッタINし、1か月後くらいにネパールのカトマンズからOUTという放浪の計画だった。

この時購入していたのはFIX/OPENチケットといって、復路の搭乗日と搭乗便は変更できるチケットだったから、旅をしながら帰国日を延長する予定でいたし、実際2か月放浪することができた。

それとインド・ネパールの2か国を旅するはずだったが、さらにもう一か国追加でまわることになった。

ぼくはカルカッタからプリーという海辺の街、そして仏陀が悟りを開いたブッダガヤ、その後ガンジス川のあるバナラシ、首都のデリー、そしてネパールのポカラへ、という順に回る予定だった。

ちなみにバナラシはVaranasiであり、ワーラーナシーだったりヴァラナシだったり、いろいろな表記がある。ベナレスという呼び方もある。

ぼくら当時の旅人はバナラシで通用していた。

あとカルカッタは現在では「コルカタ」に正式名称が変わっている。

ところで、バナラシあたりにくると、東西に延びるデリー方面からの鉄道の本線が通っているので旅人からいろいろな情報がまわってくる。

ぼくは日本人のおばさん「久美子さん」がインド人の旦那さんと経営しているKUMIKOハウスという、ガンジス川の川沿いにある安宿に泊まっていた。

当然宿泊客には日本人が多い(外国人も多い)からいろいろな情報を耳することができた。

ちなみに久美子さんは若いころからずっとインド暮らしなので、長渕剛さんが泊まりにきたこともあるのだが、長渕剛さんを知らなかったらしい。

そして長渕剛の歌詞がかざってあるレストランが近くにあったり、そこで食事をしたといううわさがのこっていたりする。

歌詞がかざってあったのは「シャンティ」というレストランだった。

さて、各地をまわってきた旅人からの情報には、「パキスタンはやばい。特にフンザはナウシカの舞台になったところで、行くならそこに絶対行った方がいい。」という口コミが多かった。

パキスタンとの国境はデリーより少し先のインドの西の端にある。フンザはパキスタンと中国との国境近くの、カラコルム山脈の山村だ。

「どうせデリーに行くつもりだったし、ネパールも西側から入る予定だったからついでにいっちゃおう!」

ということで、一緒に旅していたやっくんと相談し、ネパールに入る前に、「パキスタン」へ行くことにぼくらは決めた。

予定になかったから、当然日本では全く下調べしていなかったし、「地球の歩き方」も持っていなかった。

「地球の歩き方」がないということは、宿やレストラン、観光地の情報がまったくないということだし、口コミに頼るしかないということだ。

旅の初心者としてはかなり心細いし、大きなチャレンジだった。

まだ治安が悪化する前のパキスタンに入る

やっくんとぼくは、デリーで知り合ったひげづらのふうちゃんと色白のたかのりくんと4人でパキスタンに行くことになった。

ふうちゃんたちとはデリーのパキスタン大使館でビザ待ちをしていたときに仲良くなったのだ。

彼らもパキスタンのフンザに行くということで、同じ列車をとった。

国境の大きな街アムリトサルには早朝の6時についた。毎度のように、今回も列車の中でライブをした。

朝から国境越えだ。アムリトサルからリキシャ―でバスステーションまで10ルピー(2001年)。バスで再国境の町アタ―リーまで10ルピー。そこからまたリキシャ―で10ルピー。

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リキシャ―を降りると徒歩でインド側の国境事務所まで向かう。朝10時だった。

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ぼくはギターを持っていたので、「いいね」と検問の人に言われすんなり通過。

パキスタン側から見た国境

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パキスタン側の国境の町はワガー。ワガーから乗り合いバスに乗り(8ルピー)、近隣の大きな街ラホールまで向かった。

バスに乗ると、何やらシューティングゲームのような音が車内に響く。これはクラクションの音だ。

パキ(パキスタン)のトラックやバスのクラクションはやけにうるさい。しかもパキのデコトラはものすごいもりもりの装飾になっている。

トラックの運ちゃんのデコりたい衝動は、日本人と通じるものがあるのか?

この記事を書いているとちょうど新聞でパキのデコトラが取り上げられていた。

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ライブドアニュースでの写真↓

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ぼくはなぜか夜のデコトラだけ写真におさめてた↓

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ぼくのメモ。

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ぼくらはラホールに着くとすぐさまバスを探し、イスラマバードに向かった。
当たり前だがインドとは全く違う人や街の様子が広がっていた。

パキスタンのタクシーは「スズキ」と呼ばれている

まず、街がきれい。ゴミが落ちていなくてゴミ箱がお店に置いてある。インドにはそんなものなく、いたるところにゴミが落ちている。

「リプトン」など、なじみの製品の看板を目にする。商品のしなぞろえがよい。

英語が通じない。ツーリストが少なく、とにかく好奇心で人が集まってくる。インドでは好奇心ではなく、お金欲しさに集まってくる。

言語はウルドゥ語(その時は何と呼ぶのか分からなかったが、フンザで教えてもらった)。

女性はかわいい人が多かった。ナイキがはやっている。

インドより発展している様子があり、生活水準も高そうだ。めしもうまそうだ。とはいえ、自然の豊かさも半端ない。

お酒は禁止され、豚肉も禁止。牛肉はOK。

実は日本車がたくさん走っている。デコトラも日本車が多いのだろうが、デコられすぎてよくわからない。

パキスタン人には日本から中古車を売る生業をしている人が多いそうだ。だから日本で見かける中東系の人は、パキスタン人である可能性が高い。

実際日本でヒッチハイクしたときに、パキスタン人に乗せてもらったことがあり、やはり中古車を母国に送る商売をしていた。さらに車の中に、家電も入れて送るそうだ。

そしてタクシーは日本の「SUZUKI」製のタクシー(オートリキシャ―)で、なんとタクシーのことをパキでは「スズキ」と呼ぶのだ!

「Hi,Taxi!」ではなく「Hi,SUZUKI!」なのだ。

じっさいやってみたが、「スズキ」と言ってちゃんととまってくれた。

人々も、だからけっこう親日だった。人柄は穏やかで平和。人をだまさない。

パキスタンで注意すること

その1 男性は忍者部屋に気をつけろ

パキスタンに行く前、旅人から教わったことがある。

パキスタンで宿の部屋を決めるとき、ちゃんと部屋の中を調べてから決めたほうがいいという。

なぜかというと、「ここにする」と決めてドアを閉めたとたん、部屋の壁がひらりと開いて、同性愛の男性が現れることがあるという。まさに忍者。

ベッドの下から現れることもあるそうだ。

だから男性はしっかり部屋の中を調べてから部屋を決めよう。

実際、一緒に旅していたたかのりは、うちらが泊まった宿の主人に「あとでオレの部屋に来なよ。」と誘われていた。

たかのりは色白で少し髪の毛が長いさらさらヘアの金髪だったから、かっこうの的だったのだろう。

誘われやすいたかのりをみんなでからかっていた。

だから、「パキスタンに行くときは男はひげを生やせ」と旅人の中では言われている。

どうしてこういうことがあるのかというと、パキスタンはイスラム教の国なので結婚するまで性行為が認められていないために、男性同士での性文化がひそかに広まっているからだそうだ。

その2 人はよいが、治安は必ずしもよいとは言えない

パキスタンはとても旅がしやすかった。人もよかった。個人的には何も苦労はしなかった。

たった一つ、乗り合いジープを除いては・・・(これは後段で)。

しかし、気になること、というか日本と決定的に違うことが一つある。それは、武器を売るお店が普通にあるということだ。

また、兵隊の方々も肩に銃をかついで要所要所にいる。

これは日本では絶対ないことだ。武器ショップや兵隊さんを見ると、少し背中が寒くなったものだ。

そして普段は温和な人たちも、ある時一線を越えてしまうと暴力的になる可能性をにおわせた。

例えば、ぼくがパキ入りした少し前に、日本人の女性が一人でトレッキングに行き、兵士にレイプされたということがあったり、イスラム教の過激な派の人々がお祭りで感情的になるととても怖かったりするという場面も見たことがあった。

こっそりお酒を飲んでいるパキスタン人とけんかになりそうなこともあった。

しかしそれはごく一部の人達のことなので、それをもってパキスタン人すべてを語ることはできないし、基本的にはすごくいい国、いい人というのがパキスタンの印象だ。

ただし、国境問題や宗教上の問題で根深い問題を抱えていることは確かだ。実際ぼくがパキを後にして間もなく、国境問題で紛争が起きた。

ぼくが行ったエリアに今行けと言われてもぼくは躊躇する。

7時間の長距離バスはもはや短距離に感じるほど

ラホールからイスラマバードまでミニバスで7時間100ルピー。よく報道などで耳にする地名だ。自分がそこにいるのが不思議だった。確かに大きな都市だった。

7時間の移動と聞くと日本ではかなりの移動に感じるが、もはやこの時点でのぼくらにとっては「短い移動」と感じられるほどだった。

なにせ、さらにそこから一気に山麓の街「ギルギット」まで行こうとしていたのだ。

そこから近くのラーワルピンディまでバスで移動し(3ルピー)、ギルギット行きのバスに乗ろうとしていた。

しかし、両替に時間がかかり、目当てのバスが行ってしまい、結局ラーワルピンディで1泊することになった。

「地球の歩き方」がないと両替情報などもないのでこういうことが起きる。

そしてこれがよくも悪くも運命の分岐点だったと思う。

ぼくらはデリーからラーワルピンディまで30時間をノンストップで移動していたことになり、かなり疲れ果てていた。

もしもそのままバスに乗っていたら・・・

乗り合いジープでフンザの麓町「ギルギット」を目指す

目指すは「フンザ」という村だ。そこは風の谷のナウシカの舞台の一つとなった場所と言われており、旅人から「フンザに行った方がいい」という情報をいくつももらっていたから、ぼくらもそこを目指した。

フンザに行くにはここからカラコルムハイウェイで北上し、ギルギッドという中腹の街を経由する。

ギルギットという名前がもはやナウシカに出てきそうで、それだけでワクワクする。

そこからカラコルムハイウェイをさらに北上してようやくたどり着ける。

昨晩、たかのりが誘われていたホテルの主に聞くと、「明日ホテルの車でギルギットまで行ける」という。

一人460ルピー。これはバスと同じ値段だったから、それならプライベートな感じで行った方が楽だろうということでチャーターした。

イスラマバードからギルギットまで車で12時間ときいた。ギルギットからフンザまでは数時間だ。

ぼくらがチャーターした乗り合いジープには、ぼくら4人以外にもパキスタン人が2人乗った。

ふうちゃんはみんなの荷物を抱えて助手席に。ほかの3人とパキスタン人2人は後部座席の3人掛けに5人で座ることになった。

車が北上するにつれ、どんどん田舎になっていく。さらに北上するとカラコルムハイウェイに突入する。

この道は国境を越えて中国まで通じている。

道幅は狭く、山の斜面を削っただけのような、しかもガードレールがないからぼくらの心の中は「落ちないでくれ!」という言葉でいっぱいだ。

「ハイウェイ」という名は、「高速」ではなく、「標高」のことなのでは?と思いたい。

できれば高速で走ってほしくない。しかも運転手はフロントガラスから上を覗き込みながら車を走らせる。

なぜかと聞くと、「落石があるから」という。

やばいだろ。見えたとしてよけられるのか?

またさらに、数日前に日本人が乗る乗り合いバスが崖から落ちたという。

(そういうニュースいらないから。)

そして乗り合いジープはと言えばシートは固く、ゆれがひどい。時々頭が天井に着くほどだ。

これを日常だと思っているパキスタン人てすごいな。

さらに休憩がほとんどない。この人たちはトイレに行きたくならないのか?

(ていうか3人掛けに5人て無理がある。体勢が変えられない!ずっと同じ姿勢!きつい!痛い!運転激しい!)

ぼくは後部座席の左端に座っていた。左肩はドアに押し付けられている。

そしてぼくの左隣はやっくんだ。やっくんはやけにこっちに圧をかけてくる。まじで痛い。

ぼくらははじめこそはいろいろしゃべっていたものの、途中から会話がなくなっていった。

さらにパキスタン人の運転士はタバコを吸っていた。

(おいおい一人だけタバコかよ。おれら狭くて吸えねえんだよ!)

と内心思っていた。

そんな、肉体的にも心理的にも最悪の状況の中、12時間の移動中、休憩は2回だけだった。しかも実際には12時間ではなく15時間かかった。

最初の休憩は車がカラコルムハイウェイにさしかかるあたりのさびれた売店だった。

車から降りるなりやっくんがぼくに小さな声でつぶやいた。

「おれ、まじで今発狂しそうだった・・・。」

だよね。おれもまさに発狂しそうだったよ!おれだってずっと心の中で、

「とめてくれーーーー!出してくれーーーー!」

と叫んでたよ。

「おれもだよ!ていうかやっくんめっちゃこっち押し込んできたでしょ?」

「いや、おれもしんどいんだよ。SEGEのほうこそ端っこでいいよな。おれ両側人だよ。」

「まってまって、おれは真ん中でずっと膝曲げて一番窮屈だから!右側パキスタン人だよ!」

とたかのり。

「確かに!」(日本人一同)

「それよりもふうちゃん、助手席いいよなあ。」(やっくん)

「いや、運転士のタバコ、まじうぜえから。おれ荷物抱えて動けねえし。おれはおれですんげえしんどいんだって。」

「確かに。」(日本人一同)

最初の休憩までが、はじめての辛さで一番しんどかった。それ以降は心構えと、なるべく痛まない姿勢をとることができ、なんとか発狂せずに乗り越えることができた。

車の中で「だしてくれーー!!」と叫ばずにすんだ。

深夜11時ころ、2度目の休憩をした場所もやはり売店のようなところだった。

お店のテラスのようなところに出ると、星空がきれいだった。

軽く日本の10倍は見えた。

そしてインダス川の沿ってさらに北上し、ぼくらは無事ギルギットに到着した。

ホテルではギルギットにその日のうちに着くと言われていたが、実際に到着したのは深夜の3時だった。

こんな深夜に着くなんてインドだったら怖すぎるだろ。パキスタンでよかった。

(ていうか、ラーワルピンディでバスに乗り損ねたけど、あのまま乗れていたらどうなっていたのかな。ジープで15時間だからさらにかかったとして、45時間以上移動を続けたことになる・・・。)

バスに乗れていたらこのギュウギュウづめ状態はなかっただろうけど、45時間移動はなかった。

(どっちがよかったのか分からない。まあいい、ギルギットからフンザまではバスで数時間。もう目と鼻の先だ。)

ギルギットでぼくらは1,2泊し、ぼくはそこにあった「風の谷のナウシカ」を全巻読んでフンザへ向かった。

この移動の苦労を払拭してくれるほど、フンザの景色と夜空は素晴らしかった。

おしまい

フンザのことやギルギットでナウシカ全巻を読んだことを書いてます↓



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