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第55話 人間の尊厳とはーめしも酒も恵んでくれたホームレスの方々【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

さて、約20日間という長い九州生活の中で、ぼくは初めて熊本より南へ向かう。

 目指すは桜島だ。

 桜島を知らない日本人はいないだろう。いまも噴火を続ける桜島。天気予報ではなく「灰予報」があるとう桜島一帯。

その桜島に行ける。しかもその桜島からフェリーで沖縄に行けるとは意外だった。正確には桜島に面した鹿児島側のフェリー乗り場だが。どちらにしても名称は「桜島フェリー」だ。

 ぼくは古未運の方に託麻という小さなパーキングエリアの裏で降ろしてもらった。歩いて高速側に入る。ここからヒッチハイク開始だ。

 77台目はトラックだった。

 「いつもここは寄らないのに今日はたまたま寄ったんだよ。」

ヒッチハイクをしているとそう言ってくれる人が本当に多い。

 ぼくはもうそういうことに慣れていて、そうした「偶然」は、旅の中で起こる当たり前の出来事として捉えるようになっていた。

 「桜島の周囲は何キロか知ってる?60キロだよ。車で一周するのに3時間かかるね。」

 「鹿児島の学校では桜島までの遠泳をやっていてね。鹿児島から桜島まで何キロかわかる?4キロだね。泳いで3時間かかるよ。」

「車で一周と同じですね。」

 そんなことを会話しながら桜島フェリー乗り場まで連れて行ってくれた。

 「鹿児島なら天文館で歌うといいよ。」

 いや、ぼくは天文館には行かない。寄り道をしている余裕はない。フェリー代があるうちに沖縄に行ってしまうのが最善の道。

 それに、どうせまた北上してきた時に鹿児島には来るのだし、昨日十分に歌ったし。

 ぼくは桜島フェリー乗り場に直行した。

 ぼくが乗る那覇行きのフェリーは、当時は大島運輸(現在マルエーフェリー)が運営しており、マリックスラインという名前だった。

 出航は翌日11月1日の18時だった。那覇に着くのはその約24時間後。

 (まずはここで一泊しなきゃならないってことだな。)

 那覇には11月2日に着くことになる。

 ぼくはフェリー乗り場の館内をうろついた。もちろん寝場所を探すのだ。都合のいいことにここは24時間閉まらないようだ。旅人にはもってこいだ。ただし野宿をする人にとってはだが。

 乗り場の建物は2階が広くなっている。観光案内のチラシとかなんやらがさみしく置かれている。

 (ここで夜は寝られるのかな。)

 ぼくは休憩できる机と椅子を見つけて荷物を置いて時間をつぶしていた。

 「すいません。歌を歌うんですか?」

「え。は、はい。」

 なんと女子高生が二人声をかけに来た。

(なんだ。いい展開だぞ。)

 ぼくはこういうこともあろうかと、いつも荷物を置くときにギターケースの「日本二周中」という字が見えるようにたてかけておく。反対に目立ちたくない時は隠しておく。

きっとそれを目にとめてくれたのだろう。

「どこから来てるんですか?」

「東京からです。」

「すごーい!何か歌ってください。」

「いいですよ!」

なにせぼくは昨日ライブを大成功に終わらせたのだ。自信満々である。まだ夕方前の明るい時間だったが、ガランとしたホールでぼくはギターケースを開け、「MY WAY」を歌った。

誰かにとがめられないか少し気にしたが、人も少ないし、職員らしき人もさっきから見ないし、まあ大丈夫だろうという気持ちでかまわずに歌った。

「ありがとうございます!記念に写真とっていいですか?」

お金を落としてくれるのかなとちょっと期待したが、高校生なのでそれは期待する方が間違っている。

ひょっとしてぼくはお金が欲しいというより、歌でお金がもらえるという事実がほしいのかもしれない。

なんとも小さい男だ。いや、でもそれよりも歌を聴いてくれたことがうれしい。

二人の写真をぼくはカメラに収め、二人は特に急いでいないようだったのでギターケースに落書きしてもらった。

にこにこして明るい女の子だった。沖縄へ旅立つ前夜としてはかなり心強い出来事だった。

ぼくはこの後フェリーに乗ると財布には5000円も残らない。つまりぼくの全財産はその時5000円未満だった。

でもぼくはもう怖くなかった。なんだか、お金がないことを楽しんでいる自分がいる。

「なんとかなるさ。」

お金がない状況に対して、ぼくは九州にいるうちにそう思えるようになっていた。

そしてそう思えば思うほど、事態は好転していくようなのだ。

夕方になり、だんだんフェリー乗り場がひっそりとしてくる。

するとそれに合わせてホームレスの方が増えてきた。

ホームレスの方にとっては24時間建物が開いているというのはものすごいありがたいことだろう。野宿を繰り返しているぼくにはそのありがたさが痛いほどよく分かっていた。

屋根や壁がないところで寝るということが、どれほど体にこたえるのかということは、野宿をすれば身をもって分かる。

ぼくはこのホールのどこで寝るのがよいのか考える為にまたうろうろし始めた。どうやらホームレスではなく、もう寝ている旅人もいるようだったが、そんな観察をしていると向こうで手を振る人がいる。

(行ってみるか。)

「お兄さん、ここで寝るんですか?」

「はい。ここで寝ても大丈夫ですか?どこで寝ようかと迷ってまして。」

手を振ってくれたのは二人のホームレスのおじさんだった。バンダナをしているのがみしげさん。もう一人がはせがわさん。

「あっち(のホームレスのかたまり)で寝ない方がいいよ。この前『これ』やられた人がいるから。」

みしげさんの話にのっかってはせがわさんは人差し指を釣り針のように曲げて『これ』と言った。つまり、お金をすられた人がいるということだ。

「あっちはあぶないからこっちにいなさい。我々はそういう汚いことしないから。」

みしげさんたちは大きなレジャーシートの上に座っている。そしておしゃべりしていると人が一人二人と増えてくる。

レジャーシートにはだれがこしらえたのか、つまみや、紙パックの焼酎や紙コップが置かれている。

「SEGEさん、遠慮せずに一緒にやりましょう。11月1日は鹿児島の本格焼酎の日なんですよ。」

(焼酎の日ってなんだ?ま、いいか。)

みしげさんたちは、こんな若造相手にとても丁寧な言葉で接してくれていた。また、みしげさんたちのグループにはぼくと同じくらいの年齢の青年も入っていた。

人は6人くらいになり、いつの間にか宴会みたいになっていく。

まさかホームレスの方々にご馳走になるなんて。しかもお酒まで飲めるなんて。

「お客さんはふるまわなければなりません。困っている人は助けなきゃいけません。お互い様です。それが礼儀です。SEGEさん、ぜひ何か歌ってください。」

「本当にありがとうございます。じゃあ、ぼくの歌で『おつかれさん』という歌を歌わせてください。」

「お、いいですねえ。『おつかれさん』最高ですね。」

はせがわさんはまだぼくが歌っていないのにもうのりのりだ。お酒もまわっているのだろう。

ぼくにとってはありがたい雰囲気だ。

「この歌は東京の下北沢にある小さいバーを舞台にした歌なんです。『すずなり』という下北沢の村八分と言われいるエリアにあって、角地の壁を突き抜けて作ったお店なんです。それで5人くらいしか座れない長椅子の両端が入り口になっているので、入り口から向こうの入り口が見えるようになっています。」

「おつかれさん」

 週末をボトルキープの水割りで

 安く上げよう 朝まで飲み明かそう

 目をこすりこすり 疲れた体を乾杯の

 グラスの音で忘れよう

 

 あんときあいつは あーだった

 あいつとあいつは あーなった

 

 ひとこと おつかれさん 

 あなたも おつかれさん

 今日も おつかれさん 

 明日も がんばりましょう

 

 なんだいつもいつも同じ顔ぶれだ

 中身のない話で笑いあげましょう

 たかが夢だ されど夢だ

 星の夜に声はひびいてる

 

 そんときあそこで あーしよう

 そんときみんなで あーしよう

 

 ひとこと おつかれさん 

 あなたも おつかれさん

 今日も おつかれさん 

 明日も がんばりましょう

 

「いいですねー!」

宴会は拍手に包まれた。

それからしばらくして宴もたけなわとなり、ぼくはみしげさんたちと一緒に段ボールを下にして、寝袋にくるまった。

こんなに安心感に包まれた野宿は初めてだった。なにせ地元の野宿のプロであり、紳士である方々が横にいたのだから。

つづく

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