第66話 狂牛病に打ち勝った女性の話【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
「SEGE~~!!」
(なんだよ。またじじいに呼ばれたよ。なんだろな。)
例によってムーミンさんの怒鳴り声が外から聞こえてきた。こうして呼ばれるときは、歌を歌ってほしいか、誰かの仕事に文句があるときだ。
表へ出てみると、あれ?誰もいない。
確かに呼ばれた声が聞こえたはず。
「ねえ、とおる。今おれ呼ばれたよね?」
「うん。ムーミンさんじゃない?」
「だよね。でも誰もいないんだよね。」
「あ、そっか。まだあの人寝てるよね。」
牧場にいるとそうしたことが2,3回あった。ほかのスタッフに「SEGE呼ばれてるよ」と言われて出ていくこともあったが、やはりムーミンさんではないのだった。
もちろん、本当に呼ばれている時もある。
そしてある日、ヤギにエサをあげていると、
「SEGE~~!!」
というあの呼声に似た声が近くで聞こえる!
(も、も、もしや~!)
なんと「SEGE~~!!」と言っていたのはヤギだった!!
「おまえ、このやろ~!!」
とぼくはものすごいうれしくなってそのヤギの顔をもみもみしてしまった。
「ねえ、タク!SEGEって呼んでたのこのヤギだわ。こいつSEGEヤギって名付けよう。」
「まじで!?こいつだったのか!まじうけるね。『SEGE~~!!』」
みんなで「SEGE~~!!」と物まねのしあいっこだ。ぼくはSEGEヤギに向かって言った。
「おまえ、まじでまぎらわしいからやめろよなあ。ムーミンさんが怒鳴って呼んでると思っちゃうんだよ!!」
「ベエエ・・・。」(SEGEヤギ)
近くで聞くとただのヤギの鳴き声なのだが、遠くで聞くと非常にまぎらわしい。
しかしこの日からちゃんとぼくたちはSEGEヤギの声なのか、ムーミンじじいの声なのかをちゃんと聞き分けられるようになったとさ。
動物たちが一緒にいる生活は何とも楽しい。ほかにも「ゾマホンガラス」というのがいて、鳴き声が「ゾマホン ゾマホン」と言っているように聞こえる。
どちらかというと「オマホン」に聴こえるのだが、ムーミンさんが「ほら、ゾマホンているだろ。テレビに出てる。」と言って名付けた。
また、鶏もこの牧場の大切なファミリーだが、そのうちの2羽が「キング」と「ひろし」だ。
キングは体格がよくて落ち着いていて風格があり、まさに「キング」だ。だっこも簡単にさせてくれる。
対して「ひろし」は真っ白で細身、神経質というか狡猾なんだけど気が弱い。タイムボカンのボヤッキーとか、ねずみ男とか、そんなのに近い。
庭を歩いていて背後に気配を感じるとたいていはひろしが後をつけてきている。
振りむくとあわてて逃げていく。そのままこちらが気づかないでいるときは、足をくちばしで攻撃してくる。
追いかけると死に物狂いて鳴きながら逃げていく。あと、ぼーっとしていて犬の近くを歩いていると犬にちょっかいを出されることもある。
小者なのに自分は偉いと思っている。そしておっちょこちょいだ。
さて、牧場暮らしも1か月くらいになってきて、ぼくは随分とここの生活になじんできた。なじむどころか、もう家族のようになっていた。
そのころスタッフにちはるが加わった。ちはるはぼくが置いて来た彼女と同じ名前であるばかりでなく、同じ美大に通い、住まいも彼女が相模大野なら、牧場にきたちはるは新百合ヶ丘だった。年令も同じ。
気持ち悪いというか、縁を感じざるを得ないというか。
新百合ちはるは、ふだんはよく新百合の駅前でだらだらしているという。ぼくは新百合にはフットサルをしに行ったり、飲みに行ったりデートしたりしていたから、いままでもすれ違ったかもしれない
彼女の「駅前でだらだら」がどんなことなのかよくわからないが、夜な夜な友達と駅前でだべっているということだろうか。お家に帰りたくないのだろうか。
まあ、こんなところに一人でくる女の子だからいろいろあるのだろう。でもぼくはこちらの新百合ちはるも嫌いじゃなかった。
小柄で温和で笑顔がステキなメガネっ子。でも多くを語らず、何か秘めているような。何でもオープンなエリとは対照的だが、平和に仲良くやっていた。
エリは女子が一人増えてうれしかったに違いない。
また、ちはるは仕事の合間に何か絵をこっそり描いていた。そういうのもなんとなく秘密のベール感があった。
ぼくはぼくで年末年始は毎年恒例の年賀状版画づくりが待っていた。
牧場に来てまで、この旅の途中でやることなのかと躊躇もしたが、
(いや、むしろ面白い。今の自分をいろいろな人に知らせる絶好の機会だし。それに干支は午になるから、年男だしやっておきたいな。)
午年で、馬に乗り、年男になる。縁を感じざるを得ない。そう思って版画づくりを頑張ることにした。
この旅がぼくにとっての人生の一大転換期であることは当時の自分にも間違いなく分っていたし、牧場にいるということもお知らせする近況としてかなり面白い。
夜、2階のスタッフ部屋で版画を作るぼくを見ていてちはるが声をかけてくれた。
「何作ってるの?」
「年賀状の版画なんだよね。小学生のころから毎年干支を彫っていて、今度年男だからやらないとなあって。」
「いいね!」
そのなんともないやりとりが、なぜかぼくの記憶から離れない。
そしてこのちはるにはかわいそうな出来事があった。
当時世界にはBSE、通称狂牛病が広がってた。牛の脳がスポンジ状になって、叫び声をあげて死んでいくそうだ。
熱処理も効かず、この牛を食べると人にも感染してしまうそうで、人間だとヤコブ病と呼ぶらしい。
このBSEについてムーミンさんのうんちくを毎日のように聞かされていた。いや、それも無理はない。この牧場は肉牛を売っているのだ。
当時牛肉は全くと言ってもいいほど売れなくなっていた。
この牧場もそのあおりを受けざるを得なかった。それはもろに牧場の家計に影響する。
でも競りは一応開かれていた。その競りに牛を連れて行き、競りにかけるのもぼくらスタッフの仕事だった。
毎日エサやりやうんこ掃除をしながら牛にあだ名をつけてかわいがっていたぼくたちにとって、その一匹でも売りに出すというのはさみしいこと。
いつもは草を山盛りに積む牽引車に、その日はかわいい子牛を乗せた。子牛はおどおどしていた。何か察知しているのかもしれない。
なぜ子牛なのかというと、子牛はおいしいというのもあるし、いい子牛を買って自分で育てるというパターンもあり、高値がつきやすいのだ。
なかなか乗らない牛を押し上げ、一人は牽引に牛と一緒につきそい、他はそれをひっぱるサーフに乗って行く。
「ドナドナドーナー ドオナー 子牛をのーせーてー♪」
道中ぼくらアホな男スタッフは歌いながら行く。ぼくらはさみしさもありながら割り切っていた。過剰に感傷的になることはない。
ぼくらは普段当たり前のように牛肉を食べているのだから。今になってかなしくなるのはそれはむしろかっこ悪いのだ。
それに今は自分で牛を育てているのだから、普通の人達よりかはそのありがたみが分かっているはず。
ただ、都会で育ってきたぼくたちが、そうした牧場生活をしていることを得意げに思っているところもないではなかった。
その日は村中の牛飼いが競り場に集まる。道々、筋肉隆々の雄の牛を、堂々と道の真ん中を歩いて引いているおじいたちがいる。
こんな光景はこんな今帰仁のようなド田舎でしか見られはしまい。なにしろ当時今帰仁にはコンビニがなかった。
「牧場の牛は去勢されているからね。去勢しないとああなっちゃうんだよ。」
ムーミンさんのうんちくは、時々本当に勉強になる。筋肉隆々の牛は闘牛になる。闘牛にするには去勢をしないのだ。むしろあっちが普通だということか。
(闘牛も競りにかけられるのかな・・・。)
そんなことを思っていると競り場についた。
牛の競りなど、もちろんぼくには初めての経験で、一体どんな場所なのか検討もつかない。ドキドキした。
それはスタッフ全員が同じだっただろう。タクは以前にも来ていたようだが、きっと初めての時は緊張したと思う。なにせその時はスタッフはタク一人だったのだし。
競り場は円形のすり鉢状になっており、中央の平らなところにはポールが1本立っている。そこに牛の鼻輪に通したロープをくくりつけ、ぐるっと引き回して全身を見せるのだ。
すり鉢の内側に座った牛飼いや買い手達がそれを見て値を付けると、正面の壁の電光掲示板に買値が表示される。
牛の買値は驚くほど低かった。一頭3万円というのもあり、そんなのがざらだった。
(BSEの影響はこんなにひどいのか。)
精魂込めて手をかけた牛が3万なんてありえない。この辺りの牛はまったく問題ないはずなのに。うちの牧場はまだ乗馬をやっているからよかったが、牛だけをやっている牧場は切実な問題だった。
しかし、面白いことが起こった。
「とってもいい牛です!よろしくお願いします!」
と、女性がキャップを外し、元気よくさわやかに、健気に、そして切実に頭を下げて言うと、牛をくるっと一周させてもう一度頭を下げた。
会場が湧いた。おじいたちの表情が一気ににこやかになり、なんと50万がついた。
「えー-!!ずるくない?そういうことなの?」
ずるいけど面白かった。そして、
「ちはる。行ってこい。」
ムーミンさんが指名した。そもそも経験が浅いちはるではなく、ぼくらの誰かが行くと思っていたところ、急遽ちはるが行くのだからちはるもびっくりしただろう。
それに、ぼくがちはるの立場だったら、
(えー!!わたしが行くのー?!絶対やだ。恥ずかしいし、それだけじゃなくて私がやって、良い値が付かなかったらなんか私がだめな女みたいに思われるじゃん!!絶対、ぜったいいやだ!)
と、間違いなく思うだろう。
まあ、その後はだれがやってもあの女性にかなうわけないという面持ちで、実際に50万を越える牛はなかった。
みんなプレッシャーだっただろう。何しろ牛の良さではなく、人間性、人間力で値がついてしまったのだから。
その中でちはるがその何番目かに登場した。
(いやあ、おれじゃなくてよかった。)
正直そう思って胸をなでおろしながら、でも、大きなエールを心の中で送りながら事の成り行きを見守った。
ちはるはぎこちなくもちゃんと牛を回し、「よろしくお願いします!」と恥ずかしさ交じりで、でも元気よくアピールした。
もうさっきほどのどよめきはなかった。「またきたな」という空気も流れた。買い手達は迷ったに違いない。
「8万。」
(うーむ。)
と思ったら、微妙に値が上がった。
「13万。」
(おお!よかった!13万かあ。微妙だけど、まあまあ他の牛よりも値がついたな。)
まるで欽ちゃんの仮装大賞のような値上がりの仕方をしたが、多少なりとも彼女の力によるものだったと思う。
でも、きっとちはるは肩を落としたに違いない。ちはるはうつむいたまま席にもどってきた。
「やったじゃん。がんばったね。」
ぼくらはそうやって声をかけるのが精いっぱいだった。
「もういやだ!」
そう言ってどすんと腰を下ろした。
「2回は通用しませんね。」
などとムーミンさんは言っていた。こういうとき、このじじいはデリカシーがない。まあ、自分の娘に修行させているという感覚なのだろう。
ちはるにとってはこれはきっと生涯に残る思い出になったことだろう。
それからしばらくしてちはるは下山した。
その時にはすでに、だいすけも、タクも、エリも牧場を卒業していた。
タクはたい肥を売り切り、ちゃんと車の弁償代をムーミンさんに払っていった。
ぼくはとおると二人で働くことになり、一気に牧場は静かになった。
ぼくの日本一周目の牧場生活の前半が終わろうとしていた。
つづく