第58話 何事も、大けがをしないためには転び方から、受け身から【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
さて、夢有民牧場の乗馬を振り返ってみよう—
「ぱっかぱっかぱっかぱっか、馬こけた。人こけた。たてがみつかめー!くびつかめー!じゃないと死ぬぞー!!」
(なんだこれ・・・)
これは夢有民牧場に入ったものが必ず受けるしごきである。
というのは嘘だが、いや、半分本当だが、これは柔道における「受け身」にあたる、乗馬の「受け身」の練習である。
何のことか意味が分からないと思う。そう、ぼくも意味が分からなかった。「一体何が始まるんだ?」と。
ムーミンさんの娘のほのかは、でかいクッションにまたがっている。そしてそのクッションは掃除機の長い棒に乗っている。掃除機は先っぽがついていて、そのT字のところが馬の顔の部分にあたる。
そのT字には黄色いトラロープが結わえてあり、クッションの方まで伸びている。つまりそれが手綱になる。ほのかはそれを両手で持ってクッションにまたがっているので、ほのかが乗っているクッションは馬の背中なわけだ。
ちなみにほのかは小学6年生である。小学6年生のほのかに、乗馬のインストラクターをやらせているのだ。
ムーミンさんは言う。
「柔道では受け身から習いますね。乗馬も受け身からやります。」
「ここはジャングルの中にあります。馬はその木の下を通っていきます。馬は木をよけますが、乗っている人の分はよけてくれません。だから乗っている人は自分でよけないといけません。木が来たらかがみます。ほのかやってみろ。」
ムーミンさんはハエ叩きをもって前から迫ってくる枝の役割をし、ほのかの前方からそのハエ叩きをほのかに当てに行く。
するとほのかはその枝を前かがみになってやり過ごす。背中をハエ叩きがなでていく。
「この時に後ろにのけぞってよけたらだめだぞ。以前枝にひっかかって落馬して救急車を呼んだ人がいます。落馬をすると商売に影響するので、罰金として一升瓶を買わないといけません。」
そう言ってムーミンさんはにっこりした。
(なんだこのじじいは。やばい人だな。なんで客がけがをして酒を寄付しなきゃならないんだ?論理破綻してるだろ。)
ムーミンさんはユーモアたっぷりにどれだけ乗馬が危険なのかを理解させようとしているのだろう。
なにせここの乗馬はうっそうと木が茂るアスファルトの林道を下山し、村の行動を通って海まで行くというコースなのだ。
普通のトレッキングではない。後で聞いたところによると、普通の乗馬クラブでは外でトレッキングするには100鞍の経験が必要だそうだ。
それを初心者がやる。ちなみに1鞍とは乗馬を1回経験することだそうだ。
しかし、その時点のぼくにはまだそんなことはわかってもいないし、乗馬コースの全貌もわかっていない。
ムーミンさんは続ける。
「それと、前かがみになる時に絶対にたづなを放してはいけません。たてがみをしっかりつかみます。そうしないと落馬するぞ。」
(まじかよ。落馬したくねえなあ。)
「それと馬もこけます。うちの馬はひづめをつけていません。道がアスファルトなのですべってしまうんですね。だから石を踏むと痛いし、つまずいたり穴にはまってこけることがあります。じゃあやるからよく見てろ。」
またほのかが見本を見せてくれる。
「ぱっかぱっかぱっかぱっか、馬こけた。人こけた。たてがみつかめー!くびつかめー!」
馬がこけたとき、たてがみをつかむだけでは人は振り落とされてしまう。
馬自身は倒れないが、バランスが崩れたり急にとまったりして、人は落ちてしまうことがあるからその時一番防がなくてはならないのは頭を守ることだ。
だから乗り手は馬の首に腕を回し、首を安全綱としてしがみつくことで頭からの落下を防ぐことができるのだ。
ほのかはトラロープをそろえてたてがみ(掃除機の棒に生えていると仮想する)と一緒につかみ、右手で掃除機の棒をぐるっと抱きかかえた。
確かに、馬が転ばないなら馬の首にしがみついていれば頭は守られるだろう。
「じゃあやってみましょう。今度はお兄さんたちにやってもらいます。」
(どきどきするなあ。)
「ぱっかぱっかぱっかぱっか、枝よけた。ちがーーーーーう!!それじゃあ死ぬぞー!」
ぼくらがやったとたんに急にスパルタになった。
(お客さんにする態度とは違うのでは?こんなのありか?でもこれやらないと乗馬できないんだよな。いや、そもそもこんな怒られてまでやりたいと思ってきたわけじゃないんだけどな。でもやるしかないか。)
一緒に乗馬することになっていた根岸くんとぼくは変わるがわる乗馬の「受け身」を練習させられた。
そして受け身の練習を一通り終え、ぼくらはヘルメットをかぶり、普段スタッフが使うであろう長靴を借りて乗馬がはじまろうとしていた。
当時の夢有民牧場にいたスタッフは、長期滞在のタクとトオル、そしてタクの大学時代の同級生のダイスケが短期滞在で来ていた。
スタッフたちはすでに午前中の草刈りを終えて戻ってきていた。家畜にあげる草を毎日のように山に刈りに行くのだそうだ。
3人とほのかが乗馬の準備を進めている。馬は全部で4頭いた。3頭はサラブレッドで、引退した競馬馬のゴールデン、兄弟のテツとピーコ。もう一頭は、全身真っ黒い与那国馬のマーちゃん。
その日はマーちゃんとゴールデンとテツで行くという。
基本的にほのかがマーちゃんで先導を務め、後ろの2頭はお客である我々が乗ったりスタッフが乗ったりする。
そしてムーミンさんは三菱のサーフに乗って並走する。このサーフには乗馬していない客やスタッフが乗り、車から乗馬している人に指示したりアドバイスしたり、ムーミンさんがどなったりする。
まずは牧場から砂利道を通り、アスファルトで舗装された道路に出る。この牧場は乙羽(おっぱ)岳という山の中腹にあるから、その道にはほとんど通りがない。
そのジャングルに囲まれた静かな道路で基本練習がはじまる。
サラブレッドだから馬体が大きいので馬にまたがること自体が難しい。
(うおっ。乗ってみるとかなり高いんだな。うまく動かせるのかな。)
かなりドキドキしていた。根岸君は体格が大きいので馬に乗りあがるのに苦戦している。
「馬はあぶみで馬のお腹をキュッとしめてあげると進みます。止まる時は手綱をひっぱり、曲がりたいときは曲がりたい方の手綱をひっぱります。やってみましょう。」
ぼくはテツに乗らされていた。テツは足をけがしたことがあるらしく、前足の1本がひづめの少し上のところでいびつに曲がっている。
「はい!」
ぼくはテツのお腹をあぶみでこづいた。
「・・・」
テツは微動だにしない。
(あれ?)
「もう一回!しっかり合図して!」
(わかったよ。もっと強くやるよ。)
「ドン!」
テツはのろりと動き始めた。なんだか嫌がっているようだった。
のろのろと進みながら、牧場でやった枝をよける練習と馬の首をつかんで降りる練習をしていく。
「ちがーう!!そんなんじゃ死ぬぞ!絶対手綱を離すな!たてがみをつかんでない!!」
ムーミンさんのゲキが飛ぶ。
(なんでそんなにどなるの??こわいよー。)
しかし、スタッフの人も大変だ。お客は馬に乗っているけどスタッフは自分の足で並走しながら乗り方を指導してくれる。
そうこうしているうちに、
「うんこ隊出動!!」
スタッフが機敏な動きでサーフの後ろから、大きな紙のエサ袋に入っているスコップを数本と竹ぼうきを取り出して来た。
なんと馬がうんこをしたのだ。そりゃするだろうが、そのうんこをスタッフはスコップを使い、高速でジャングルに放り込む。
ジャコ。ポイ。ジャコ。ポイ。
そして竹ぼうきでサッサッサ。
片付いたと見るやスタッフはスコップをまた袋に入れてほうきと一緒に車にもどした。
車に乗ったときに聞いた。
「こういうことしないとね、営業できないんだよ。公道を走るからさ。」
「馬って公道を走っていいんですか。」
「馬は軽車両扱いになっています。だから法律上はオッケーなんです。でもうんこするからそのままにしていたら文句いわれちゃうからね。」
ムーミンさんは出身は横須賀だった。だから移住者なわけで、よそ者が沖縄で商売をするだけでも大変なのに、公道を馬が堂々と走るは、うんこはするわだったら村人はだまっていないだろう。
ムーミンさんなりに努力をしてこの商売を続けられているのだった。またムーミンさんの乗馬スタイルはヒマラヤンスタイルなのだという。
「ネパールに行った時、そこでは馬はただ人に使われているだけでなく、馬も人と同じく生活を支える一員で、馬と人がともに生活しているんだよ。それをおれもやりたくてね。」
それにしてもほのかは何者なのだろう。小学校6年生なのに馬を乗りこなし、先導まで務めている。自由自在に馬を操るだけでなく、馬の上であおむけに寝たり抱き着きながら馬を走らせたりしている。
「ほのかは2歳から馬に乗ってるんだよ。気づいたら馬にまたがっていた。」
実地での「受け身」の練習を終えると次は「なみあし」だ。これが極めて難しかった。
馬の歩の進め方には「なみあし」「はやあし」「かけあし」がある。「なみあし」はのろのろ。左の前と後ろ、右の前と後ろがそろって足を出す。若干後ろの方が先に設置する。
このなみあしがはやくなるのがはやあしだ。人間で言うところのはや歩きになる。
そしてかけあしは、競走馬がスピードを上げて走っているのを見たことがあると思うが、あれだ。全部の足が地面から離れる瞬間がある。
夢有民牧場では「はやあし」と「はやあし」をあわせて「なみあし」。「かけあし」を「ギャロップ」と呼んでいた。
本当のギャロップは「しゅうほ」と言って、かけあしよりもさらに速くて振動が少ない、全速力で走る走り方だ。
その「なみあし」は、乗っている人がかなり揺らされる。上下に細かく揺らされるのだが、何もしないで乗っていると常に体が突き上げられる衝撃を受け、かなりしんどい。
なのでこのなみあしのときは、人が馬に合わせたリズムで体を上下させる必要がある。
上達してくるとほとん見た目は上下することなく、馬のゆれにぴったり合わせて乗ることができるのだが、ぼくがそうなるまでには数か月がかかった。
この初めての乗馬ではリズムをなかなか合わせられず、馬を不機嫌にさせてしまうのですぐに馬はとまってしまうし、怖さで体に力が入っているから以上に疲れるし、下半身のいろいろなところが痛くなってくる。
山の中の道を抜けて村に入った。車からは経験できない高い視点から街を眺めるのは新鮮だ。バスに乗ったくらいの高さだろうが乗馬の場合体を覆うものはないので、臨場感が全く違う。
そしてそんな視点だからまわりからの目も気になる。村道の子供や通り過ぎる車の人も見ている。
(はずかしいよね。)
しかも下手くそだ。そして時々うんこをする。
さらにムーミンさんにどなられる。
「横にはみ出すな!死にたいのか!馬間距離をとれ!蹴とばされるぞ!」
そうだった。馬はけっこう臆病なので急に車が前に来たら驚くし、おしりは視界に入りにくいのでおしりに近づくと警戒して蹴られる可能性が高いのだ。
以前アヒルを飼っている民家の横を通った時、アヒルに驚いて馬が馬体を反らせて落馬した人がいたという。
(いや、まじで怖いって。ムーミンさんびびらせんなよ。)
ムーミンさんが言うことはかえってぼくらを委縮させるのだ。でもそれだけ危険が潜んでいるのが乗馬でもある。おそらく間違っているのは、初心者にこれをやらせることだと思う。
いろんな汗をかきながらぼくらは海までたどりついた。
つづく