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第30話 父親もまた人生につまずいた一人なのだ【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
「おお、どうした。今どこにいるのか。」
「今、広島の五日市にいるんだけど、地御前に泊まらせてもらってもいいかな?」
「おお、いいけど、迎えにいってやろうか?」
親父の声はうわずっていて、本当のことは聞きづらい言いづらいけど、とりあえず世間話的にしゃべろうという時に使うトーンだ。
学生のころ、ぼくが気難しかった時代によくこんな調子で話しかけてきた。
「じゃあ、五日市の駅にいるね。」
ヒッチハイク57台目は自分の父親になった。
「どういう風にまわってきてるんだ?」
「東京から太平洋側を北上して北海道まで行って、そこから日本海側をおりてきてる。」
「寝泊りは?ユースホステルとかか?」
「いや、友達がいれば泊まらせてもらったり、あとは野宿したりだね。」
(ユースホステルなんて泊まるお金あるわけないでしょ。)
「しかし、ヒッチハイクはとまってくれないだろ。」
「そうでもないよ。だいたい平均30分というところかな。これがえーと、57台目。」
「父さんも広島のバイパスで乗せたことがあるんだよ。学生だったかな。それ以来もう乗せるのはやめたけど。」
「え?そうなの?」
(意外だな。そういうのに関わろうという気持ちがあるんだな。じゃあもっとおれのこと理解してくれてもいいんじゃないか?でもなんでやめたんだ?)
親父は学生時代はギャンブルに明け暮れていたくらいだから、遊び心はある人なのだろう。
盲パイができるほど麻雀の達人で、お金ないのにヤクザ相手に対戦して、あやうく命を落としかねないこともあったという。
そういうやんちゃな自慢話はけっこうあるが、あまり本心で話す人ではなく、決まって「こうした方がいいい。ああした方がいい。」ということばかり言ってくる。
人のやっていることにダメ出ししかしないのだ。褒められた記憶はぼくの兄弟のだれもが持っていない。
それがものすごく嫌だったが、親父本人はきっと自分の遊び心というか不良心に苦労して、どうしたら大人になれるか、世の中で生きていけるかということで壁にぶちあたってきたのだ。
だからもしかしたら旅をしているぼくに対して興味はあっても、それがよいことだとは決して思わないし、言わないだろう。
そんなことして人生に損しているとしか思わないのだ。
それと他人が何していようが構わないが、我が子となれば人生の失敗の責任を親が負わなければならないという思いもあるのだろう。
ぼくはむしろ心に蓋をして進みたくない道に進むことの方がよっぽど失敗すると思って歌をはじめ、旅に出たのだが、そういったことを話して理解してもらったことはつゆほどもない。
全くの平行線というか、ねじれの位置だ。
さて、五日市に息子を迎えに来て、親父は息子の旅に対して何も言わなかった。面と向かって言いにくいというのもあるだろうし、今さら言ってももうどうにも止められないというのもあったはずだ。
五日市から廿日市まで車ではそんなかからない。あっという間に懐かしい広島の家に着いた。
もう10年以上前だろうか。ここに最後に来たのは。この築200年の家は、つまり江戸時代に建てられている。
ここで商売をしていた家系らしく、宮島に行く人を泊める宿も大昔やっていたそうだ。地御前という地名はつまり宮島の対岸という意味で、かつてはあの有名な大鳥居と対をなす鳥居がここ地御前の海辺に建っていたそうだ。
鳥居は今はないが、地御前神社は今でも鎮座している。現在では宮島に行くのは宮島口と決まっていて、地御前から行く需要はなくなったから、地御前はとてもひっそりしている。
そもそも海岸が埋め立てられてしまっているから、地御前神社が海岸沿いにあったなんて今では誰も信じないだろう。
それでこの古い家は靴を履いたままで生活をする。どういうことかというと、一言で言えば西洋式ということだ。築200年なのに?
広島のおばあちゃんは浄土真宗の一族にカトリックを持ち込んだのだ。そしてフランス人の神父が同居した。こてこての和室の中にミサができる部屋をつくり、祭壇を置いた。
生活スタイルはその神父を中心に形作られた。そしておばあちゃんはこの家で孤児院を開いた。
おじいちゃんは一度もおじいちゃんになったことはない。うちの親父が生まれる前におじいちゃんとなるべく人は亡くなってしまった。親父の上の2人のお兄さんは父親を知っているが、うちの親父は自分の父親を知らないのだ。
だからおばあちゃんは母子家庭で3人の息子を育てながら孤児を育てたということになる。
そして親父は孤児の子供たちと一緒に育った。また、フランス人の神父はラテン系の神父と違い厳格性が強い。
貴族社会で階層意識が根強く残っていたというのもあるだろう。権威的にかなり厳しくしつけられた。
また、当時のカトリックは「間違えたことをしたら地獄に落ちる」というような教育を許していたところもあり、うちの親父はそれがためにかなり苦しんだそうだ。(ちなみに今のカトリックは方針が変わっている)
それだけいたずら小僧だったということでもあるが。
だから親父に関して言えばカトリック教育は失敗に終わっている。親父は現在では信仰心を持っていないし、「恨んでる。もし神がいるならあの日々を返してほしい。」と言っているほどだ。
でも、まあ死ぬときにどうそれを受け止めるかはわからない。神様のみそれを知っている。
とにかく、うちの親父は自分の父親を知らないということだけでなく、「地獄に落ちるぞ」という厳しい教育のもと育てられたのだ。
つづく