見出し画像

第69話 0からスタートすればあとは上がるだけ【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

虫は明かりに集まってくる。そして類は友を呼ぶ。

ぼくは旅を始めて、新潟で出会ったライダーから「月光荘」という宿をきいた。

月光荘は旅人が集まる宿だ。その旅人の中でも泥臭い感じの、普通の社会では生きづらい感じの、酒とものづくりが大好きな人たちが集まる、当時最先端を行く、ものすごい勢いで前進している安宿だった。

そしてそのつながりにある夢有民牧場に連れて行かれた。

その夢有民牧場も旅人や変わった人が集まる多少名の知れた拠点だったし、沖縄では「あの変わったおじさんがやっている、変わった乗馬をやる牧場」として結構有名だった。

あとで分かるのだが、那覇出身のぼくの大学の同級生もその名前を知っていた。

そしてそこに高橋あゆみさんが興味を持たないわけがなかった。

beach69には自分の夢をかなえようと模索する、月光荘と比べるとよりあか抜けて、都会的な若者があふれていた。

彼らは旅人というより、あゆむさんの本を読んで、その生き方やエネルギーを生で感じようと、全国から若者が集まって来るのだ。

ある意味それ自体が人生の旅でもあるが。

あゆむさんも旅人であり、「旅に出ちゃえば?」と本で謳っている。旅をするとは、新しい世界を知ることであり、新しい自分を知ることだ。

または、癒しだったり、原点にもどる過程だったりの時もある。

要するに旅とは現状に変化を起こすものだ。

あゆむさんも、ただbeach69を運営するだけでなく、いろいろなことにアンテナを張って新しいことに足を踏み込もうとしていただろう。

もっと簡単に言えば、「面白そうだな」と思うことにどんどん手を出し乗り出していく、ただそれだけのことだとも言える。

だから、「変なおじさんがいるぶっとんだ乗馬ができる牧場に行ってみよう」とあゆむさんが思うことはごく自然なことだ。

ムーミンさんはあゆむさんが帰って行った後、ぼくにこう言った。

「彼、目がキラキラしている青年だね。」

きっとあゆむさんの目はこれからも曇らないのだろう。

そしてぼくもそのあゆむさんに出会えた。

古未運も、月光荘も、夢有民も、beach69も、若者や旅人の中で明るく光を放つ火であり、ぼくはそこに飛び込んでいったということなのだ。

何か社会に風穴をあけたい。何か自分の人生で成し遂げたい。常識にとらわれないで、自分らしく生きたい。

ぼくが旅をしてきたルートは、そういった人たちの渦中にあったということだ。

そして、何よりもぼく自身が「自分の人生をどうにかしたい」と思ってこの旅をはじめていたのだった。

だから、今までの生活を捨て、旅を始め、もう沖縄まで来て、夢有民牧場まで来て、あゆむさんに会えたということは、もはや単なる偶然ではなく、必然だったと思う。

いや、いくら偶然ではないといっても、ぼくがいる時にあゆむさんが牧場に来たということはやはり奇跡と言ってよい。

もしかしたらもっと前に来ていたかもしれないし、もっと後だったかもしれない。そしたらぼくは会えなかったかもしれないし、そうなったら自分からがんばってbeach69に行ったかもしれない。

それはちょっと勇気のいることだ。

でも、もし自分から行ったとしても、ぼくは単なる若者のone of themとしてしか見られなかっただろう。

それに、牧場にゲストとして来たあゆむさんが牧場のスタッフが歌う歌を自然な流れで聴くのと、beach69に乗り込んできて、「歌を聴いてください」と言って無理やり聴かされるのでは、まったく受け取られ方が違う。

ぼくは余計な苦労をしないで済んだのだった。神様が導いてくれたとしか思えなかった。

この旅で一番かなえたかったこと。いやむしろただのあわい期待にすぎなかったくらいのこと。

「絶対かなえてやるぞ」みたいにはとても思えないくらいの、「そんなことってあるかなあ。あるわけないよね。でもあるかもね。あったらいいよね。」というような気持ち。

それが苦もなく起きてしまった。「あゆむさんがおれの歌を聴いて、気に入ってくれた」なんてことが。

(いやあ、これって奇跡だなあ。奇跡って起こるんだなあ。)

ぼくは3月の前座ライブに向けて、めちゃくちゃ張り切り始めた。

ライブが決まったとなるといろいろと準備も必要になってくる。

練習もそうだが、ライブの最中に切れないように弦を張り替えたいとも思った。

ありがたいことに、その頃はもう、たい肥の稼ぎがたまり始めていたし、また、CDも結構売れていた。

牧場のスタッフもそうだが、お客さんが歌を聴いて買っていってくれるのだ。

もはやCDはいったん熊本で売り切れてしまったので、東京にいる後輩のケンに頼んで送ってもらっていた。

その時は牧場にずっととどまっていたから、CDは足りなくなるとそうやってケンにお願いして送ってもらっていた。ケンにはとても感謝している。

なのでその頃はある程度自分の買いたいものが買えた。

とは言ってもまだ全財産が数千円くらいだったし、買うものがそもそもないので、基本的にはほとんどがたばこ代に代わったと言ってもよい。

しかも買うのは安い「うるま」や「バイオレット」だ。

しかし、ギターの弦やピックをそろえたりすることがなんと楽しかったことだろう。

ムーミンさんの客引きについていって、月光荘や柏屋に寄るついでに那覇の楽器屋さんに行ったこともある。

そのお金が自分が文字通り0から稼いだお金だったというのが、なおさらうれしかった。

そして打ち合わせでbeach69に行くこともあり、自分だけで牧場の車を借りて出かけるなんてことも初めてだった。

スタッフになりたての初めの一か月、どこにも出かけなかった日々と比べて、ぼくの牧場ライフが急に彩り始めた。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!