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第68話 チャンスはつかみに行かなくても転がってくることもある【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

ぼくは時々思い出していた。タクたちとの楽しい思い出。沖縄に来てから牧場に拉致されるまでの奇跡のような成り行き。充実した日々。

早く自分を認めてもらいたくて、いきなり「坊主にする」と宣言してタクたちに切ってもらったこと。

もちろん、こんなジャングルの中の閉鎖的な生活で、どんな格好していようがしばらくかまわない。どうせ汚い仕事をしているわけだし、髪の毛がどうなっていてもかまわない。

そういう絶好のチャンスだというのがあったからこそやったのだけど、それがこの牧場の人たちと近づける、近づいてくれるだろう、すごくよいきっかけになるんじゃないかという期待もあった。

人間ていうのは不思議なものでこちらが心を開くとまわりの人が近づいて来てくれる。

心を開くというのはやはり勇気のあることであり、まわりの人にその勇気が伝わるのだろうと思う。

誰かが心を開くと、まわりの人はなんだかうれしくなる。勇気のあることをしてくれたことがうれしくて、急に仲間になったような、仲良くしてほしくなるような気持ちになる。

ただ、心を開くというのは簡単ではない。

でも牧場でのぼくは自由にふるまいやすかった。バカなことを率先してやれた。

ヒッチハイクで野宿をしながら日本二周をしている最中の歌うたい。そしてこんな牧場に連れてこられてお金も一文無しになってしまった若者。

そういう肩書きなものだから、なんでもやりやすいのだ。突飛なことをしても不思議ではない。

これが普段東京で日常生活をしている最中だったら、ぼくはむしろ小さくなって、目立たないところからスタートし、実は知ってもらいたいけど聞かれたら答えるような、少しずつ自分を出していくような人間だ。

まあ、自分のポジションができたら自由にふるまえるけれど。安心感があり、信頼関係があれば人間は自分らしくふるまえる。

ぼくはいきなり坊主になっただけでなく、その企画の次は「素っ裸な人間を動物はどう思うか」というのを試してみた。

どういう意味か。単純に裸になって牧場の動物と写真をいっしょにとってみたいということだ。

ぼくは大学時代のオールラウンドサークルの代表として、面白い広告を作ろうということで、コンビニの中やディズニーランドの入り口で裸の写真をとる企画をしたことがある。

はい、ただのアホです。

でも飲んで裸になる人が少なからずいるように、裸になりたいという欲求は人間の自然な欲求だと思う。

そしてインパクトのあるものだと思う。

ぼくは裸で馬に近づいたが、馬は特に反応しなかった。「馬鹿じゃない?相手にしてられない。」と言われているようだった。

馬に馬鹿って言われる人はそうそういないだろう。

坊主頭になって牛に頭をなめさせ、「ざらざらした牛の舌と坊主頭のざらざらとどちらが強いか」を試した。牛が先に嫌がった。

ぼくはだいすけに写真をとってもらい、みんな大うけだった。

そう、そんなことができたもう一つの理由は、彼ら牧場にいた人たちがとても心開きやすい人たちだったとも言える。

特にムーミンさんがそうだし、スタッフの中ではだいすけが一番心の風通しをよくしてくれていたと思う。

だいすけは「自分はタクみたいにできないし、SEGEみたいに特別なものはもってないし」というようなことを言っていたが、実はそういう肩の力が抜けたようなところが一緒にいるとほっとするのだ。

一緒にいても気にならない。心が楽でいられる。

そういう人ってとても大切な人だし、まねしたくてもまねできない、素晴らしい才能なのだ。

だからぼくは気兼ねなくずっとだいすけのもらいタバコができたんだと思う。

だいすけは数年後、地元川崎でバーの店長になった。ぴったりだと思う。

それに比べてとぼくはなかなか心を開きづらかった。

ぼくは人間の心は魔法だと思っているのだが、相手が心を開いてないとこちらも開きづらいもの。

とおるは面白いけど、どこか隠し事というか、触れられたくないものがあるというか、だからこちらも気にしてしまうのだった。

まあ、そんなことを思ったり考えたりして、とおるがいなくなってからの一人スタッフをぼくは謳歌していた。

そしてある日、なんと意外なことが起きるのである。

ぼくの一人スタッフをしていた期間はコニさんという少し年上の静岡出身のサーファーが来て終わった。

この時初めて気づいたのだが、ここからのムーミン生活は、ぼくは常に教える側、先輩となる。

それが一層ぼくに自信をつけさせた。

コニさんはとても寡黙で、年下のぼくにいつも「さん」づけをして呼ぶ。しゃべり方も敬語になる。

「コニさん、おれの方が年下だから呼び捨てでいいよ。」
「いえ。先輩ですから。ぼくはこっちのほうがむしろいいんです。」

(か、かたいなあ。これが根っからのものなのか、本当は違う面を持っているのか、わかんねえなあ。)

コニさんは明らかに何か思い悩んでいるように見えた。でも仕事は非常にまじめで、力もあるし、どんどん吸収していった。

乗馬も、誰もがあびる初心者ギャロップの洗礼を受け、すぐにインストラクターとしてかり出された。

ぼくは正直コニさんが来て「これで仕事が少し楽になるう~」とほっとしていたし、ぼくの歌をコニさんも気に入ってくれたのがすごくうれしかった。

また、二人で働けるということには別の意味もあって、「一人で働いている」=「おれがいなくなったらスタッフがいなくなる」という状況でもあったから、結構なプレッシャーなのだ。

だからコニさんがきて、ぼくもだし、ムーミンさんもほっとしたに違いないのだ。

スタッフが二人になったある日、突然のお客さんがやってきた。

それはなんと「高橋あゆむさん」だった。

あゆむさんは、沖縄の読谷に「beach69」というカフェバー兼ゲストハウスを構えていて、そこを拠点に活動しているちょっと有名なカリスマ作家だった。

あゆむさんは自伝を書き、自分でサンクチュアリという出版社を作って本を売るという熱い方で、「夢を売っている」のだ。

「毎日が冒険」という本に調布のパルコで出会ってから、ぼくは沖縄に行ったらあゆむさんに会いたいなあと思っていた。

だから沖縄で行く当てというと、月光荘とあゆむさんのbeach69だったのだが、beach69は那覇にはなく、どうしたらいいか考える間もなく今帰仁の牧場まで来ていたので、半ばあきらめていたと言ってもいい。

でも、まさか会いに行くのではなく、あちらからこちらに来てくださるとは!!

しかし、あゆむさんが会いに来たのはぼくではなくムーミンさんであり、乗馬をしに来たという。

まあ、あゆむさんのことだからそれなりに名の知れた夢有民牧場をその目で見に来たかったのだと思う。

何か面白いことがあるのではないか。何か面白いことが起きるのではないかと。

とにかくぼくにとっては青天の霹靂、棚から牡丹餅の奇跡。

(これは何が起きるのだ?おれの歌聴いてもらえるかな。)

本で知っているあゆむさんは自分自身でもギターの弾き語りで歌うこともあるし、ライブなどのイベントも開いているらしいから、そんな人にぼくの歌を聴いてもらえたら・・・。

(でも、こわいなあ。気に入ってもらえるかな。)

と勝手に聞いてもらえる可能性について考えているぼくがいた。

ムーミンさんはあゆむさんのことをよく知らないらしかったが、いつも通りあゆむさんたちにも「馬こけた人こけた」の受け身練習をほどこし、乗馬のトレッキングになった。

それは1月の末か2月の頭あたりのことだったと思う。沖縄では日本で最初の桜の開花の時期だった。

寒緋桜という種類だそうだが、となりの本部(もとぶ)にある八重岳という山の山頂付近で今ちょうど日本で最初の桜が咲いているだろうということで、その日の乗馬は花見トレッキングコースとなった。

あゆむさんはbeach69のスタッフを3人連れてきたから、結構大所帯のトレッキングだ。

緊張する。

(なんだか夢のようだなあ。あゆむさんに乗馬教えるなんて。こんなことってあるの?)

でも夢ではなく、やはり現実だった。立場的には教える側になり、それがなおさらぼくの気分をあげていた。

トレッキングは無事終了した。

あゆむさんたちもギャロップには苦労していたが楽しんでくれたようだった。

牧場に着くとムーミンさんがこう言った。

「うちにミュージシャンがいるんですけど、聴いてやってください。」

(おっ、まじで?ムーミンさん言ってくれてありがとう!でも、大丈夫かな。)

ぼくの胸は高鳴っていた。

「へえ。そうなんだ。」
あゆむさんはとくに嫌なそぶりもなく、普通に聴いてくれそうだった。

「SEGE。歌えー!」
「はい!」

ムーミンさんにけしかけられ、ぼくはギターを持ち出してきた。

「SEGEです。ぼくは東京からヒッチハイクと野宿をしながら日本二周の旅をしながら歌を歌っています。じゃあ、聴いてください。」

ぼくがその時何を歌ったのかもはや覚えていない。

夢中で歌った。おそらく3曲くらいは歌ったと思う。

「SEGE、今度イベントあるんだけどその前座でやらない?喜納昌吉さんのライブがあるからさ、その時どう?」

それがあゆむさんの答えだった。

2002年3月6日 in beach69house。ぼくの沖縄での初ライブの日が決まった。

それはこの旅でかなえたい夢をかなえた瞬間でもあった。

ぼくはこれは偶然ではなく、必然だと思っている。

つづく

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