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第95話 「何をしたいか」ではなく、「何が自分の人生から奪われたら嫌なのか」で人生を決める【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
谷田君はまず桂浜に連れて行ってくれた。
そこには聞いていた闘犬場もあった。見たかったけどそんなお金は持ち合わせていない。
ぼくはとにかく龍馬の銅像だけを目指した。
(龍馬と肩を並べて写真とってみたいなあ。)
と思っていたが、肩を並べるどころか、銅像はあまりにも大きく、また土台にそもそもかなりの高さがあるので、一緒に写真におさめることさえ難しかった。
しかたなく下からのアングルで一緒におさめてもらった。
![](https://assets.st-note.com/img/1674285281764-4zh3EOMyq7.png?width=1200)
(龍馬はこの浜に来たことがあるってことだよね。太平洋の大海原をどんな思いで眺めていたんだろう。)
坂本龍馬を含め、明治維新で日本に革命を起こした若者たちの多くは、九州や山口、高知出身だ。
現在の日本ではそんな地方から日本がひっくり返るなんて想像もつかない。
特に高知はその中でもひっそりしている。
幕末の高知は尊王攘夷などを掲げた若者たちの熱い切迫した思いと、幕府に従うべきだとする者たちの思いとの間で、ものすごいエネルギーがうずまいていたはずだ。
それなのに、ぼくがいたその日の桂浜は、なんと静かだったことだろう。
平日ということもあろうが、人気もほとんどない。
![](https://assets.st-note.com/img/1674285445877-me5hk8jKr9.png?width=1200)
はたして日本に再び同じような大きなムーブメントが起こることなんてあるのだろうか。
(こういった地方からまた誰かが大きな旗を揚げて、何かどでかいことをやってしまうなんてこと、そういうのも見てみたいなあ。)
そんなことを思いながら、ぼくも太平洋の水平線をじっとながめた。
「ねえ。龍馬ってけっこう若かったよね。ていうか、維新のメンバーってみんな若かったよね。おれらとあんまり変わらなくない?」
「そうですよね。龍馬に負けたくないという思いもありますけど、かなわないです。」
谷田君はテレビの仕事をしている。その仕事は楽しいようだ。でも、今のままでいいとは思っていないようだった。
何かしたい。何かしてやりたいという気持ちがあるのだ。
そういうところがあったからきっとぼくに声をかけてくれたのだろう。
だから谷田君と話していると話がものすごい盛り上がる。
谷田君も聞きたがるから、ぼくはついついしゃべってしまう。
ぼくもそれなりの思いをもってこの旅をしていた。
世の中を龍馬のように動かそうなんてことには及ばなくても、自分の人生を変えようと思って旅に出たのだった。
内心は毎日ビビりまくっていたけど、「日本を二周する」というシャレはけっこうよかったと思う。
それにで立ちも目立ったし、谷田君に声をかけてもらえたのは、そういう工夫も影響したかもしれない。
そして旅先でこうやって誰かと語り合うことも夢見ていた。
「おれもSEGEさんみたいなことやってみたいな。でも今すぐにってわけにはいかないですね。おれ歌うたえないし。」
「おれは、本当は旅に出るつもりも、歌もやるつもりもなかったんだよね。怖くて本当の自分から目をそらしていたと思う。
大学生の時に就職活動をしていて、高校の美術の先生に相談しに行ったんだよ。その時に、『お前は腹を据えてない』と言われて、それがきっかけだったかな。
それでおれは、『何をしたいか』ではなく『何が自分の人生から奪われるとしたら嫌なのか』と考えたんだよね。
そしたら歌が残ったのよ。歌だけは奪われたら嫌だって。
好きなこと、やりたいことはほかにあったけど、それは『できなくてもそれほど苦しくない』と思えた。
ただ、その時まだ自分の歌を作ったことすらなかったんだけどね。それくらい怖かったんだよね。
作ってしまったら自分の中の本物が評価されてしまうのが怖かったんだろうね。
それでまだ作ってもないのに親父に『歌をやりたい』って言ったんだよ。
それもおかしな話なんだけど。
おれとしては、作ったあとで言ってしまったら、『こういうものが作れるから決心した』ということになってしまうから、それが嫌だった。
『決心するということは、何か保険や保証があるからするんじゃなくて、決心したいからするんだろ』って。
それで認めてはもらえなかったけど、強引に自分の道を進んでしまったんだよね。
でも親のいいなりになっていたら、おれは死んでたかもしれないし、誰かを殺していたかもしれない。
その時その道に進まなかったら絶対後悔するというのが分かっていたから。
ただ、結局は親がどう言うかじゃなくて、自分がどうしたいかということだと思う。
親のいいなりになって後で親のせいにするというのは、結局自分がないってことなんだよね。
だから自分で自分のことを分かっているなら、負けないで通さないといけないんだと思う。」
そしてぼくは歌をやることを決心した。
でも決心だけしても、何もしなければ始まらない。
ぼくを突き動かしたのは、「今やらなければ後悔する」、「今やらなければ取り返しがつかないことになる」という思いだった。
その思いが最後の砦で、親父に自分の思いを打ち明けられたし、この旅を始めることもできた。
谷田君を前にぼくの言葉は次々をあふれるのだった。
ぼくらは何か自分の人生を見つめる同志になったような気分になったと思う。
そしてぼくは谷田君と変顔でふざけながら写真をとり合い、桂浜を後にした。
![](https://assets.st-note.com/img/1674285509263-58P3Uhla6c.png?width=1200)
今度は高知のアーケードだ。
谷田君も見たいというので、夜になるのを見計らって車で一緒に行ってくれた。
アーケードはがらんとしていた。
歌う人もいなかったし、人通りもほとんどない。
平日の地方のアーケードに来ると、痛々しさを感じざるを得ない。
市街地はやはり飲食店が花である。夜は酒を飲みたくなるのが人の常だ。
でもその飲食店が苦境にある。
なぜならその頃飲酒運転の取り締まりが厳しくなりつつあると気だったからだ。
それまでは酒を飲んでもわりと普通に運転したものだ。
飲み会に行く時にも車で行くというのはおかしいことではなかった。
それに飲み会とまでいかなくても、家族で飯を食う程度のことでもお父さんはやっぱりビールが飲みたい。
それが飲酒運転が厳しくなったことで、夜の街は大打撃を受けた。
いや、飲酒運転が危険なことは確かだし、この取り締まりによって事故が減っているのはとてもいいことだ。
でもそれによって街はぼくの目の前のアーケードのようにひっそりしている。
夜街に飯を食いにいけないのなら、街で買い物する人も少なくなる。
だから結局街全体がしぼんでいく。
そしてそれは同時にストリートで歌う人達に落ちるお金も減るということでもあった。
谷田君はぼくを盛り上げようとしてくれたのかもしれない。
ありがたいことにしょうへい君という友達にも声をかけてくれて、2人でぼくの歌を聴いてくれた。
お客さんはほかには来なかった。
週末にやっていれば違ったのかもしれない。
ぼくの脳裏には谷田君たちの話す「~やき」という高知弁が焼き付いた。
ぼくらは谷田君のアパートに帰り、3人で飲み明かした。
つづきはまた来週