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第102話 「誕生日のサプライズはヒッチハイクで遂行しに行くの」巻【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

翌日はBeach69の連中と一緒に嵯峨美に向かう途中、カメラマンをしているという横川さんという方に鴨川近辺で声をかけられた。
 
興味を持たれたのか、お茶を共にし、おしゃべりをした。
 
そして桂川沿いの嵯峨美に到着すると、嵯峨美では昼間から校舎の屋上でミニライブ。

嵯峨美へ向かって歩く
屋上ライブ
天気もよくて最高!

夜は嵯峨美の数人で嵯峨美のミナ宅泊。男子禁制の寮なのでなるべく声をあげずに過ごした。
 
久々の出会いで盛り上がっているのに、声を出さないのは無理だったが、無事に過ごせた。
 
その翌日は今度は精華大だ。この辺りは比叡山が近い。日本史で「比叡山延暦寺」とはよく聞いたが、あの比叡山だ。
 
なんとロープウェーがあるらしく、山の向こうには琵琶湖が見えるという。
 
精華大はぴっぴーとユミリンが通う。
 
彼女たちのハッピーオーラは半端ない。
 
そして彼女たちの精華大仲間のパワーも半端ない。
 
キャンパス内に入ると広場で急にダンスを始めて迎え入れてくれた。 

急にはじまるダンス
底なしの明るいガールズ

その流れでぼくもその広場でミニライブ。
 
ライブの後、食堂で休んでいると、
 
「SEGEさん?」
 
と声をかけてくる女子。
 
「うたみ?」
 
「そうそう!」
 
なんと沖縄の月光荘の1周年ライブの時に聴きに来てくれた子であった。
 
お互いに「なんでここにいるの?」ということになり、盛り上がった。
 
夜は修学院のぴっぴ―宅に泊まらせてもらった。
 
この京都滞在で、ぼくはCDが数枚売れ、投げ銭もいくらかいただいたので多少財布は豊かになった。
 
神戸から京都にかけて数日間は、たくさんの仲間と再会し、たくさん歌って怒涛の時間であった。
 
特に女子にたくさん囲まれて、それはそれでぼくの心を盛り上がらせてくれた。
 
そして5月30日、京都市内からヒッチハイク再開。親友のトシに会いに大阪を目指す!
 
ヒッチハイク136台目。
 
京都駅方面の南へ向かう縦の筋で停まってくれた車は、母子2人乗りの車。
 
娘さんは学生らしく、
 
「わたし、普段からヒッチハイクしてますよ。」
 
「どういうことですか?」
 
「学校行くときとか普通にヒッチハイクで行ったりします。」
 
「え?大丈夫なんですか?お母さん大丈夫なんですか?」
 
「なんかこの子時々やってるみたいです。」
 
(お母さん知ってるの?いいの?)
 
「そんな学校の行き方あるんですね。何の学校ですか。」
 
「看護学校なんですけど。」
 
「はあ。そうなんですか。」
 
なんとも珍しい女子学生だ。
 
口調からして性格はちょっときつめな感じだ。
 
そうでもなければこんなことしないし、できても何か事件が起きそうだ。
 
137台目。京都南インターから大阪城。
 
「おれは、昔日本一周したんだよ。」
 
というおっちゃんだった。
 
「十七、八の時、働きながら回ったんだよ。」
 
「車の修理の仕事もしたし、牧場でも働いたし。北海道は人が一番いいね。反対に鹿児島の指宿が一番よくない。あと、東京は味がからいな。」
 
今は屋根の修理屋をしているという。
 
「龍神温泉はいい温泉だよ。美人の湯っていうんだよ。」
 
そう言って大阪城で降ろしてもらった。
 
ついに大阪にたどり着いた。
 
トシの家にお世話になれればしばらくは安住だ。
 
長期間居候させてもらえる。
 
実はこの大阪滞在期間中、2つ大きなイベントがあった。
 
一つは彼女のちはるの誕生日に東京にサプライズで戻ること。
 
もう一つは、トシの発案で、大阪でライブをすることになったことだった。
 
まず、一つ目のサプライズ企画。
 
もちろんヒッチハイクで東京に向かい、ヒッチハイクで大阪に戻ってくる。
 
彼女のちはるは、毎年地元調布のバー「tete」での飲み仲間の仲良し女子3人組で誕生日会をしていたので、そこに合わせて戻る。
 
3人組のうち、一人は新潟出身のまなみで、新潟では偶然里帰りしていた本人と会うことができたし、ご実家に泊めさせてもらった。
 
もう一人は北九州出身のピアニストふみこちゃんで、本人はいなくともご実家に泊めさせてもらえた。
 
もちろんぼくもその飲み仲間の一人だったが、それぞれと地元でもお世話になれるとは思っていなかった。
 
ありがたい。
 
そして、それぞれ3人の誕生日が5月6月集中しているため、5月6月のどこかの日に毎年3人でお祝いしている。
 
今年は6月の初めのころと聞いていたからそこにこっそり顔を出そうと思っていた。
 
実はインド・ネパール・パキスタンの旅の時もその誕生日会の日にこっそりと帰国して、彼女の度肝を抜いたのだった。
 
当時は携帯でメールができる時代ではなかったから、ネパールにいたぼくは街にあるネットカフェでわざわざふみこちゃんにメールをしなければいけない。
 
送信は自分のタイミングでできたが、返信のメールを見るのが大変だった。
 
いつ返信がくるか分からないから、予測してネットカフェに行かなければならないし、空振りならネットカフェ代が無駄になる。
 
そんな苦労をしながらふみこちゃんにこっそり誕生日会を企画してもらっておいて、そこに合わせて帰国した。
 
本当にその日に合わせられるか心配だったけどうまくいって本当によかった。
 
ちはるは泣いて喜んでいた。いや、喜んでいたというより、放心状態だった。
 
そして今回は連絡は取りやすいけど、ヒッチハイクで東京に向かう。
 
それまでの経験では大阪から1日で着くとは予測できたが、何が起きるか一応分からないのでそれなりに心配だった。
 
また、前回のサプライズがあったので、今回も戻って来るかもと思われては脅かしがいがない。
 
旅の途中でヒッチハイクで戻って来るというのはなかなか想像しないだろうが、果たしてどうだろうか。
 
今回もふみこちゃんにうまく取り計らってもらった。
 
ぼくは東京へ向かった。
 
地元へもどるのは、実に10か月ぶりだった。
 

つづきは来週ではなく、再来週(海外へ出かけるため、おそらく投稿できません)。

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