第126話 みんなと同じ道を歩むことになぜ疑問を抱かないの?~前~【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
飲み仲間の一人の実家が大月のため、いい遊び場を知っているという。
同窓会で酔っぱらったまま吉祥寺で車に乗せてもらうと、ぼくが次に目を覚ましたのはどこかのスーパーの駐車場だった。
太陽がまぶしい。
どうやら目的地である大月の川の近くのスーパーのようだ。
ぼくはいったん外に出たものの、また眠りについてその次に目を覚ましたら、もうそこは山の中だった。
メンバーは地元のバーの飲み仲間5人とバーテン2人の計7人。そのうち、女子2人という構成だった。
真夏なのでめちゃくちゃ暑かったが、川の冷たさが気持ちよかった。
ぼくらはそこでなぜか集まってきていた近所のじじばばと談笑しながらスイカ割りをしたり、野ぐそをしたり、川中にある大きな石の上で昼寝をして干からびてみたり。
いい大人たちが小学生のようにはしゃいで終わった。
(ああ、おれは東京にもどってきたんだなあ。)
としみじみ思ったものだ。
そして8月15日には富士山に登ることになっていた。
同窓会で話していた剛が「夏休みだから一緒に富士山登らない?」と誘ってくれたのだ。
剛は中学からの同級生で、中1の時は同じ野球部だったし、帰る方面も一緒だったし。
大学時代はフットサルを一緒にする仲間でもあり、彼がバイトする町田の居酒屋によくみんなで朝までどんちゃん騒ぎをさせてもらっていた。
とはいっても今まで二人で何かをしたという仲ではなかったので、富士登山の誘いはすごくうれしかった。
それにぼくは登山には自信があったし、どうせ時間はたっぷりあったし、大歓迎で快諾した。
日本一の山に日本二周中に登る。
これもなかなか面白い。
行きも帰りも剛が車に乗せてくれたから、大月もそうだが、これもヒッチハイクのようなものだ。
だからぼくの中では旅が途切れていない感覚なのであった。
行程は早朝暗い時間に5合目から登山開始。そして日帰りで下山してくるというもの。
5合目につき、ぼくらは「記念にもなるよね」と言いながら杖を購入した。
この六角の杖は、途中の山小屋でその都度焼き印を押してくれるので、頂上まで行けばその記録にもなるし、もちろん普通の杖として足の負荷を軽減もしてくれる。
ぼくは日本二周で使っているバックパックを背負った。
ぼくのバックパックは登山用だったから、日帰りの登山としては大きすぎたけどぜひこれを背負って登りたかった。
それに、バックの雨カバーがあったから雨が降っても対応できる。
小さいバックだとこのカバーだとサイズが合わないという事情もあった。
ぼくは日本二周中では毎日のように思い荷物で歩き、何度か登山もしていたし、もともと山登りが好きだったから自信があったが、剛はしんどそうだった。
「頭痛い。」
と言って、途中道端で昼寝したり、小屋で昼寝したりしながらなんとか頂上にたどり着けた。
ぼくも少し頭が痛くなっていた。
でも山頂からの景色は最高だ。
山肌を滑りあがって来きて自分の方にせまってくる雲を見ていると、下界とのスケールの違いを感じる。
頂上に来るととそこが大きなすり鉢になっていることが分かる。
そのすり鉢の縁に立っているのだ。
しかし本当の頂上はその縁をさらにたどって、ゆるやかに登っていかなくてはならない。
そこには富士山測候所がある。
ちなみに、富士山測候所は有人での観測はその役目を終え、現在は無人で気象データを観測している。
ぼくらは、もうひとがんばりと重い身体を動かし、本当の頂上にたどり着いて記念撮影した。
下山は速かった。
富士山の 山肌は砂地が多いのだ。
だからかかとを立てて斜面をけずるようにすべって降りることができる。
そうすると上りの何倍ものスピードになる。
ただ、靴に砂が入るのが煩わしい。
見ると砂カバーを着けている人もいた。
(なるほど。そういう便利なものもあるんだね。)
頭痛はおそらく高山病だったが、下山すればおさまって来る。
ぼくらは早く下山したかった。
砂はいやだったが、なるべく滑り降りて行った。
さて、6合目だったか、まわりに木が生えている辺りに戻ってくると売店があった。
富士山は遠くから見るのは壮大だが、登山道は殺風景だ。
単調なのだ。
木々が少なく景色に変化が少ない単調なジグザグ道。
だからその売点に着いた時は、休める喜びもあるけれど、そのにぎやかさにほっとするところもあるのだ。
売店のベンチに剛とこしかけていると、売店のおねーちゃんが話しかけてきた。
「お疲れさまです。お茶はいかがですか。ただでお飲みいただけますよ。」
剛とぼくは目を見合わせた。
(え?お茶?めっちゃうれしい!)
「はい!いただきます。ありがとうございます!」
「ずずず・・・」
先に剛が茶碗をいただいてすすり始めた。
「おえっ!」
「ん?なに吐いてんだよ。」
「ずずず・・・」
(おえっ。なんだこりゃ。気持ち悪い。)
おねーちゃんがほほ笑んでいる。
「きのこ茶なんですよ。疲れにいいですよ。」
「き、きのこ茶ですか?そうだったんですね・・・。」
(ここできのこ茶ってなしでしょ。高山病で気分悪いときに飲みたくねえよ。ていうか飲む前に言ってくれよ。ていうかそれよりも・・・)
「おい、剛!何吐いてんだよ!ていうかまずかったらおれが飲む前に教えてくれよ!」
「いや、ごめんごめん。あまりにもまずくて。吐きそうだなこれ。先にきのこ茶って教えてくれよなあ。」
(いや、吐いてるだろ。)
そう言って剛は残りのお茶をすべて土に返した。
ぼくはなんとかがんばってすすり上げた。
この茶屋でのお茶にはみなさん要注意ですね。
日帰り登山ということもあり、ぼくらはへとへとだったが、なんとか無事下山に成功し、帰りしなに温泉に入って東京へ帰った。
この数年後。富士登山の時に交わした会話のことで、剛に言われてずっと心に残っていることがある。
「SEGEはさあ、サラリーマンみたいな生き方はしたくないって言ってたよね。でもサラリーマンになっちゃいけないの?」
その会話は富士山に向かう車の中で交わされたものだ。
剛は当時日本二周をしていたぼくに聞いていた。
「なんで就職しなかったの?」
「うーん。おれからするとなんで大学3年生になったら急にみんな就職活動を始めて、卒業したら就職するんだろうって思ったんだよね。
なんてみんな同じ生き方をすることに疑問を持たないんだろうって。
まわりがするからするんじゃなくて、本当に自分がしたいことをするべきなんじゃないかな。
おれは絶対サラリーマンになりたくないと思ったんだよね。
サラリーマンになる前に、自分がやりたいことがあるならそれに向かって行くものなんじゃないかなと。
それができないのは勇気がないからで、勇気を出してやった方がいいと思うんだよね。」
ぼくはそんなことを言ったのだ。
結果としてそれは剛の生き方を否定したことになっていた。
もちろんぼくに剛を否定する意図はなかった。
どう生きたいか、それはあくまでも自分の問題だし、サラリーマンになること自体が全て悪いことなのではない。
それが自分に必要な事ならやった方がいい。
やらざるを得ない状況だってある。
でも、ほかにやりたいことがあるのに、やらないならそれは違う。
それにサラリーマンになりたくないというのは、あくまでもぼくがなりたくないというだけで、ほかの人がサラリーマンであることを否定したのではない。
そこではなくて、まわりを見て、疑問もなく同じような歩みをすることを問題だということなのだ。
つづきはまた来週