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第28話 日本を舞台にヒッチハイクでおにごっこ【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

さて、鳥取にいた時点でこの日本二周ヒッチハイクの旅は出発から1か月半ほどたっていた。実はこの旅、地元の飲み仲間でもある高校の先輩が、この旅のためにホームページを作ってくれていたのだ。

どういうことかというと、旅を始めて間もなく、ぼくの携帯に先輩から電話がかかってきていた。

「今どこにいるの?ホームページ作るからさ、移動する都度連絡ちょうだいよ。」
「え?!それってなかなか難しいですね。電話代もかかるし電池も消耗するし。ヒッチハイクしながら電話するってなんか失礼な感じもするし。メールで送るような感じでいいですか?」
「いいよ、それで。」

もちろん毎日メールができたわけではない。当時の携帯のスペック的にも今のように大量にサクサク情報を送れるものでもない。今どこにいて、主に何をしたかほんの数行送る程度だ。そもそも電源は基本的にオフにしている。

それでも「猿旅動向ホームページ」と題し、先輩はぼくが送るメールを掲載してくれていた。ぼくの旅を知っている人はけっこう毎日楽しみにして見てくれていたそうだ。

「猿」というのはぼくが猿っぽいからだが、先輩も実はかなりの猿っぷりであり、ホームページ内ではぼくは「本猿」、先輩は名前から一文字とって「天猿」と名乗っていた。

その天猿が、夏休みがとれたから本猿に会いに来るという。その連絡が入ったのは大阪にいた時だ。

大阪にいた時はトシの家に居候していたので、携帯は常時電源を入れていたから電話でまとまった時間をとり話すことができたのだ。

「明日神戸に用事があるから神戸で会おうよ。」

そしてぼくは大阪出発前日に神戸に出向いて先輩と会い、中華街で作戦会議を開く。

「さっき、横山やすし師匠に会ったよ!すげえなあ。神戸。でもなんで中華街なのにアジア料理食べるの?」
「いや、それがいいんじゃないですか。インドから帰ってきてばっかりでどうしてもアジア料理になっちゃうんですよ。」
「なんかさ、せっかくなんだから面白いことしようよ。ネタにもなるじゃん。」
「そうですね。どうしましょうか。こんなのどうですか。おにごっこしてつかまるまでぼくは進み続けるというやつ。それまで天猿さんは追い続けなくてはならない。」
「なにそれ?面白そう!おれは公共の交通機関だけを使うということにして、どうやってSEGEをつかまえたらいいの?」
「じゃあ、現在地のメールをして、天猿と本猿が同じ市内にいたらぼくの負けです。」
「おお!いいね!そうしよう!それなら毎日2回、お互いに現在地を送ろう。」
「わかりました。明日大阪を出るので、その日からスタートしましょう!」
「オケ!」

そして9月25日、ぼくは鳥取にいた。与田さん、北崎ファミリーと夕飯を食べたその日は与田さんのアパートに泊まらせてもらっていた。

翌26日は今度はなんと北崎さんのお宅に泊まらせてもらった。

実は与田さん北崎さんとはその後も連絡を取り続け、旅の後半で神戸の与田さん宅にもお邪魔させていただいたり、北崎さんはその後大阪に引越しして、大阪で再会したりしている。

また、旅人のヒロミさんとは翌月、福岡の中洲でまた偶然再会するのである。

なんとこの鳥取の出会いが濃いものだったか。本当に不思議なものだ。

そして27日、ヒッチハイク50台目。確か天猿は舞鶴あたりまで来ていたはずだ。もうすぐ追いつかれそうだった。

藤井さんという方に鳥取から米子まで乗せていただいた。

51台目。このヒッチハイクの旅で初の外国の方に乗せていただいた。

パキスタン人2人の車。

「どちらの方ですか?」
「パキスタンね。今から車を買いに行くんですよ。」
「パキスタン!!行きました!ほんの数か月前ですよ。フンザまで行きました。」
「そうなんですか!?わたしたちはアフガンに近い方にに住んでました。日本に来て10年ね。東京にもいたことあります。東京ではテニス教えてました。二子玉川で。今は倉吉に住んでます。」
「東京にもいたんですか。中古車の販売の仕事をしないかと、インドで誘われたことあります。日本の中古車をアジアや中東に売る方って多いんですよね?」
「そうね。冷蔵庫とか家電も一緒に入れて送ります。」
「へえ、そうなんだ。」

松江で降ろしてもらった。携帯を見る。天猿からメールが来ている。

「米子についた。」

こちらも返信しておく。
「今、松江です。」
「もうすぐじゃん!」

ヒッチハイク52台目。松江から宍道湖。

16歳と21歳の女の子。お兄ちゃんの彼女と買い物に行く途中だという。

(お兄ちゃんの彼女と買い物?どういうことだ?うーんと、おれもお姉ちゃんの彼氏とビリヤードしたことある。そういうことか。)

宍道湖に着いた。この道は湖沿いの道だから湖は見えることは見える。

(湖をじっくりみたいけど、でも、おにごっこで追いかけられている。先へ進もう。ていうか、どうせならいい場所でつかまりたい。このままうまくいって出雲大社でつかまったらきりがいいなあ。)

そう思いながら間髪入れずにヒッチハイクをする。

53台目。宍道湖から出雲まで。

次も女性2人。さっきの女の子たちよりかは年配だが、広島出身で出雲在住の薬剤師さん。松江に買い物に行っていた帰りだという。

「普通10月は神無月だけど、出雲は10月は神有月なのよ。」
「え?そうなんですか?」
「そうなの。神様がここに集まるからね。ほかのところに神様はいなくなっているから神無月で、出雲は神様が集まっているから神有月なの。」
「なるほど!」

ほかに、出雲ドームは世界一の木造ドームだということも教えていただいた。

出雲大社着。メールを送る。

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「今出雲大社に着きました。」
「おれも出雲市に入っているぞ!」

(ついに同じ市についてしまった。ということは、ここ出雲で捕まったということか。)

電話をする。
「おにごっこ終了ですね。」
「やったー!」

ぼくは先輩が出雲大社駅に着くまでしばし待つこととした。

(駅まで行ってみるか。)

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しばらく待って久々に先輩と再会した。なんだかちょっと恥ずかしい。けど、ちょっと成長したのかもしれなくて、少しほこらしさも湧き上がってくる。

先輩がやってきた。ぼくのいでたちを見て言う。
「おお!いかにもやってるって感じだね。」

大阪で会議をしたときはぼくは荷物を持っていなかったのだ。

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ぼくらは二人で出雲大社に参拝した。大社の入り口には巨大なしめ縄がぶら下がっている。その真下から見上げると、なんとしめ縄の切り口に無数の硬貨が突き刺さっている。

「うわっ。お金めっちゃささってますね。みんな下から投げて刺してるのかな。」

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参拝を終えると天猿先輩が、
「なんかさあ、せっかくだから温泉入りたくない?宍道湖にあるみたいだから行ってみようよ。」

ということでぼくらは出雲大社駅からタクシーに乗った。ぼくは来た道を戻る感じになり、
(さっき見た景色だなあ。)
と思いながら宍道湖に着いた。

宍道湖で、露天風呂。

二人はそのキーワードから最高のシチュエーションをイメージしていた。

ところが、その温泉はスーパー銭湯のような感じで、露天風呂はその四角い建物の屋上にあるという、イメージと全く違う温泉で会った。

がっくりした二人の猿は、温泉を出て二人で夕日の沈む宍道湖を眺めた。

ぼくらはタクシーでまた出雲大社へ向かった。ところがそのタクシーの運転士さんと話が盛り上がった。

「お客さん、今日うちに泊まりませんか?歌もぜひ聴かせてほしいですね。」
「え?!いいんですか?もちろん歌わせてください。」

そしてその晩はタクシーの運転士さんのお宅で3人でお酒を飲みながら盛り上がり、宿泊代としてぼくの歌を聴いてくださったのである。

鳥取・島根の旅は、ミラクル続きの旅となった。先輩にとっても最高のお土産になったと思う。

そしてこれで日本二周中おにごっこ編は終了となった。ホームページのアップは1周を達成するところまで続いた。

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