第91話 四国にセブンイレブンは2013年まではなかった【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
広島市内には鳥取と中洲で会った歌うたいのひろみさんの友達がいるという。
ひろみさんと同じくサンクチュアリで働いていた人らしく、そのこうじろうさんがやっているバーにぼくは行くことにした。
ぼくはついでに広島のアーケードで歌い、稼いだのは150円。
やはりヒロシマでオリジナル曲だけで稼ぐのは至難の業だということか。
(やっぱりなあ。)
と思いながらも頑張って歌っていると、趣味で絵を描いているというおじさんが自分の絵を見せながらいろいろ自慢話をしてきた。
確かに絵はいい絵だったが、旅する歌うたいに話しかけていったい何のつもりだろう。どうせ絵など買うお金なんてないのは分かっているだろうし。
「この草は小判のような種がついているから小判草というんだよ。」
そう言っておじさんは小判草をくれた。
(いや、これもらってもこまるし。このスタイルの旅先でこれをもらってもボロボロになるか捨てるかどっちかでしょ。)
飲み屋街でその辺のおじさんたちに、
「日本二周か?」
とかいろいろ声をかけられながら、ぼくはしぶしぶいただいたその小判草をこうじろうさんの店に持って向かった。
「日本二周中」と書いてあるギターケースは、ヒッチハイクしている時はいいアピール材料だが、街中で持っているとかなり違和感を放つ。
恥ずかしさもあるが、旅の恥はかき捨てだ。
でも草はいらない。その小判草は結局あとで道端に捨てざるをえなかった。
広島という土地はどうしても濃い、かわったエピソードがつきまとう。
前回は歌っている目の前でチンピラがサラリーマンをぼこぼこにし始めたし。
「軒下ルール」というストリートで歌う時のルールがあるというし・・・。
さて、こうじろうさんのお店で旅話で盛り上がった後、夜はこうじろうさんがアパートに泊めてくれた。
「旅人は大歓迎だよ。」
そう言っていたが、彼女と二人で寝ている横で、寝袋でお邪魔しているのがなんだか申し訳なかった。
そして翌日は人生初の四国を目指す。
五月中に大阪にたどり着きたい。
沖縄で会った人たちと大阪で友達と落ちあうことになっていたからだ。
旅先で出会った人たちと旅先で待ち合わせる。しかもヒッチハイクで。
痛快このうえない。
早朝、寝ぼけまなこのこうじろうさんにそっと別れを告げて、ぼくは街へ繰り出した。
広島市内から二号線でヒッチハイク開始。
広島から四国へ行くには「しまなみ海道」を渡る必要がある。
幼いころ広島に来ていたころにはそんなものはなかった。
瀬戸大橋開通で日本中が湧いていたは覚えているが、今は明石海峡大橋もできて、四国へは3つのルートでいけるのだから時代の変化を感じる。
そのルートの1つ、しまなみ海道は尾道から出ているから、まずは海沿いを東側へ、三原方面を目指す。
ヒッチハイク開始。
108台目。トラックで三原まで。
「どこから来たの?」
「東京からスタートしました。」
「そうなの?おれ、トラック始めてまだ1年目なんだけど、去年まで江戸川区にいたんだよ。」
「こっちに来てから運転手になったということですか?」
「そういうこと。東京ではスポーツ用品店をやっていてね。去年香川に引っ越してきた。」
(香川に?じゃあこのまま香川に行けるのかな?)
「香川まで乗せていってあげたいけど仕事で回っているからこのトラックでは香川には行けないんだよ。三原まででいい?」
「いや、全然いいです。」
「香川じゃあうどんは150円で食えるよ。特別安いんだよ。普通の店でも200円で食える。『マルイチ』はセルフで盛れるよ。」
「まじすか!めっちゃ安いですね。讃岐うどんとは言いますが、さすがですね。絶対食べに行きます。」
「あとね、四国にはセブンイレブンがいまだにないんだよ。もうからないかららしいよ。人が少なくて。回って行ったら分かるから。」
「すごいですね。四国。いまだにないなん
当時、セブンイレブンは四国にないのであった。ちなみにセブンイレブン初出店は2013年である。
109台。三原から尾道市向島。
向島に住むおっちゃん。向島は本州から離れた島だ。
つまりもうしまなみ海道に入るということだ。
しまなみ海道は瀬戸大橋や明石海峡大橋のように名前に「大橋」がついていない。
その名の通り、大きな橋ではないのだ。
尾道から愛媛県の今治の間にあるいくつかの島を渡す小さな橋と道々を総じて「しまなみ海道」というのだ。
それを初めて知ってちょっとだけ意識消沈した。
ぼくは瀬戸大橋のような大きな橋を想像していて拍子抜けしたのもあるし、島をいくつも経由するからヒッチハイクで一気に四国に行くのは難しそうだと思ったからだ。
でもやるしかない。
さっそく向島という一つ目の島で降ろされた。
110台目。向島インターチェンジからヒッチハイク。
因島生まれのおっちゃんが運転する、コンクリートを積んでいる小型のトラックだった。
「因島まで行くよ。」
「はい。お願いします。」
「兄ちゃん音楽やってるの?うちにも息子が3人いて、バンドやってるんだよ。兄ちゃん、ポルノグラフィティって知ってだろ?」
「知ってます!」
「彼らは因島出身なんだよ。あと東ちずるね。」
「そうなんですか?!」
「そうそう。うれしいねえ。そういう人がいるから長男は30歳なんだけどやめらんないんだよね。」
ぼくは因島におろしてもらった。
細かくヒッチハイクするしかない。またインターチェンジでヒッチハイク開始だ。
車は少なく、しばらく立っているとまたさっきのおっちゃんがやってきた。
「兄ちゃん、次の島まで乗せてってやるよ。」
用事が済んだので気になって見に来てくれたのだ。なんてうれしいのだろう。
よって次の島の瀬戸田までたどり着けた。
111台目。瀬戸だからヒッチハイク。
愛媛県の新居浜に住んでいる60歳以上のご夫婦だった。
「『今治方面』て書いてあったけど、今治まででいいの?」
「はい。いいです。八幡浜に友達がいるので。」
「そう。今治は東予・中予・西予に分かれるのよ。伊予の国だからね。新居浜は東予ね。」
「知りませんでした。」
「今治なんて読めないよね。タオルで有名だけどそれがなかったらなかなか読めない。」
ぼくは愛媛と言ったら松山城とかみかんくらいしか知らなかった。
(今治って今日まで知らなかったけど、有名な土地なのかもしれない。)
そしてぼくは人生で初めての四国に上陸したのだった。
つづく