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第125話 学生時代の人間関係を乗り越えたことを感じた時【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

8月8日。ぼくは富山を出た。東京に戻るのだ。
 
ぼくの腹は決まっていた。
 
この旅では行っていない、神奈川にも、山梨にも、千葉にも、茨城にも行こうと。
 
東京周辺で普段よく行くから行かないのではなく、そうだとしてもこの日本二周の旅として行かなくてはいけないと。
 
ただ、ヒッチハイクにこだわらず、あえて歩いて行けるところは歩いて行くことにした。
 
トシに黒部インターまで送ってもらい、黒部インターからヒッチハイクスタート。
 
174台目。米山サービスエリアまで。
 
なんとロケバスのようなバス。
 
新潟の巻の学校のレスリング部の合宿の帰りだという。
 
なんか一人だけ旅人がお邪魔させていただき、恥ずかしい気分になった。
 
でも面白い。
 
175台目。米山サービスエリアから。
 
レコーディングのエンジニアの仕事をしている方。
 
石川県の小松まで仕事で行っていた帰りで、なんと東京の三軒茶屋に帰るところだという。
 
(富山からたった2台で東京に帰れる!)
 
結局八幡山まで送ってもらえた。実家まで10kmくらいか。
 
歩いて帰れる距離だ。
 
ということで、ぼくはあっけなく東京に戻ることが出来た。
 
ぼくは実家に帰り、あらゆる緊張感から解き放たれ次の日はだらだらと過ごした。
 
そしてその翌日は小学校の同窓会があった。
 
まあ、それに合わせて帰ってきているというのもあるが、すごいタイミングだ。
 
ぼくの小学校は中高まであるのだが、中学から男女別学になる。
 
だから共学というほど女子とのつきあいはないが、遊びに盛んな奴らはそれなりに女子ともつながっていて、盛んではなかったぼくも周りの影響でほんの少しだけ接点はあった。
 
なのでそんなによそよそしすぎない集まりになる。
 
ただ、ぼくはこの同窓会がほぼ日本一周を完了した時点であることに感謝していた。
 
というのも、1年前の日本二周に出発する二日前に同級生の仲良しの何人かと飲み会をしていたのだ。
 
だからちょうどその仲間たちにちょうど1年後にもどってきた報告もできる。
 
本当に、なんてすごいタイミングなんだ。
 
また、普段会ってない同級生にとっては、ぼくが音楽をやっていることを知っている人はほとんどいない。
 
ましてやアジア放浪をしたり、日本二周をしたりなんてことを言えば、
 
「え?おまえがそんなことしてたの?」
 
となるのだ。
 
中高時代は、ぼくはどちらかと言えばそれほど目立つ方じゃなかったと思う。
 
一度野球部に入っていたことがあったし、運動はかなりできる方だったから、付き合う連中は運動部系の奴らが多い。
 
運動部系の連中は、血気盛んなので何かと注目される。
 
そういう中にいるとそれなりに認知はされる位置にいたが、ぼくは野球部の後はバレーボール部に入った。
 
バレー部はあまり目立たない感じのメンツで構成されていたので、学校の中では認知度が低い。
 
だからキャプテンをやっていたのに、「バレー部のキャプテン誰?」と言われることもあった。
 
もちろんぼく自身がすごい派手な性格だったらそんなことにはならないのだが。
 
自分から目立とうとは思わないし、目立つようにしようとは思ってない。
 
学年の誰もが知っているという人物ではない。
 
遊ぶ勇気もエネルギーもないから、渋谷とか吉祥寺とか原宿とかとは縁がない。
 
ギターを弾いていても、それを人前で弾いたりバンドを組んだりもしないし、できない。
 
でも、影の薄いグループにいるのでもなく、運動ができる人たちとよく遊ぶ。
 
学校の外には遊びに行かないが、学校内ではよく遊び、ふざけあって楽しんでいる方。
 
カースト的な言い方をすれば、クラスでは上の下、または中の上くらいの位置にいただろうか。
 
そんな中途半端な位置だった。
 
いや、カーストと言えどもぼくはどこかに偏るのがすごく嫌な性格で、勉強ができるやつらとも、遊びに盛んな奴らとも平和に付き合える性格ではあった。
 
それを「平和主義」と言われることもあった。
 
でも、
 
「まじめで勉強できる奴らとは違う。」
 
「ファッションや遊びに時間を費やす奴らはおれらとは違う。」
 
そのどちらももったいないと思う。
 
自分にないものを遠ざけるということは人びとに溝を作ると思っている。
 
小学校の担任の先生に、ぼくの母は言われたことがあるという。
 
「お子さんのようなありかたは、普通嫌われたりすると思うんですけど、そうならないんですよね。徳があるんだと思います。」
 
それを母はすごく喜んでいた。
 
しかし、実際にはそれだけに苦しい思いもすることもあった。
 
それでもありがたいことに、一応ひどいことにあわずに生き通せて来ている。
 
そしてそのスタンスは今でも変わらない。
 
いろいろな立場や文化の人と付き合い、橋渡しをするのが好きだ。
 
さて、同窓会に来るような連中はやはり血気盛んな奴らだ。
 
特に、中高時代からよく外で遊んでいたやつらが多い。
 
そんな連中からしたら、ぼくが歌を歌いながら日本を回っているということは意外に映るだろう。
 
付き合いのなかった奴らからすれば「そんな奴だったっけ?」となるはずだ。
 
だからぼくはとてもドキドキしていた。
 
そこには、ちょっと気恥ずかしさもあれば、誇らしさもあった。
 
ぼくは自分の翼を広げて勇気を出して歌を始め、旅を始めたのだ。
 
それは誰にでもできることではなかったし、口だけではなく、「実際にやってきたこと」だった。
 
自慢でもなく、まぎれもなくそれは自分がやっていることだった。
 
自分の本当の姿を知ってもらえそうだ、みんなに認めてもらえそうだという期待にワクワクしていた部分がある。
 
ぼくの性格上派手な人たちの前にいると、ぼくは委縮してしまうところがある。
 
自分が下に見られたくないというのもあれば、そういった人たちへのあこがれもあるからだ。
 
要するにコンプレックスだ。
 
でもこの同窓会でぼくは委縮することはないだろう。
 
小中高時代の人間関係の中で、もんもんとしていた世界から、完全に脱出していた。
 
だからひょっとするとその頃のぼくは、周りから見たらちょっと偉そうに見えたかもしれない。
 
自分からアピールすることはなかったが、「おれは君たちとは違う」みたいに思っていたのは確かだ。
 
でもそれは若者によくあることだ。
 
吉祥寺で行われた忘年会。
 
ぼくはその場の流れに身を委ね、同級生と酒を楽しんだ。
 
そしてぼくはそのまま山梨に向かうことになる。
 
地元の飲み仲間が大月の川でスイカ割りをしようというのだ。
 
「吉祥寺で飲んでるから、迎えに来てくれたら行けるよ。」
 
ということで深夜の吉祥寺まで迎えに来てもらい、山梨に向かった。
 
これで山梨も達成だ。

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