第94話 川っぺりで朝6時に起こされて歌わされるの巻【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
(なんだ?また立ち退きか?)
「兄ちゃん、歌うたうのか?」
「は、はい。」
「どんな歌うたうんかい。」
「自分の歌ですけど。」
「ちょっと歌ってみなよ。」
「はい?今ですか?今何時ですか?」
「6時くらい。」
(まじで?!6時?こんな早朝の寝起きに歌えってどういうこと?ていうか、このおっちゃんというか、あんさん、見た目もやばくないか?歯抜けてるし。)
このあんさんは、おでこはかなりうすくあげあがっているが、茶髪のロン毛のパーマで、手ぶらだ。
一見ホームレスっぽくも見える。こんな時間に何をしているのだろう。
「どこのギター使ってんの?」
「ヤイリです。」
「おれな、長渕が好きなんよ。」
「あ、ぼくもなんですよ!」
「おれ、東京ドーム行ったことあるで。」
「あ、ぼくもあります。92年ですか?」
「そや、それや。兄ちゃんも行ったことあるんか。兄ちゃん歌ってや。」
(おお、話が合った。じゃあ、この人には『今がその時』という歌を歌おうかな。長渕が好きならしっかりフォークっぽくメッセージを伝える感じが通じるかもしれないし。ていうか、寝起きで声出るかな。)
「この辺、朝早くから歌っても大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。」
「じゃあ、歌いますね。『今がその時』という歌です。」
『今がその時』
一日が始まり日がまぶしくなりかけるころ
小学生たちが石けりしてる家路を独り風を切って帰る
水入らずでののしりからかい、しかりあえる奴らと朝まで語り明かしても
その度に「やっちまった」より「やってやろう」と決心がつく
自分の中のくそ野郎がくやしくて
余裕で踊ってる人がうらやましくて
あこがれるよりうらやむより なってしまえばいいさ
一生このままでいたくねえ
にぎりしめたか こぶしを 自分には負けたくねえ
かみしめたか 奥歯を だれにも任せたくねえ
捨ててこれたか 迷いを 今日がその日 今がその時
一人になるとなんだかこみあげてくる日が続いた
押し黙った部屋ん中、腹をすえたくて、ふるえる手で夢をつづる
暗闇に溶け込む秒針の音にうなだれながら
ふと時計の針は左に回らないのだと気づいた
甘えだしたら殴られに行けばいいさ
立ち止まったら負けたくないやつを思い出そう
思い立ったら5秒後には、やりに行こう
おじけづくより追いかけてえ
にぎりしめたか こぶしを 背に腹はかえられない
かみしめたか 奥歯を 誰もがあきらめきれない
捨ててこれたか 迷いを 今日がその日 今がその時
自分自身をふりかざすなら君がなればいい
自分の中、時の中 いつも強い方に傾くさ
にぎりしめたか こぶしを 自分には負けたくねえ
かみしめたか 奥歯を あいつには負けたくねえ
捨ててこれたか 迷いを 今日がその日 今がその時
今がその時
「ええやん。」
「ありがとうございます。」
「ちょっとギター貸して。」
「は、はい。どうぞ。」
あんさんはギターを弾き始めた。
「この曲知ってる?」
「東京ドームで弾いてた『シリアス』ですよね。」
「そや。『いっしん~ふらんに~・・・』」
人の歌を聴きに来たどころか、あんさんは次々と長渕の歌を歌い続けた。
(この人やべえな。朝6時に人を起こして、人のギターをとって歌い始めたぞ。もしかして長渕の歌を歌いたくておれを起こしたのでは?)
しかし、ぼくがラッキーだったのも確かだ。
十代のぼくはかなりの「長渕かぶれ」だったから、この変なあんさんと対等にコミュニケーションがとれる。
あんさんはともすると、いちゃもんでもつけてきそうなオーラも出しているから、信頼関係を築けることは大事だ。
あんさんは、これまでにいろいろな各地の長渕のライブに行っているらしく、
「あの歌は石野真子のこと歌ってるんよ。」
とか、ぼくが知らない貴重な逸話がたくさん出てくる。
でも、各地のライブに行ってると言うが、そんな経済力があるようには見えない。意外とコツコツとお金を貯めているのかもしれない。
ひとしきり長渕談義と歌合戦を繰り広げた挙げ句、小1時間もしたところであんさんは去っていった。
(ふう~。)
こんな早朝に、しかも寝起きで歌ったのは初めてだった。人間の喉は、起きてから4時間くらいしないと歌うのどにはならないと言われている。
喉的にはあまりいいことではなかったが、面白い経験ではあった。
(本当はもうちょっと寝たかったけど、もう日が出てたしちょうどいい時間だったかも。桂浜目指すか!)
ぼくは起こされ歌わされ、歌を聴かされた勢いでそのままその日の旅を始めた。
桂浜へは感覚としては市街地からひたすら南へ行けば着くだろう。
ただ、昨日街を見ていた感じでは、この辺りからまっすぐ桂浜へ行けるような幹線道路的なものはぼくの目には入らなかった。
実はヒッチハイクはこういった市街地よりも郊外や田舎の方がやりやすい。
その方が道が少ないので、自分が行きたい方面に通じる道まで行けば、行きたい方まで行く車を見つけやすいのだ。
逆に市街地は道が多いから、目の前を通る車の行き先は様々になる。
そういう道では、どの車が街に入ってくる車で、どの車が街から出て行く車なのか分からない。
商用の車は忙しいだろうし、買い物に来ている人はすぐそこでとまるかもしれない。
それに車側からしたら、街中でヒッチハイカーを見つけてさっと停まることだって難しい。
さらに、日中は街に入ってくる車が多いだろうから、街から出たいぼくにとっては街中でヒッチハイクをするメリットがほとんどない。
ヒッチハイクの効率はものすごく悪くなる。
もっと言えば、これは主観だが、街に集まる人はストレスが多いだろうし、ガラの悪い人も多そうだ。
人目をすごく気にするぼくにとっては、市街地でヒッチハイクをすることは精神的にも疲弊しやすい。
だから市街地は嫌なのだ。
そこで、市街地にいる場合は、とりあえず郊外へ歩いて出て行ってからヒッチハイクすることが優先となる。
ぼくはコンビニで見た地図を頼りに、桂浜に向かうのに都合の良さそうな道を探して歩き始めた。
たとえ地図上でよさそうな道があっても、実際にそこに行って見てみるといまいちなことがある。
いまいちというのは、車が停まりにくい道だったり、思ったより大きくない道で、通る車の方向が読みにくい道だったりということだ。
その辺の嗅覚やコツというのは100台以上もヒッチハイクをしているとだんだんと磨かれてくる。
2時間くらい歩いただろうか。少し太い道を東へ歩いていた。
前方から歩いて来た青年がすれ違った後に背後から走り寄ってきて、
「すいません。何してるんですか?絶対面白いことしてますよね?」
と話しかけてきた。
ぼくの旅に対してこの極めて食い気味な反応はこの旅始まって以来のことだ。しかも歩いてすれちがった人に呼び止められるのも初めてだ。
「歌を歌いながらヒッチハイクで日本二周をしているんですよ。」
「まじでやばいですね!今からどこに行くんですか?」
「桂浜です。」
「その後は?」
「徳島の方に行こうかと。」
「いつから旅してるんですか。」
「去年の夏から何ですね。」
「えー-!やっぱりすごいことしてますよね?ちょ、ちょっともっと話聞きたいんですけど、うちに来てゆっくり話しませんか?大丈夫ですか?」
「もちろんいいですよ!」
「じゃ、行きましょう。」
(そうそうそう!こういう出会いを待ってたんだよ!こんな格好でこんなギターケース持ってたら、興味ある若者いるはずだよね。何してるのかなあって気になる人いるよね。この旅自体にすごい興味持って意気投合できるような若者が絶対いると思ってた。)
彼は谷田応次郎くんという、高知のテレビの関連会社で働く21歳の青年だった。
色白で、少し猫背でひょろっとしている。
谷田くんは一人暮らしのアパートに連れて行ってくれた。
彼を写真におさめると、鼻に指をつっこんでポーズをとった。
「谷ぽんと呼んでいいですよ。」
おもろい性格で、すぐにぼくらは友達のように打ち解けた。
そしてぼくの今までの話をむさぼるように聴いてくれた。
テレビ局勤務というからこういうことに興味を持っているのかもしれない。
でも、ただ車に乗せるとか話を聞いてみるとか歌を聴くとかという以上に、「何か影響を受けたい」という姿勢で、しかも通りすがりに近づいて来るなんて、ものすごいうれしいことだった。
それと、彼の人柄がなせることだと思うが、友達の様に同じ目線で語り合えたし、珍しくぼくの心のガードが下りずに遠慮せずにいられるのもうれしかった。
「SEGEさん桂浜一緒に行きますか?」
「いいの?」
「いいっすよ!車出します。それと今日うちに泊まって飲みましょうよ。友達呼んでもいいですか?」
「それはありがたい。ねえ、ここ(高知)ってアーケードで歌ってる人いる?」
「時々いますよ。」
「夜歌いに行こうかな。」
「じゃあ、おれも一緒に行きますよ。聴きたいです。」
つづきはまた来週