第103話 彼女を置いて長旅をすることの罪悪感はぬぐえない【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
トシとそのご家族に事情を説明して、ぼくはギターと最低限の荷物を持って東京へ戻った。
普段はあまりしない高速道路でのヒッチハイクだ。
これは日本二周とは関係ないので旅のヒッチハイク台数にはカウントしない。
そんなこだわりはどうでもよいのだろうが、自分なりのけじめである。
滞りなく東京に着いた。
ぼくは誕生日会がはじまる時間まで適当に時間をつぶした。
家に帰るわけもなく、彼女の家に行くわけにもいかない。誰かに連絡をとったとしても、旅はどうなったのかという話になる。
買い物をする余裕も、お金をかけて何かをする余裕もない。
どこかでぼーっとするにしても、なんだか居心地が悪い。
地元って、かえって落ち着かないのだ。
なんだかすごい人の目が気になって仕方ないのだ。
地元東京で、「日本二周」とでかでかと書かれたハードケースを持っていることが、ぼくの心拍数をあげる。
(だれもおれのことを知らないところにいる方が楽じゃんか、)
そんな感じで消耗しながらぼくはひたすら夜を待った。
誕生日会がはじまったころ、ふみこちゃんから連絡が入った。
「そろそろ来ていいよ。」
「おけ。」
ふみこちゃんはテテのスタッフにはぼくが来ることを伝えてくれてあるから堂々と入っていける。
知らないのはちはるくらいだ。
(ドキドキするけど踏み込んでいこう。)
「じゃーん。ただいま。」
店内のみんなの視線がぼくに集まった。
「SEGEおかえりー!!」
ちはるは目を丸くしている。
「誕生日おめでとう!!」
「イエーイ!!」
そこから大宴会とライブが始まった。
「『今年も来るのかなあ。でも大阪にいるって聞いてたから無理かなあ』と思ってたよ!このやろう!!」
ちはるがそうやって悪い口調でぼくにからむときは、本当はうれしいけど恥ずかしいという時だ。
宴会はあっという間に終わった。
その晩、ぼくはちはるの家に泊まらせてもらい、翌日すぐにまた大阪へ旅立った。
うそのようにぼくの旅はまた続くのである。
うそのように。
ぼくはむしろ逃げるように大阪に戻った。
逃げるように。
そう。ぼくは普通の旅をしていなかった。
その中で地元で、彼女のところで長くいたら、もしかしたら旅を続けられなくなるんじゃないかという不安があった。
もう一つ。ぼくには彼女を置いて旅をしているといううしろめたさがあった。
きっと彼女の中にももっと一緒にいてほしいという思いがあって当然である。
だから見方によっては誕生日だけもどってきてなんて勝手なんだということだってある。
会えたことはお互いうれしいけども、そういう裏側の真実に向きあわざるを得なくなるのもつらいのだ。
「大阪だから、もうすぐ東京にもどれるから待っててね。」
そう言ってぼくは大阪へ戻ったのだった。
さて、日本二周中in大阪。大阪では行き同様、親友のトシのご実家に居候である。
家族同然に扱ってくれるし、トシの部屋は庭にある倉庫というかプレハブなので、そこにトシと二人暮らしだからご家族とも程よい距離間で、あまり気兼ねせずにいられる。
ご飯になると母屋から、
「SEGEくーん。ご飯やで。」
とお母さんが読んでくれる。
呼ばれると、夕飯時は座敷で阪神の野球中継を見ているお父さんと向かい合わせになり、お父さんの歌談義がはじまる。
いや、阪神の中継を見ているのかどうかは分からない。とにかくテレビでかかっていて、阪神の中継がかかっていることが日常なのだ。
そんな毎日がとても楽しい。
いや、ただ居候しているだけではない。
行きもそうだったが、夜は心斎橋に歌いに行く。
早速心斎橋に歌いに行った。今回はヒッチハイクではなく、トシに自転車を借りて行く。
土地勘も消えておらず、やすやすと心斎橋に着いた。
「あれ?」
向こうも気づいた。
「よっちゃんですか?」
「そうだよ。戻ってきたの?」
「やっぱり?すごーい!戻ってきました。沖縄から。今日心斎橋1日目ですよ。また会えましたね!」
また会えるだろうとは思ってはいたけど本当に会えた。
行きに心斎橋で歌った時に出会った、30歳過ぎてからギターを始めたホテルマンのよっちゃんだ。
「近頃はこの辺も苦情とかでストリートが厳しくなってきたよ。」
「そうなんですね。結構日本全国そうなってきているみたいですよ。」
すごい偶然の再開に心は踊った。
その夜は、Beach69のあっちょやチッチも聴きに来てくれて、商店街のシャッターの前で声を響かせた。
来週へつづく