第65話 場数を踏むという歌の修行は牧場で加速した【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
「SEGE~~~!!」
この牧場ではしょっちゅうムーミンさんのゲキが飛ぶ。理不尽な怒られ方をされることもある。
車がぬかるみにはまって出そうと思って頑張っていると、
「なにやってんだ!お前に運転する資格はない!!」
などと言われる。
「なんだよ。まったく!無理だよ。ふざけんなよ!」
と思いながら仕事をしていた。
でも、怒られることも大事だとぼくは思う。ぼくはムーミンさんに怒られることを、、半分納得がいかないところもありながら、半分は自分にとって必要なことだと受け止めていた。
ぼくはどちらかというとあまり怒られない人生を送ってきた。
ぼくの親父にどなられた記憶はない。議論で熱くなってけんかすることはあっても、高圧的に一方的にあたりちらしてくる人ではない。
学校でも言うことは基本的に聞く方だから怒られることはない。いや、部活でキャプテンをしていたときに怒鳴られたことがある。
ある夏休みの練習の日、ぼくは寝坊したのだ。それで監督に、
「あとでみんなの前でお前のことを怒るからな。」
と言われ、本当に怒られた。今思えばぼくは怒りにくかったのかもしれない。ぼくのやりにくさや、性格を考えてあらかじめ怒るぞと、これは意味のあるやりとりだぞと理解させてから怒ったのかもしれない。
本当に監督とぼくの間に信頼があれば、予告なしに怒ってもらってもよかったのだ。
さて牧場の話にもどる。
夢有民牧場にはもう一つの顔がある。
夢有民牧場は3つの商売で生計を立てている。一つは家畜を売ること。もう一つは乗馬でのトレッキング
ここまではいままでの話で伝わっていると思う。もう一つは?
それはゲストハウスであるということだ。
ここは宿泊施設でもあるのだ。ちゃんと居間に料金表があり、乗馬と共に、宿泊費も書いてある。
1泊2000円だったか。
多くは乗馬をしてそのまま泊まるというパターン。まあ、ヤンバルの山奥で朝から夕方まで乗馬したらそのまま泊まりたくなるのが自然だ。
食費はカンパみたいになっていて、基本的に乗馬代と宿泊費しかとらない。それは良心的だともいえるが、食事はおっかあの家庭料理だし、みんなで一緒に食べる風景を見ていると、お客さんはお客さんではなくもはや家族みたいになる。
だからお金をとるという雰囲気ではない。
その他にもただ単に泊りに来る人というのもいる。
ただ安いという理由で泊まりに来て、ここから美ら海水族館へ行ったり、バイクの旅の途中だったり、いろいろなパターンがあった。
かの有名なロフトプラスワンの平野さんという方が来られた時は、もちろんぼくの歌を聴いてもらい、
「まあ、がんばれよ」みたいなことを言われ、でも決してゴミやカスみたいな評価はされなかったことがうれしかったが、その平野さんは決して乗馬はせず、何日か泊まっていった。
バイクが好きで日中はバイクでどこかへでかけていた。いろいろ取材もしているのだろう。
ムーミンさんとキャラの強さではトントンと言ってもいいくらいで、ムーミンさんは「平野のじじい」とかいって、毎晩飲みながら議論していた。
もちろん日帰りのお客さんもたくさんいる。ただ泊りも日帰りも含めて、非常に変わり者がよく集まる場所であった。
万年旅人からヒッピーまで。うつ病から絵描きまで。歌うたいからインド人まで。多種多様なアンダーグラウンドな人たちが集まってくる。
そもそもムーミンさんは芸大時代におでんの屋台をひいたり、軽食屋さんを経営していたこともあるという。
軽食屋さんの名前を「スナック夢有民」とし、そこに自分の絵などを飾っていたとか。
「軽食をやろうと思っておしゃれに英語に変えようと思ってスナックってつけたら、夜のスナックと勘違いされちゃってさ。」
という話を100回は聞かされた。当時マグロ漁船で世界中を回っていた人だから、「スナック」という意味のとりかたが、一般の日本人の意味とは違ったのだろう。
それか単なる笑いのネタなのか、真偽のほどはわからない。
ともかく当時から人を集めることが好きなのだった。
そこから沖縄へ移住し、金武というところで肉牛の牧場を始めたのが30年以上前のこと。
今の今帰仁の牧場はまだ10数年目くらいで、その前の牧場はブルーシールにおろす乳牛専門の牧場だったという。
「よくやってこれたね。おっかあも大変だったでしょ。」
「それがさあ、うちには必ずいつも誰かしらがいるんだよね。お手伝いというか、居候というか。なあ、おっかあ。途切れたことないよなあ。」
「(うん)。」
いつものことで、おっかあの反応はものすごく薄い。「うん」と言っているのか言っていないのか、うなづいたからきっと言ったのだろう。
このうるさいおやじとおっかあと足して半分にしたらちょうどよい。いやそれでもうるさすぎるな、このおじさんは。
話はそれたが、そんなこんなでここはただの牧場ではなく、いろいろな人が入れ代わり立ち代わり、来ては去る牧場だった。
そしてお客さんが帰るたびに、
「SEGE!」
と呼ばれる。
はじめは(また怒られたのか?)と思って行くのだが、
「お帰りだぞー!!ギター持ってこい!」
となるのだった。
ぼくの歌はありがたいことにムーミンさんに気に入ってもらっていた。
だから特に泊りのお客さんが来れば毎回のように泡盛を横に歌っていた。
そしてお客さんが帰るたびに歌う歌はこれに決まっていた。
「go as a friend」
come as a guest , go as a friend
come as a guest , go as a friend
say goodbye
say goodbye
say goodbye, as a friend
はじめはいつも人見知りでかた苦しいものさ
今ではおれとおまえの仲だね
出会いの数は数知れずあるものさ
別れる時はいつも友だちでいたいね
come as a guest , go as a friend
come as a guest , go as a friend
say goodbye
say goodbye
say goodbye, as a friend
別れのつらさと照れくささそれが友達の証拠
向こう向いて進みだした背中がむずがゆい
出会いの数は数知れずあるものさ
別れる時はいつも友だちでいたいね
遊ぼうぜ 遊ぼうぜ 遊ぼうぜ 肩組もうぜ
また会う時も そうas a friend
あと5分 あと5分 あと5分 続きは
また会う時に go as a friend
行かないで 行かないで 行かないで もう二度と
会えなくても say “see you again”
come as a guest , go as a friend
come as a guest , go as a friend
say goodbye
say goodbye
say goodbye, as a friend
みんなに会えてよかった
みんなの笑顔よかった
みんなとぼくはよかった
come as a stranger, go as a friend
come as a no-name-man ,go as a friend
I`m happy to meet you ,go as a friend
come as a guest , go as a friend
say goodbye
say goodbye
say goodbye, as a friend
この歌はぼくがネパールで作った歌だった。ネパールのレストランやゲストハウスに書いてあった「come as a guest , go as a friend」が一人旅をしていたぼくの胸に刺さった。
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ぼくが泊まったカトマンズのホテルにも書いてあって、そのホテルで書き上げ、ホテルで働いている若者にすぐに聴いてもらった。
「いいね!」
すごい喜んでくれた青年の顔を今でもまざまざと思い出せる。
その歌をぼくは定番のようにこの牧場で歌うようになっていた。
「いかないで~ いかないで~」と歌いながら去っていくお客さんに歌うのだ。
それがうんこ掃除しているときでも、ほし草を裁断機でカットしているときでも、どんなときでもお客さんが帰る時には呼ばれる。
「SEEG!!!!!」
(なんだよ。今ちょっと手が離せないよ。)
と思う時もあったし、裁断機のエンジン音でムーミンさんの呼び声がほとんど聞こえない時もあったけど、だんだんぼく自身も味をしめて主体的にお客さんが帰るタイミングを察知するようになっていった。
夢有民牧場でぼくは一体何回、何曲歌ったのか。
でもこうしてぼくはいつのまにか人前で歌う、しかも形にはまらずに歌うということに慣れていった。
今、ステージで歌う力の土台は実は夢有民牧場で培われたのではないかと思う。
つづく