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第132話 明日何が起きるか、知っている人はいない。そして、それは起きるべきこと。【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

東京にもどってくる少し前、調布の飲み仲間のけんちゃんから電話があった。
 
「ロケットというやつが、SEGEの歌を聴いてみたいって言ってるんだけど、東京もどってきたら会える?」
 
「もちろんです。ぜひお願いします!」
 
けんちゃんはロケットさんと待ち合わせをしている下北沢の月灯というバーに連れて行ってくれた。
 
けんちゃんは下北沢の「すずなり」で毎晩のように飲んでいる。
 
30代、コピーライター。飲むとすぐ脱ぐ。
 
学生時代は9バンドを掛け持ちしていたベーシスト。
 
「すずなり」は「すずなり劇場」のあるエリアで、そこに入り浸って飲んでいる人たちは、「ここは下北の村八分だから」と自虐的に言っているが、まんざらでもない。
 
おしゃれでクールな下北とは言えないが、くだくだの、がちゃがちゃの変わった人たち。
 
常に笑いが絶えない。
 
大学生時代からteteのじゅんさんに連れられてそこに顔を出しているぼくは、その濃い人間たちにいつもおびえながら、またあこがれをいだきながら、時々仲間に入れてもらっていた。
 
すずなりの人たちは、とにかくめちゃくちゃ面白い。
 
みんな心がすっぱだかで、自由だ。
 
なぜ「おびえる」のかというと、「おまえはどういう人間なんだ?」「おまえはおまえらしいのか?」といつも問われているような気になり、アイデンティティの危機を感じるからだった。
 
卑屈さと恐怖。
 
「おれは負けている。」
 
そして「おれもこんな風になりたい」と思うのだった。
 
それに、高校や大学では決して学べないようなこと、作れないような人間性、人間関係がそこにある。
 
だから行きたいという気持ちもあれば、行くべきだという気持ちもあった。
 
実はぼくが生まれて初めてライブをさせてもらったのは、そのすずなりの飲み仲間の一人、ゆうきさんのお店だった。
 
ゆうきさんは坊主頭のサウスポーで、渋谷で焼き肉屋の雇われ店長をしていた。
 
そのゆうきさんは、
 
「SEGE。おれはお前を絶対メジャーデビューさせてやる。」
 
と言ってくれていた。
 
歌がなければぼくはきっと下北のすずなりで埋もれていたか、自分の小ささが苦しくて、下北に通い続けることさえできなかったであろう。
 
でも歌を聴いてもらうことによってすずなりでも認められるようになっていった。
 
本当に、歌こそぼくの命だった。
 
「Youの歌を聴かせてよ。」
 
だから、もれなくすずなりメンバーであるロケットさんがぼくを呼び出し、そう言ったことは自然な流れだったかもしれない。
 
ロケットさんは、プロのフリーのカメラマンで、相手のことを「You」と呼ぶ。
 
ぼくはロケットさんに会うのは初めてだったが、月灯で「sing a song」を歌った。
 
「いいね!You一緒にやっていこうよ!meがプロデュースするよ!」
 
その時から、ロケットさんはぼくのプロデューサーのような人になった。
 
ライブをするお店を決めてきてくれたり、ポスターのチラシを作ってくれたり、色々なところにぼくを売ってくれるようなことをしてくれた。
 
そしてロケットさんプロデュース第1弾は、東北沢の「なんでもあり」でのライブ。
 
神奈川からがんばって帰ってきたのはこのライブがあるため。
 
実は日本二周中での東京での正式なライブはこれが初めてだったので、盛大にお客さんを呼んで、となってほしかったが、お客さんはあまり来ない。
 
考えてみれば、東京にもどってきてから行く場所行く場所で歌っていたのだから、このライブに合わせて歌を聴きに来る人は少なくなるのだと思う。
 
旅先で飛び入りで歌っているのと同じ状況だとも考えられる。
 
だからぼくは気にしていないし、オーナーさんがいい人で、今後また歌わせていただく場所ができたということの方が大きな収穫だった。
 
そしてロケットさんに感謝したい。
 
それにいくらか稼ぐこともでき、いろんな人と会えたことも貴重な収穫だ。
 
その日の帰り、ぼくは調布のteteに寄ると、めったに顔を出さなくなったオーナーのみきこさんがカウンターにいた。
 
「今帰ってきたの?」
 
(いや、まさか今じゃないでしょ。そんなタイミングいいわけないじゃん。さすが天然みきこさん。)
 
旅に出て以来一度も会っていなかったので当然と言えば当然。
 
みきこさんはぼくに会えたことで興奮がおさえられないらしく、
 
「ここで歌って!」
 
とカウンターを右手で叩いて言い出す。
 
「ここって、ここ?」
 
「そうよ。この上で歌って。」
 
「カウンターの上で?座らないと天井にぶつかって歌えないですよ。」
 
「いいから、あぐらかいて歌って!」
 
営業時間内だったから、一見さんが来たらどうするのだろう。
 
でもまあオーナーが言うのだからということで、ぼくは人生で初めてバーのカウンターの上で歌うという偉業をなしとげたのであった。
 
東京でやることはこれでやりつくした。
 
次は千葉だ。このまま茨城へ抜ければ、完全に全都道府県を制覇することができる。
 
千葉にはインドで出会ったマサさんがいて、マサさんにCDを渡しに行きたいのだ。
 
この旅の目的の一つは、「インド・ネパール・パキスタンで会った人たちに歌を届けに行く」だったから、それがまた一つかなう事になる。
 
ちょうど錦糸町の山本君のところで飲み会があるというので、そこから千葉へ歩いて行くのが都合がよい。
 
ちょうど良すぎる。
 
しかも、大阪の友達が東京に来るかもしれなくて、来たらうちに泊めてあげようと話をしていたから、何日か待っていたかった。
 
錦糸町の飲み会まで10日間くらいある。本当にちょうど良い。
 
結局会えなかったが、ちゃんと待ったので後悔はない。
 
9月17日、都営新宿線を使って錦糸町へ向かった。
 
山本君主催の飲み会は、beach69つながりや、サンクチュアリ出版つながり、そしてただの旅仲間など、居酒屋に約30人が集まった。
 
わざわざ宮城から車でかけつけた人もいる。
 
なじみの顔も何人かいる。
 
一次会で帰る人たちを錦糸町で見送るついでに、駅前で何曲か歌った。
 
CDも何枚か売れ、ぼくは飲み代が相殺された。
 
二次会は山本君の実家で朝まで行われ、翌日は元気な人だけでクライミングの練習場へ。
 
ぼくは何人かの旅人と仲良くなったが、それきり会っていない。
 
そんなことを思い出すと、「いまどうしているかなあ。」と無性に会いたくなり、胸がキュウっとなる。
 
(おーい。いまお前はどうしているんだ?会いたいぞお。)
 
どこで何をしているか分からない人にはそう思う。
 
さあ、もう午後だっが、ぼくはそれでも頑張って旅立った。
 
ぼくのマサさんがいるのは津田沼だ。
 
マサさんに電話をすると、
 
「ごめん!明日から出張になっちゃった。突然決まったんだよね。ごめんね。」
 
まあ、そういうこともある。
 
でもぼくはもう一人、津田沼に会いに行こうと思っていた友達がいた。
 
津田沼といえば大学時代の友達しゅんちゃんがいた。今自分がこんなことをしているなんて知らないだろうから、おどかしに行こうと思っていたのだ。
 
アポなしだから、マサさんに会えたらついでに会えたらラッキー程度に思っていたのだが、こうなってしまっては押しかけるしかない。
 
「もしもし?SEGEだけど、今大丈夫?」
 
「え?SEGE?大丈夫だよ。仕事中だけど。どうしたの?」
 
「今、日本二周という旅をしているんだけど、津田沼に会いに行こうと思って。」
 
「え?何々?よく分からないんだけど、日本一周しているの?」
 
「いや、二周なんだけど、今錦糸町にいて、歩いたりヒッチハイクしたりして歌いながら旅をしているんだよ。今日会える?」
 
「旅してるの?でもおれ、今津田沼じゃなくて晴海なんだよね。八丁堀で仕事しているんだけど。」
 
「あ、そっかあ。でも久々に会いたいんだけど、会うことはできる?」
 
「いいよ。仕事終わったあとでよければ。」
 
今日千葉に行くことはあきらめた。
 
ぼくは夜、銀座でしゅんちゃんと会う約束をした。
 
しゅんちゃんが昔バイトをしていたそば屋が銀座にあるのだという。
 
しゅんちゃんとは学生だったころから約1年会っていない。しゅんちゃんは、彼女と別れ、設計の仕事をしていた。
 
お互い状況がいろいろ変わっていて、新鮮な会話だった。
 
特にしゅんちゃんは驚いたことだろう。
 
その晩は、晴海のしゅんちゃんちに泊めさせてもらった。
 
ぼくはその晩金縛りにあったので、きっとかなり疲れていたんだと思う。
 
人の家で金縛りにあって、しゅんちゃんは「大丈夫?」とびっくりしていたが、友達の家に泊めさせてもらってよかった。
 
でも疲れているというのは体力のことではない。
 
精神的に疲れていたと思う。
 
その前日、ぼくの心はいろいろと渦巻いていた。
 
いや、東京に着いてから、ずっともやもやしていた。
 
旅の途中なのに、実家を起点とした動きになってしまう。
 
それは安らぎよりも、どうしても出てしまう甘えに対するけん制したい気持ちを生んだ。
 
なんだかんだ言い訳をして、安易な選択をしてしまいがちな自分が嫌だった。
 
ルール内とはいえ、都内では交通機関を使っていた。
 
ヒッチハイクがいまだにこわいから、どうしても都会でやりたくない。
 
もう170台も乗せてもらっているのに。
 
ストリートも、東京はホーム過ぎてやりたくない。
 
2日前は錦糸町の駅前で歌ったが、それは仲間がいたからだった。
 
おれは成長していないのではないかと思ってしまう。
 
そして困ったら実家や彼女がなんとかしてくれる。
 
ホームなのだからそれで当然よいのだろうが、せっかくここまできっちりやってきたことが崩れることが嫌だった。
 
それと千葉行きにはなぜかあまり気が進まないのだ。
 
決定的なのは、津田沼に住むマサさんに会うだけで済むはずだったのに、それがなくなり、しゅんちゃんも千葉に住んでいなくて、千葉に行くあてがまったくなくなってしまったことだ。
 
いったい、千葉のどこへ行けばいいのか。
 
千葉の次の茨城は、つくばに中学からの同級生のなべすけがいる。
 
じゃあなるべくつくばに近いところを目指そうか。
 
とりあえず歩いて千葉県に入り、そこから電車を使ったっていい。
 
でもそれもずるい気がするし、いまから千葉県へまたいでも、都会で寝ることになる。
 
それはやはりしたくない。
 
とはいっても、いろいろな出会いや予定や流れはうまくつながってここまで来ているから、間違ってないはずだよ。
 
そんなふうにぼくの中がぐるぐる渦巻いていた。
 
 
そして錦糸町にいた時、一本の電話がかかってきていた。
 
富山の宇奈月の彫刻家、清河さんからだった。
 
「相撲大会で腕の筋肉を断裂させてしまって。冬のストーブにまわすための薪割りができないんですよ。手伝ってほしいんだけど、来られないかな?」
 
その電話がぼくを惑わせていた。
 
つづきはまた来週

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