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第129話 人のせいにしたいことこそ、本当は自分に原因がある【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

 高校に上がってもそのままバレーボール部に残った。

 数人辞めたが、ぼくは他に移る理由もないし、他に移ってまた一からやり直すよりももうすでに自分の立ち位置が出来てるバレー部にいた方が楽だった。

 技術的にも問題なく、常にレギュラーでいられた。

 ぼくの学校は中高一貫校なのだが、高校からも受験をして入って来る生徒がいる。

 高校からはバレー部にはそうした外部組が結構入ってきた。

 外部組は勉強をガツガツやってきた人たちで、受験校だったから大学受験もいいところに入ることを想定して入ってきている。

 だから体育会系の陽のキャラというより、どちらかというと陰なキャラが多い。

 もともとこのバレー部はクラスではあまり目立たない平和な人種の集まりだったから、そうした外部組が入ってきても違和感はなかった。

 おそらく運動系のクラブでは学校で一番目立たない、エネルギー値が低いクラブとなった。

 そして自然と、見た目からしてバレー部はかっこよくない。

 ぼくもかっこよくなりたいとは思って背伸びしていたが、似たり寄ったりである。

 私服の高校だったからオシャレ度はバレバレになる。

 同じ体育館のとなりではスラムダンクバブルのバスケ部が練習していて、その人数と活気はすごかったし、見た目だって強そうだし、かっこいい。

 バスケ部とのコントラストを感じざるを得ない。

 そうした目線は周りからの物だけじゃなく、中にいるぼくの目線でもあった。

 ぼく自身がバレー部の中で体育会系っぽくない連中を冷めた目で見ていたことは否めない。

 中学時代、ぼくはそんなに熱を込めて練習に励んでいたわけではない。

 ただ、キャプテンやドカベンを読んで育ったので、スポーツに関してはどうしても自然と熱くなってしまう。

 もちろんスラムダンクも読んでいた。

 また、もともと運動は得意だったので技術的にも部活内で頭角を現していたし、なんでも与えられたことはやらないと気が済まないたちだったから、練習にはまじめに取り組んでいた。

 高校2年にあがり、キャプテンを決めることになったとき、ぼくは同期たちの推薦でキャプテンになった。

 ぼくは人前に立つことがとても嫌いなので、こうした役につくことからはいつも逃げる。

 キャプテンになりたいとは一度も思ったことはない。

 でも推薦されてしまった。

 しぶしぶだが引き受けることにした。

 ただ、推薦されたこと自体はぼくのプライドをいくらかは満たしてくれた。

 ところが高3のある時、ぼくは食堂でバレー部の松永に声をかけられる。

 「SEGE。話があるんだけど。」

 ぼくは250円のラーメンを食べる箸をとめ、横に立つ松永の顔を見た。

 (なんだ。こんな風に話しかけるなんて。何か特別なことがあるのか?)

 「今度ミーティングを開くからSEGEも来てくれないか?」

 「いいよ。」

 断る理由はない。が、楽しそうな話ではないという予感はしていた。

 そしてその日は来た。

 監督が練習後、

 「おまえらの代、今からミーティングだろ。会議室使っていいぞ。」

 ぼくは監督も来ると思っていた。

 監督の言葉の調子からして、ぼくらの代がどんな話し合いをするのか知っているのは明らかだった。

 しかし監督は来ない。

 階段席の会議室に入り、ぼくはキャプテンだが、前に立たず、席の方に座った。

 前に立って話し合いを進めたのは松永だった。

 「SEGEがいない時に集まって話し合ったんだけど、キャプテンに対して言いたいことがある人がいます。これからそれを読み上げるので聞いてください。」

 キャプテンを抜いて話し合いをしていたらしい。

 たくさんの意見が匿名で読み上げられた。

 中でも、

 「SEGEの言葉はきつい。勝ちたいというのはわかるけど、思いやりがないとしかいいようがない。」

 という言葉が心に刺さった。

 「だからSEGEにはキャプテンを辞めてもらいたい。」

 まるで弾劾裁判だった。

 一人を抜いて話し合いを進め、しかもその一人に対して集中的に、それも匿名で批判を浴びせていた。

 (この話し合いを知っていて、監督は何で顔を出さないんだ?このやり方を生徒だけに任せてやっていいのか?)

 しかしぼくは冷静だった。

 いくつもの意見を聞きながら、

 (ここで怒るなよ。おれ。冷静に聞けよ。怒っても何もならない。怒ったらおれがただキャプテンの座にすがりたいのと同じじゃないか。)

 そう言い聞かせていた。

 確かにみんなが言いたいことは分かる。

 思い当たる節はある。

 ぼくが投げかける言葉はきつかっただろう。厳しかっただろう。

 自分だって苦手なサーブレシーブには逃げ腰なところがあったし、それを指摘されることからも避けていたとも思う。

 そんな自分のことを棚に上げ、チームメイトにダメ出しをした。

 「勝つためにがんばろう。そんなんじゃだめだ。飛び込めないのは勇気がないからだ。」

 そういう言葉がチームメイトを追い詰めたのだろう。

 十分、ぼくは未熟なキャプテンだった。

 さらに、「おれはこの人たちとは違う」という意識がぼくの中にあったことも影響しただろう。

 心の中にあるそうした意識は言葉の端々から伝わるものなのだ。

 みんなからの批判に対して、「勝つために仕方ないじゃないか」という反論だってできるのだが、そう反論してもぬぐいきれないうしろめたさのようなものも確かにぼくの心の中に横たわっていた。

 だから反論することはとどまった。

 とはいえ、このやり方には納得はできなかった。

 (なんで正々堂々と言わない?)

 (なぜおれも交えて一緒に話し合わなかった?)

 (卑怯だと思わないのか?)

 ぼくは考えた。

 今一番大切なのは何なのか。

 「わかった。みんなの意見を聞かせてもらいました。おれにも言いたいことはあるけど、そう感じてたんだなと、理解できたよ。

 おれが言いたいことはまず、おれはキャプテンの座にすがりたいとは思ったことはないです。

 だからおれに続けさせてくれとは言いません。

 大事なのは、誰がキャプテンとしてこのチームにふさわしいのか、話し合うことだと思う。

 誰がいいのか、みんなで話し合ってください。」

 ぼく以外のメンバーは話し合った。

 話し合いを聞いているとぼくの思いを理解しているメンバーも一人二人いた。

 「SEGEだってキャプテンとして言わなければいけないことを言ってるだけで、おれは当たり前のことを言っていたと思う。きついかもしれないけど、当然なんじゃない?言われるのが悪いんだよ。SEGEがキャプテンのままでいいと思う。」

 「SEGE以外に誰がいる?ほかにやれる人いるの?いないでしょ?」

 そういう言葉が聞けてぼくは嬉しかった。みんながみんな反対していたわけではないのだ。

 結果、キャプテンはなんとまたぼくになった。

 (結局おれなの?この流れは一体何だったの?意味があったの?)

 当時のぼくがそう思ったのも無理はないだろう。

 まだ10代の半ばの、未熟な精神なのだから。

 でも改めてキャプテンになり、自分が何か言わなければならないことは分かっていた。

 「結局おれになったけど、選んでくれてありがとうございます。これからは、『勝つため』ということはやめて、『みんなで仲良く協力する』ということを大事にしたクラブにしようと思います。」

 この話を仲良しの野球部の連中にあとで聞かせると、

 「なんだそれ、ひでえな。勝つためにやらなくてどうすんの?」

 そんな言葉が決まって帰ってきた。

 当然、ぼくにもその思いはあったけど、このバレー部でそれを続けることは実際不可能なことも理解していた。

 バレー部のメンバーを変えることはできない。

 ぼくが無理やり統制をしいたら、もはや独裁者と同じである。

 彼らが続けるには、彼らが続けられる方針が必要なのだ。

 それを選ばないのなら、ぼくは辞めるしかない。

 辞めるか、方針を変えて続けるか。

 ぼくは続ける方を選んだ。

 実は、ぼくの兄がバレー部だった時、兄はチームメイトとうまくいかなくなり、喧嘩して辞めたのだった。

 その話を以前に聞いた時、

 (喧嘩するほどのことなのか?辞めるほどのことなのか?バレーボールが好きならそれほどのことはしなくてもいいのに。)

 そう思っていた。

 それと同じような駒が今ぼくの前に回って来ている。

 ぼくは兄ほどはバレーボールが好きだとは言えなかったし、どちらかというと責任感で続けていたところはある。

 だから冷静になれたところもある。

 (おれは自分を捨てよう。ぼくの中ではキャプテンの自分は死んだ。みんなが望むキャプテンをこなせばいい。)

 そうわりきった。

 この事件をきっかけにぼくはチームメイトへの声かけを優しくするように心がけていった。

 ぼくは表面的に関係を維持することを努める一方、バレー部をホームと呼べる日は遠ざかっていった。

 ぼくは心の中では孤立したキャプテンであった。

 「弾劾裁判」があまりにも心に大きな溝を作っていたのだ。

 でも、そのままキャプテンをやり続けられたのは、単に自分を殺せたからではない。

 「弾劾裁判」のやり方こそをよくなかったが、この出来事はぼくが自分の「冷たさ」に気づかされる大切な機会ともなった。

 自分の心に嘘はつけない。

 この事件をチームメイトへの文句とあきらめで終わらせることは簡単だった。

 でもそれを誰かに語ったところで、いつもぼくの中にはすっきりしないものが残るのだった。

 ぼくの中にある冷たい厳しさが確かにあったのだ。

 「おれはできるけど、おまえはできない」

 そんな冷たい目線があったのだ。

 そこに向き合うための大切な機会であり、一見人のせいにして自分を正当化できそうな状況は、むしろ神様がぼくを試しているとしか思えなかった。

  

ぼくは表向きには「ひでえ話だよなあ」と言ったり言われたりして、心をなだめるのが常だったし、「あの時は悪かったよ」といつか誰か言ってくれるんじゃないかと待ってもいた。

 そして数年が経ち、大学2年のとき、バレー部同期の柏原(カシ)が死んだ。

 死因は明かされなかったが、だからこそぼくらにはその死因が想像できた。

 カシに何があったのかは、ぼくらには想像することしかできない。

 おそらく本人にしか分からないだろう。

 でも、ぼくには特別心にひっかかるものがあった。

 「飛び込めないのは勇気がないからだ。」

 実は、そうぼくが言っていた相手がカシだったのだ。

 だからぼくは、この旅でなんとしてもカシの墓参りをしたかった。

 もうそれは27話でご存じだろう。

 そして今回は他のメンバーと一緒に墓参りに行く。

 (カシはもしかしてぼくらの心の溝を埋めようとしているのかもしれない。)

 

つづきはまた来週

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