第70話 続「夢をかなえると何が起きるの?」【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
Beach69でのライブ当日。ムーミンファミリーも総出で会場に来た。
コニさんも、ほのかも、おっかあも。みんなとってもワクワクして楽しそうだった。
みんなぼくのファンになっていたし、特におっかあはぼくの大ファンだったから、口数が異常に少ないおっかあだけども、内心はきっとすごくうれしかったに違いない。
さらに、ここ最近牧場に来ていたお客さんの中にも「ぜひSEGEのライブを見たい!」という人が何人かいて、実際に来てくれていた。
また、ぼくはこの日までに何日かbeach69に来て、打ち合わせがてら少し歌わせてもらっていた。
それに店内でぼくの歌のCDをかけてもくれていたので、すでに「SEGEさんの今日のライブ楽しみにしてました!」という人も結構いた。
ありがたい。もはやアウェー感はあまりなくなっていて、かなり歌いやすい状況になっていた。
ぼくは毎度のこと、ライブ前は逃げたくなるような緊張に侵され、自分に最上級の前向きな言葉を浴びせながら、落ち着かない心で会う人会う人と会話をする。
(ライブで何話そうかな。一応考えてあるけど、大丈夫かな。ちょっと今そうっとしておいてほしいなあ。いや、でも余裕のないところを見せるのもよくないよな。とにかく全力で歌えば大丈夫!)
ぼくが前座をさせていただくのは、喜納昌吉さんだ。
喜納さんは、「なきな~さあ~い~」の『花』という歌や『ハイサイおじさん』などで有名な沖縄のビッグアーティストだ。
ちなみに志村けんさんの「変なおじさん」は、この『ハイサイおじさん』から来ている。
その喜納さんはマネージャーさんと一緒に訪れていた。
ぼくはあゆむさんに案内され、お二人にご挨拶をした。やはりビッグアーティストはオーラが違う。
しかもマネージャーの方から喜納さんの名刺もいただくことができた。
喜納さんは喜納昌吉&チャンプルーズとしてバンド活動することが多い。
聞くところによるとそのチャンプルーズは「チャクラ」という那覇の国際通りの一角にあるライブハウスをホームグラウンドとして、毎日のようにライブをしているそうだ。
喜納さんも出ることがあるという。
(なんかやっぱり夢みたいだな。でも、思い切ってやれそうな気がする。)
「SEGE、(喜納さん)くっちゃえよ。」
打ち合わせの時、あゆむさんはぼくにそう言ってくれていたのだ。こんなうれしいことはない。
とはいえ、喜納さんの眼中にはぼくはきっと入っていないに違いないが、どこか今日は「やってやるぞ!」という闘志が湧くのだった。
プログラムは前半と後半に別れ、前半はスプーン曲げの実演を見ることができ、後半は喜納さんのライブである。
その後半の初めにぼくが歌う。
ぼくの出番が順調にやってきた。観衆は100人とか200人くらいはいるのだろうか。ステージに上がるとみんなの目がぼくに集まった。
ぼくのライブが始まった。
「こんばんは。SEGEです!夢有民牧場から来ました!日本二周をしています!」
もうライブの中身を細かく思い出すことはできない。
観衆の目に包まれてただぼくは一生懸命に歌った。
前座だから3曲くらいだったと思う。
反響は、すごくよかった。かなり盛り上がった。喜納さんの前にこんなに盛り上げていいのかと少し思ったが、それは大間違いだった。
喜納さんのライブは盛り上がり方が桁違いなのだ。「ハイサイおじさん」では、観衆が何人もステージにあがり、みんなで踊っていた。
もちろんスタッフがそこは計画してやっているところもあっただろうが、あんな風にライブができたらなあと思いながら、ぼくはまざまざと本物を見せつけられていた。
ライブ後、マネージャーさんが、
「君の歌は70年代を思い出させるね。」
と声をかけてくださった。たぶん誉め言葉寄りの言葉だと思う。けっこう好感を持ってくださったようだった。
こうしてあっという間に夢のような時間が終わり、ぼくらムーミンファミリーは今帰仁に帰っていったのだった。
これをきっかけにぼくの沖縄でのライブ活動は増えていく。
まさにこの旅の理想として描いていたような日々を過ごすことになる。
(あー、これってすごいことだよなあ。なんか夢かなっちゃってるよなあ。)
そう思わざるをえなかった。
でも、ぼくはそこに何か違和感を感じてもいた。
(確かに今の状況は理想的だけど、でも、その先はどうなるんだろう。
おれは別にメジャーデビューしたわけでもないし、ものすごい有名になったわけでもない。
じゃあ、それがおれの本当の目指すべきところなのか。
だとしたら、今やっているこの旅は本当に意味あることなのだろうか。もっと歌を売り出すことに集中すべきなんじゃないのか。
いや、この流れはとても運命的で、いい流れの中にあることに変わりはない。今やっていることに間違いはないと直感で思う。
そもそも日本二周を達成することが今の目標であり、夢なのだ。まずはそれを全うしないといけないよな。
じゃあ、日本二周をする中で、ぼくはさらに音楽活動を発展させていくのだろうか。ほとんど運に任せて。
その運に任せる形が理想ということでいいのだろうか。その中でたとえ音楽活動が発展しなくてもよいということになってもいいのか。
分らない。
だけど、もし日本二周を達成することができたら、それは胸を張って人に誇れるぼくの肩書になることは確かだ。
その二周という経験の中でさまざまな出会いや学びがあり、ぼくを人間として成長させてくれることはあるだろう。
それが旅であり、あくまでもぼくは今旅をしているんだ。決して歌を広めることだけが目的ではない。
今はこの旅に全力で身を委ねるしかない。
その先のことは、その先で考えるんだ。)Beach69でのライブ当日。ムーミンファミリーも総出で会場に来た。
コニさんも、ほのかも、おっかあも。みんなとってもワクワクして楽しそうだった。
みんなぼくのファンになっていたし、特におっかあはぼくの大ファンだったから、口数が異常に少ないおっかあだけども、内心はきっとすごくうれしかったに違いない。
さらに、ここ最近牧場に来ていたお客さんの中にも「ぜひSEGEのライブを見たい!」という人が何人かいて、実際に来てくれていた。
また、ぼくはこの日までに何日かbeach69に来て、打ち合わせがてら少し歌わせてもらっていた。
それに店内でぼくの歌のCDをかけてもくれていたので、すでに「SEGEさんの今日のライブ楽しみにしてました!」という人も結構いた。
ありがたい。もはやアウェー感はあまりなくなっていて、かなり歌いやすい状況になっていた。
ぼくは毎度のこと、ライブ前は逃げたくなるような緊張に侵され、自分に最上級の前向きな言葉を浴びせながら、落ち着かない心で会う人会う人と会話をする。
(ライブで何話そうかな。一応考えてあるけど、大丈夫かな。ちょっと今そうっとしておいてほしいなあ。いや、でも余裕のないところを見せるのもよくないよな。とにかく全力で歌えば大丈夫!)
ぼくが前座をさせていただくのは、喜納昌吉さんだ。
喜納さんは、「なきな~さあ~い~」の『花』という歌や『ハイサイおじさん』などで有名な沖縄のビッグアーティストだ。
ちなみに志村けんさんの「変なおじさん」は、この『ハイサイおじさん』から来ている。
その喜納さんはマネージャーさんと一緒に訪れていた。
ぼくはあゆむさんに案内され、お二人にご挨拶をした。やはりビッグアーティストはオーラが違う。
しかもマネージャーの方から喜納さんの名刺もいただくことができた。
喜納さんは喜納昌吉&チャンプルーズとしてバンド活動することが多い。
聞くところによるとそのチャンプルーズは「チャクラ」という那覇の国際通りの一角にあるライブハウスをホームグラウンドとして、毎日のようにライブをしているそうだ。
喜納さんも出ることがあるという。
(なんかやっぱり夢みたいだな。でも、思い切ってやれそうな気がする。)
「SEGE、(喜納さん)くっちゃえよ。」
打ち合わせの時、あゆむさんはぼくにそう言ってくれていたのだ。こんなうれしいことはない。
とはいえ、喜納さんの眼中にはぼくはきっと入っていないに違いないが、どこか今日は「やってやるぞ!」という闘志が湧くのだった。
プログラムは前半と後半に別れ、前半はスプーン曲げの実演を見ることができ、後半は喜納さんのライブである。
その後半の初めにぼくが歌う。
ぼくの出番が順調にやってきた。観衆は100人とか200人くらいはいるのだろうか。ステージに上がるとみんなの目がぼくに集まった。
ぼくのライブが始まった。
「こんばんは。SEGEです!夢有民牧場から来ました!日本二周をしています!」
もうライブの中身を細かく思い出すことはできない。
観衆の目に包まれてただぼくは一生懸命に歌った。
前座だから3曲くらいだったと思う。
反響は、すごくよかった。かなり盛り上がった。喜納さんの前にこんなに盛り上げていいのかと少し思ったが、それは大間違いだった。
喜納さんのライブは盛り上がり方が桁違いなのだ。「ハイサイおじさん」では、観衆が何人もステージにあがり、みんなで踊っていた。
もちろんスタッフがそこは計画してやっているところもあっただろうが、あんな風にライブができたらなあと思いながら、ぼくはまざまざと本物を見せつけられていた。
ライブ後、マネージャーさんが、
「君の歌は70年代を思い出させるね。」
と声をかけてくださった。たぶん誉め言葉寄りの言葉だと思う。けっこう好感を持ってくださったようだった。
こうしてあっという間に夢のような時間が終わり、ぼくらムーミンファミリーは今帰仁に帰っていったのだった。
これをきっかけにぼくの沖縄でのライブ活動は増えていく。
まさにこの旅の理想として描いていたような日々を過ごすことになる。
(あー、これってすごいことだよなあ。なんか夢かなっちゃってるよなあ。)
そう思わざるをえなかった。
でも、ぼくはそこに何か違和感を感じてもいた。
(確かに今の状況は理想的だけど、でも、その先はどうなるんだろう。
おれは別にメジャーデビューしたわけでもないし、ものすごい有名になったわけでもない。
じゃあ、それがおれの本当の目指すべきところなのか。
だとしたら、今やっているこの旅は本当に意味あることなのだろうか。もっと歌を売り出すことに集中すべきなんじゃないのか。
いや、この流れはとても運命的で、いい流れの中にあることに変わりはない。今やっていることに間違いはないと直感で思う。
そもそも日本二周を達成することが今の目標であり、夢なのだ。まずはそれを全うしないといけないよな。
じゃあ、日本二周をする中で、ぼくはさらに音楽活動を発展させていくのだろうか。ほとんど運に任せて。
その運に任せる形が理想ということでいいのだろうか。その中でたとえ音楽活動が発展しなくてもよいということになってもいいのか。
分らない。
だけど、もし日本二周を達成することができたら、それは胸を張って人に誇れるぼくの肩書になることは確かだ。
その二周という経験の中でさまざまな出会いや学びがあり、ぼくを人間として成長させてくれることはあるだろう。
それが旅であり、あくまでもぼくは今旅をしているんだ。決して歌を広めることだけが目的ではない。
今はこの旅に全力で身を委ねるしかない。
その先のことは、その先で考えるんだ。旅の中で何か見つかるかもしれない。)
熊本の古未運のライブを成功させた後、ぼくの心に去来した思いに似たものがまた降りてきた。
はたしてぼくはどこに向かっていくのだろう。かなえたいことがかなった後、そこに何が待ち受けているのか。
ぼくはその時、ある意味成功の輝きの中にいた。
でも、その輝きの先は何も見えていなかった。
ぼくは結局何をしたいのだ?
つづく