第83話 ヒッチハイク通算100台目は、佐賀の森林公園で【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
あいちゃんちは、中州の春吉橋まで歩いて5分程度のところにある。ぼくはあいちゃんの留守の間、そこでつかの間の一人暮らし。
あいちゃんは女性なのにヒッチハイクでツアーに出ている。
女性でヒッチハイクはなかなか勇気のいることだ。
ただしトラックの運ちゃんの間では、女性はあまり乗せないのだという。
ヒッチハイクをしていると何人かの運転手さんからそんな話を聞いた。
後ろにどんな怖い男たちがからんでいるか分からないからだそうだ。
乗る方も怖いけど、乗せる方も怖いのだ。
幸いギターを持っている歌うたいは素性がわかりやすいので、だからツアーができるのだろう。
(おれもそういう生活したいな)と思ったが、(ん?でもおれがやっていることも同じこと?なんか同じようで違うような。)などと思う。
さて、基本的に料理などしたことがないぼくは、なぜか気がつくとスーパーで野菜や米などを買い、自炊をしていた。
あいちゃんのキッチンがぼくの料理欲を呼びましたようである。
まあ前から料理したいと思っていたからお金もないしちょうどいい機会だった。
そして夜は、この時の福岡滞在では、歌うと一晩で平均2000円くらいをいただけた。
どれくらいお金が落ちてくるかはその時によってまちまちだ。一晩で20000円という時もあった。
ただ基本的には2000円くらいが当時のぼくの力なのだろう。
2000円のほとんどは食事代で消えていくから、手元に残るのはほんのわずかだ。
(あいちゃんはこれに家賃を払ってるんだよなあ。すごいなあ。)
ぼくはなるべく外食も安めにすました。
でも福岡は外食も安い。しかもうまい!
もつ鍋うまっ!ラーメンうまっ!めんたいこうまっ!地鶏うまっ!水もうまっ!
お店に入ると人もいい。
福岡という街はとても好きだ。
街もほどほどに都会だけどゆとりがある。
都会だけに少しつくりものになってきた感はあるが、きれいでせかせかしてない街だ。
なにせ歌うたいに優しいのだ。
心にゆとりがないと、道行く人が、道端の歌に足をとめてくれるなんてことはないと思う。
ぼくは約1週間ほど福岡に滞在した。
この数日間で中州の歌うたいたちと再会し、中州での生活が安定したので、ぼくは「いつでもここにもどってくればいい」という安心感を得ることができた。
なのでここからは行きに九州でお世話になった方の何人かに会いにいくことにする。
有田焼の福岡さん、熊本の古未運。もしかしたら勢いで延岡のたいぞうさんのところにも甘えに行ってしまうかも。
なんだか九州は自分のホームグラウンドのようだ。
それと行きに出会った高校生のかずみ君にも会わないといけない。
かずみ君は牛津にいるのだが、行きに出会った時にCDの持ち合わせがなくて渡せなかったのだ。
CDをほしいと行ってくれたのに渡せなかったことが悔やまれて、「絶対渡しに来るから」と約束をしていた。
郵送で送ればいいのかもしれない。でもそれはしたくなかった。それならこの旅をしている意味がないとも言えるのだから。
なにせこの旅はそもそもアジアで出会った方々に歌やCDを届けに行く旅なのだ。
そして沖縄から北上してきたぼくには「日本二周の前半で出会った方に歌やCDを届けに行く」という思いも加わっていた。
(この約束を絶対果たしたい。)
とぼくは執念のように思っていたのである。
まずは有田だ。
ひさびさのヒッチハイク。雨もぱらつきなかなかうまくいかない一日だった。
96台目。大野城から鳥栖まで。
つつじを見に行く途中の年配の男性と娘さん。
34号で佐賀県へ向かう。
「福岡の都市高速はできてから10年目くらいですかね。環状線がどんどんできますよ。」
「環状線て、福岡にもできるんですね。」
環状線と聞くとぼくは以前は東京しか知らなかったが、大阪に初めて行ったとき大阪にも環状線があることを知り、胸がおどった。
しかも環状線の道路は一方通行なのが新鮮だった。
そしてこの福岡にも環状線ができるという。
しかし道路はできていくけど地下鉄の工事は進まないのだそうだ。それは遺跡が多いからだ。
「福岡は短時間でどこでも行ける場所だよ。あ、そう。カラオケのプロモの撮影は福岡が多いんですよ。」
福岡についてたくさん教えてくれた。
ほかにも丸幸ラーメンについても教えてくれた。
「24時間やっててね。トラックがよく来るし、ダイエーの選手なども来るんですよ。」
97台目。鳥栖から牛津駅。
家族連れ。4人家族だった。アウトレットのパン屋さんでパンをごちそうになった。
牛津を通ったが、かずみ君は後だ。有田にはろくろ座がある。
ろくろ座が開いている時間に有田に着いておきたい。
98台目。牛津から有田。
武雄に住むカップル。デート中でその日は彼女さんの誕生だそうだ。
ぼくは数か月ぶりろくろ座の扉を開けた。かわらずに福岡さんがいることがうれしいし、不思議な感覚にもなる。
やはり紺野さんはもういなかった。
今回も有田焼をやらせてもらった。この旅三度目の陶芸である。
ぼくはたばこを吸い終わったら刺して火を消せる穴をつけた灰皿を作った。
行きよりもうまくなっている気がする。
そして福岡さんに牛津まで送ってもらった。
牛津でかずみ君に会うことができた。
「SEGEさんありがとうございます。」
ぼくは意地になっていた約束をしっかり果たすことができた。
「この辺りで野宿できるところある?」
「だったら森林公園がいいかもしれないです。」
かずみ君に行き方を教えてもらい、歩いて森林公園に向かう。
そこには球場があり、確かに屋根もあるから夜露にやられずに寝ることができる。
トイレもあるし、ばっちりな寝床だ。
球場に近づくと球場の脇で歌う二人の男を発見した。
二人組はギターを持って歌う練習をしているようだった。
ぼくはからまれないかと心配しながらも話かけてみた。
「練習しているんですか?歌を聴かせてもらっていいですか?」
「はい。もちろんです。」
ぼくらはそのまま盛り上がっていき、三人でお互いの歌を歌いあった。
ゆめさんとのりくんの二人はパソコンの専門学校の先生と生徒なのだそうだ。
人が全く来ないこの公園で毎晩しゃべりながら練習してるんだとか。
CDを買っていただき、ゆめ先生のお宅に泊めていただいた。
これがヒッチハイク100台目であった。
ぼくは決めていた。100台目の方には何か特別なことをしたいと。
ただ、それは明日だと思っていたので、少々あせったが、でもこうお伝えした。
「ゆめさん。実はゆめさんがヒッチハイク通算100台目です!東京に着いたら、必ず『これ』というものを贈らせていただきます。ぜひお待ちください!」
通算100台。
これはすごい節目となる数だ。
でも、単なるそれは通過点であった。
これはテレビの企画でも何でもなく、100台になったところでにぎやかな音楽がどこかからかかかるわけでもなく、花吹雪が舞うのでもない。
100という数字を除けば、特別なことは何もなかった。
だからぼくは意識してこの100という数を迎えようと思ったのだ。
本当はもっと前もって考えておけばよかったが。まさか100台を超すヒッチハイクをするとは、スタート時点では思いもしなかった。
それにだれか仲間が、「おい、100台だぞ。すごいぞ。」と声援を送ってくれるはずもなかった。
そんな感じだったので、ゆめさんが車に乗せてくれた時、正直とまどったのだが、でもゆめさんでよかった。
ゆめさんならぼくの提案を快く理解して受け止めてくれそうだったし、あとで何か送るにしても送りやすいと感じたからだ。
とにもかくにも、100台ということはこれまで100人の方が乗せてくれたということである。
みなさんのおかげで、また少し夢に近づいているのであった。
つづく
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