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第137話 数年ぶりの風邪と深酒と車内ゲロと液キャベと迎え酒と回復と【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
また東京に戻る。
それは日本を1周してきたことで地元東京の人たちとの関わりが活発になっているということだった。
東京にいる知り合いは、どうやらぼくが日本のどこにいようとも、
「東京に次に来るのはいつ?」
「東京に戻ってこない?」
などと気軽に声をかけるのだ。
彼らにとってはぼくがちゃんと日本を回るかどうかは関係なく、誘いがいがあるぼくを、遊びに、イベントに誘うのだ。
ぼくは野川公園でのカレキャンに誘われただけでない。
ロケットさんが2週間後位に大塚でのライブを手配していたのでその打ち合わせもしたいという。
また、高校時代の先生が結婚するので、そのお祝いのパーティーに呼ばれてもいた。
もう、どう日本を回るかということを考えるよりかは、旅をしながら色々な要望に応えることの方が大事だったし、それの方がむしろいい段階なのかもしれない。
ロケットさんだってライブを組んでくれていて、音楽に身を委ねようとしているぼくにはそれは自然の流れであり、それどころか前進していて、願いが叶って言っていると言ってもよい。
カレキャンだって、先生の結婚祝いだってぼくが歌う場面を設けてくれるという。
「日本を回っている途中なので歌を歌う機会であっても引き受けるわけにいきません。」
となることはむしろ本末転倒だろう。
これは身を委ねべき流れなのだ。
これ以降ぼくの行動は、東京での予定に合わせて東京から出たり戻ってきたりと、そんな感じになっていくのだった。
毎日野宿とヒッチハイクでコツコツとさみしく進んでいた一周目とは、完全に違う趣の旅になっていった。
さて、東京に戻るということは実家にも戻るということだったので、なんとぼくは油断したのか、何年かぶりに風邪をひいてしまったのだ。
カレキャンで寒い中外にずっといたからか。
本当に何年かぶりの風邪だった。
アジアを旅した時も風邪はひかなかったし、寒い中野宿をしていた最中でも風邪はひかなかったし、牧場に数か月いる時も風邪はひかなかった。
反対に、ぬくい実家滞在になったとたん風邪をひく。
病は気からというが、風邪は本当にそういうところがあると思う。
油断は禁物だ。
せきがひどいしだるい。
不覚…しかしうかうかしていられない。
11月9日に大塚でのライブが決まっていて、2日は高校時代の先生の結婚祝い。
その前に高崎と、まだ行っていない茨城県のつくばに行きたい。
そして高崎に行くついでに、秩父と川越にも行きたい。
高崎に行くのは、夏にteteのカウンターでおしゃべりした方が高崎の方で、
「今度是非、高崎に来てください。」
と言ってくれていたからだ。
その金本さんは高橋歩さんのファンであり、その歩さんのお店で何度かぼくは歌わせてもらっていたので話がはずんだのだった。
また、秩父は大学時代の親友古田がいて、日本二周で最初に立ち寄った場所でもある。
川越は沖縄でライブをしたときに、いたく気に入ってくれた中田さんがいて、
「SEGE、絶対川越来てくれよな。仲間に聴かせたいよ。」
と言ってくれていた。
つくばに行くことも考えると、高崎、秩父、川越の順でまわるのがよい。
ぼくは風邪をおして出発した。
群馬は日本二周の中では、ただ降り立っただけで、ヒッチハイクをした以外何もしていなかったので、高崎に用事が出来たことは群馬で何かができるよい機会だった。
金本さんは土方系の仕事をしながらフリーでカメラの仕事をしている夢を追う人。
地元の友達を集めてくれて鍋を囲んだ。
歌も聴いてくれて、せっかく作ったCDがほとんど売れてしまい、また嬉しい悲鳴。
その夜は金本さん行きつけのバーで深い酔いに沈んでいった・・・。
(しまった。風邪ひいてたのに深酒してしまった・・・。)
ぼくは翌日高崎から高麗川行きの八高線に乗って秩父を目指したはいいものの、体調がさらに悪化していた。
(八高線って名前は知ってたけど乗ってみたかったんだよなあ。八王子と高麗川を結ぶから八高だよね?ワクワクする。)
そう思いながら八高線がくるまでラーメンを食べた。
(うえっ。気持ち悪くなってきた。やばい・・・。八高線にトイレあるかな。)
ぼくは八高線にまともに乗っていられる自信がなかった。
(でも行かなきゃ。)
古田には連絡をしてあって、今日行くことになっている。
しかも古田の彼女のよっちゃんが松井駅まで迎えに来てくれることになっていた。
(ああ!こんな状態でよっちゃんに申し訳ないし、古田にも申し訳ない。でも行くしかない。情けねえなあ。ていうかゲロ吐きそう。)
古田が住んでいる秩父は日本二周の旅最初の停泊地。
そこに再び来るということは一周完了したという気持ちにもなる。
一周目の感謝も伝えられる。
古田にとってもどんな旅をしてきたのか興味があるだろう。
だから絶対行きたい。
松井まであと数駅。
(もう耐えられない。)
ぼくは人生で初の車内ゲロをした。
幸い、八高線は車内にトイレがあった。
ローカル線は車内にトイレがないと何かと不便だからだろう。
そしてぼくは松井駅に着いた。
松井駅は、駅自体が無人の公衆便所のようなたたずまいだった。
よっちゃんはすでに車で待っていてくれた。
ここは正直に言うしかない。きっと顔もやばい顔してるからバレバレなはず。
「よっちゃんありがとう。ちょっと具合悪くて、ごめん、トイレに言ってくる。」
「え?大丈夫?」
ふらふらなぼくは荷物を預けて公衆便所のような駅の公衆便所にかけこんだ。
そしてまた吐く。
(ああ、でも今日は絶対古田と飲みたい。)
古田は学生時代に色々と分かち合った仲。
大学の仲間では一番傷をなめ合い、厳しいことを言い合い、彼女にふられた時とかには泣いてぐちゃぐちゃになりながら飲んだ仲。
カラオケでミスチルを互いに歌いまくった仲。
やっぱり古田と会う限りは飲みたい。
(ふう~・・・。)
ぼくはよっちゃんの車に乗り込み、古田家に向かう途中、人生で初の液キャベをコンビニで買って飲んだ。
液キャベは飲んだ瞬間がはきそうにまずい。
でもその後すっきりする。
そして家に着くまで車内で寝させてもらった。
(おれってなんてどうしようもないやつ。)
古田はおやじさんが部品工場の社長さんで、その跡継ぎになるべくがんばっていた。
また趣味のゴルフはかなりの腕前で、その日は仕事のあと打ちっぱなしに行っているという。
(おれを迎えに来ないで打ちっぱなしに行くって、よっぽどだな。)
そして家に着くとぼくは古田と再会を果たした。
「よお。SEGEちゃん。元気だった?なに?1周してきたん?おまえアホだな。」
そうやってぼくを簡単にアホ扱いしてくれるのが心地よい。
「居酒屋いくべ。つーかおまえ大丈夫なん?」
「う、ん、まあ、、、大丈夫。液キャベ飲んで車で寝させてもらったらだいぶよくなった。」
三人で居酒屋に入ったが、ぼくは食欲はまるでない。
(ビールは飲めそう・・・・・・・。)
ところが不思議なことに結局あれよあれよという間に飲めてしまった。
これを迎え酒という。
「わたし、今日はこの人は飲まないで休んでた方がいいんじゃないかと思ったんだよ。」
よっちゃんは普通に飲めてしまったぼくに驚いていた。
それはぼくも同じだった。
ぼくもずっとそう思い続けていた。
けど飲めた。
おいしいつまみは食べれきれなかったけど、ぼくらは二軒目の「リーベ」というバーに行った。
ぼくにとっての地元の馴染みのバーがteteであるように、古田にとってのそれが「リーベ」なのだという。
そんな場所に連れて行ってくれて本当にうれしかった。
「リーベ」は、ママが一人できりもりしていて、しっとり暗めのムーディーなバーだった。
飲み終えて帰ると、古田の工場の二階で小さいライブをした。
この1年間の間にできた新曲をぜひ古田にも聴いてほしかった。
よくそんな体力があったと思う。
まさに奇跡的な回復と言ってよい。
つづきはまた来週