第101話 居心地のいい人とだけ一緒にいては世界平和にならない【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
「SEGEさーん!」
「おう!元気?」
ぴっぴーたちはかなりテンションが高いギャル達だ。
「フウフウー!」
とすぐハイテンションになる。
夢有民牧場に集まる若者はどちらかというと陰なキャラなのに対して、Beach69に集まる若者は陽なキャラだ。
若いエネルギーに満ちていたBeach69に足を踏み入れる時ぼくは、怖かったし勇気が必要だったけど、歌がぼくを助けてくれる。
歌がなかったら手が届かないような、接点なんて持てないような人たちに歌が響いて、ぼくはそういった人たちと関わることができた。
歌さえあれば、いろいろな人とつながれる。注目してくれる人がいる。
それがぼくの自信につながる。
ぼくの世界が広がっていく。
エネルギーに満ちている人は時にまぶしく、近づきがたい。
ともすると「自分はそうなれない」「自分はそういう人じゃない」と自己否定になり、卑屈さのもとにもなる。
近付くと自分の底がばれてしまいそうな気持ちになり、自分というものがおびやかされる。
まあ、ぼくはそういうそぶりは少しも見せないようにはしていたが。
それも結局は、本当は余裕がないことの証拠なのだ。
ただ、自信がぼくを変えていってくれていた。
手が届かないと思っていた人を上に思うことなく、以前は猛者だなと思う人達の中でゆうゆうと生きることができるようになっていった。
歌を始め、旅を始めた。
そのことによってぼくの人生は明らかに変わっていった。
「芸は身を助ける」とはよくいったものだ。
そしてぼくは沖縄で歌を聴いてくれたぴっぴーやユミリン達と、彼女たちのホームで会うことができた。
卑屈にならず、エネルギッシュな人たちと「友達」として楽しく過ごせる—
「その辺でお茶でもしようか。」
ぼくらはその辺でお茶をすることにし、旅の話、京都の話で盛り上がった。
「今日のストリート、どの辺でやればいいかなあ。しんじさんに連絡してみよう。」
「もしもし、しんじさん?今日木屋町に来られますか?」
「あ、SEGE。そうだね。今日やるって言ってたね。今から行くよ。ウクレレ持ってくよ。」
すぐに向かうそうだ。
しんじさんを待つともう暗くなってきた。
少し開けたところにしんじさんはいた。
柳が生えていて、いい感じの空間だ。
しんじさんは芦屋で会ったメンツ以外にも沖縄の夢有民牧場に一緒に来ていた友達に声をかけてくれていた。
他にもぴっぴーやユミリンが他のBeach69系のメンツに声をかけてくれていたし、芦屋ののんちゃんも来てくれて、結局15人程度が集まった。
ストリートで15人いるのだから、まあまあな規模だ。
(めっちゃうれしいし、心強い!)
ぼくは「ここは自分の場になったな」という気持ちで存分に歌った。
歌を聴いてもらえることももちろん嬉しいけど、ぼくの方々(ほうぼう)の友達がこうして一か所に集まっているということが嬉しかった。
(みんなが新しくつながりを作ってくれたらいいな。)
ぼくは昔からそう思うタチなのだ。
学校では一つのグループ内で居座ることが嫌いだった。
まじめで大人しいグループにも友達がいたし、やんちゃなグループにも友達がいた。
勉強するグループにも友達がいたし、しないグループにも友達がいた。
そういうグループ同士が対立するというか、「あいつらはおれらとちがう。」「つまんねえ。」「きもい。」みたいに思っているのがぼくは好きではなかった。
ぼくの仲良しの人が言っている文句が、ぼくの別の仲良しの人達のことだったりする。
それはかなしいことだった。
でもそこでぼくは怒る気にはなれない。そう思うのも理解できるし、自然なことだ。
怒ったところで何が変わるというのだろう。
結局ぼくも付き合いづらいやつとされ、つなぎ役になるかもしれない自分がはじかれて分断は広がるだけだ。
(どっちも自分の殻をやぶればいいのに。)
線をひいてしまうこと。自分たちとあいつたちとはちがうと思うこと。
自分の方が正しい。
理解しない。したくない。理解なんてしてもらえない。もらいたくない。
結局、自分寄りの意見の中に収まっていたいのだ。
自分に心地よいところに収まっていたのだ。
心地よい、近い人と固まっていたのだ。
ぼくはそれは人間として小さいことだと思っていた。
ぼくはそれが戦争を招く一つの原因だと思っていた。
みんなが垣根を越えて関わっていけばぼくは世界平和はなくなると思っていた。
そう。ぼくは自分が出会った人同士を結びつけるのが好きだ。
「あの人たちとあの人がつながったら面白いなあ。」
友達ができるたびにそう思う。
小学校の同級生に同窓会で言われたこともある。
「SEGE君て、昔から平和主義だよね。」
世界平和とは活動家や政治が担うものではなく、一人ひとりがどうするかなのだ。
一人ひとりが変われば世界は変わるんだ。
だからおれが変われば世界は変わるんだ。
それは若さゆえの青々しい理想論である。
特に人に対しては。
でも自分に対してはそれは厳しい使命になっていった。
「正しいと思うことがあるなら、口先だけじゃなく、自分で証明してみろよ。」
ぼくはそうやって自分を追い詰め、歌を始め、旅を始めたのだ。
はたして、ぼくのホームタウンでも何でもない京都に、今いろいろな友達が集まっている。
ぼくはその幸せをかみしめながら何曲も歌った。
しんじさんはウクレレと鍵盤ハーモニカを横で弾いてくれていた。
人の演奏にそうやって簡単に合わせられるってすごいなといつも思う。
ぼくはギターの技術はそこそこあるのだが、絶対音階はないし、伴奏をさっと合わせることはできない。
それができる人は本当にミュージシャンだなと思う。
ぼくは、不器用だけど歌を作り、それを叫びながら歌う。
それはできる。それしかできない。
ストリートでのしんじさんとのライブでは、通りがかりの人も何人か足をとめてくれ、投げ銭をいくらかいただくことができた。
ひさびさの収入である。
また、のんちゃんが聴いてくれたのは、ネパール以来のことだったので、のんちゃんに聴いてもらえたということもとても嬉しいことだったし、のんちゃんもとても喜んでくれたようだった。
「みんなありがとう!」
「このあとどうする?」
「うちでカレーでもどう?」
しんじさんの友達のやすもとさんが言ってくれた。
「みんなおいで。」
「わーい!」
ぴっぴ―達が騒いだ。
(やすもとさん懐広いなあ。ありがたい!)
その日ぼくらは烏丸御池のやすもとさん宅にご招待され、みんなでカレーを食べてぼくはそのまま泊まらせてもらった。
楽しい夜だった。