ライター業界の現実
ライターという職業。
これは、自分で選択した肩書きであり、自分で掴み取ったものだ。
だが、僕にとっては誇り高き職業であっても、一般的にライターの価値は著しく低い。これは、ライターとして活動してきたこの何年間かで痛感してきた事実だ。
ライターと解説者の共通点
先日、サッカー解説者の戸田和幸さんとお会いして、深く話をしていくうちに、解説者という職業は、多くの点でライターと似通った性質があることがわかった。ゆえに多くの共感があった。
少しだけ例を挙げると、
・言葉を使う仕事であること
・多くの人に伝えることができる仕事であること
・多くの人に伝えても、伝わらなければ何の意味はないこと
・自分の色を出さなければ生き残れない職業であるということ
・メディアごとに視聴者(ライターであれば読者)がいて、特徴が異なること
・メディア毎に使う言葉を選んでいること
・決して主役にはなれないこと
・社会的な評価が著しく低いこと
・専業で食べていくのは厳しいこと
・本当のプロとして活動するには狭き門であること
・メディアから報酬をもらっていること
etc
また、戸田さんと会話をしているうちに、表現する際に意識していることも似ていることがわかった。これ以上の詳細は、ここでは書かないが、後日、戸田さんの記事が掲載される予定なので、その時に、ぜひ原稿を読んでもらいたい。ちなみに、僕の狙い通りに行けば、週末に戸田和幸さんの記事がヤフートピックスに掲載されるはずだ(笑)。
→結果ですが、狙いは大きく外れ、残念ながら、ヤフトピには載りませんでした(笑)
※もちろん運がほとんどで、編集者の目に止まらなければ、掲載されないのだが、それくらいの手応えを感じているという意味で捉えて欲しい。
生み出され続ける情報
今の世の中は、消費しきれないほどの情報で溢れかえっている。調べ物をすれば、ホンモノの情報とニセモノの情報が同列に扱われ、あまりの情報の多さに溺れて窒息しそうなほどに息苦しい。それでも、僕らは日々、情報を作り出す。いま書いている僕の記事だって、多くの人にとっては、ゴミのような情報なのかもしれない。
「ある意味、僕らが作り出す記事の9割以上は、ゴミみたいなもんですからね」
ある媒体で活躍する編集者たちと集まって食事をしたとき、僕の記事を担当している編集者はこう言っていた。
この時は、自分が作っている記事もゴミと言われたような気がして、さすがに少しムカついたのだが、確かに正しいのかもしれない。
いつだって表現は、読者に届かなければ伝わることはないし、読者に届いたとしても、わかりやすくなければ伝わることはない。伝わらなければ、ゴミと同然なのだ。
情報を届けるためには
いま世の中に生み出されている日々のニュースは、どのくらいあるのだろうか。日本で最も情報量が多いと思われるYahoo!ニュースだけでも、1日5000本ものニュースが配信されているという。その中から編集者の目にかなった100本の記事だけが、ヤフトピに掲載される。あくまでもYahoo!ニュースだけで5000本なのだから、ブログやSNSから生み出される情報を含めたら、もう想像すらつかない。それだけ多くの情報が生産され、その大半は読まれることすらない情報であることは、容易に想像がつくだろう。
そう考えれば、マスメディアで書くことはもちろんのこと、その記事がヤフトピに掲載されるというのは、多くの人に届けるという意味では、理にかなっている。そして、一度ヤフトピに掲載されれば、ライターの価値は一気に上がる。なぜなら「多くの人が読むに値する記事を書くライター」として認知されるからだ。
厄介なのはコタツ記事とコタツ記事量産メディア
一方で、ライターの価値を下げている大きな理由に、コタツ記事とそれを扱うメディア、そしてクラウドソーシングの存在がある。
コタツ記事とは、文字どおり、コタツに入りながら書くことができる記事で、取材をせずに、記事をコピーしたり、ネットの記事を流用して書かれた記事のことだ。
インターネットの世界では、どのサイトも新しい記事が紹介される仕組みになっている。SNSのタイムラインを思い出してもらえばわかるように、新しい記事が出れば、古い記事は下へ下へと下がっていく仕組みだ。インターネット広告で収益を得ている媒体は、内容の良し悪しよりも、記事を量産することによって、収益を生み出している。このようなメディアは、記事の内容よりも、記事の新しさに価値を求めている。だからコタツ記事が重宝されるのだ。
このように、流用された記事が大量に生産されることにより、1記事あたりの価値は確実に下がり、数少ないホンモノの記事は、多くのニセモノの記事の中に埋もれていってしまう。
以下の方は、あまりの効率の悪さに、副業ライターをやめたという。
この方のnoteを見る限り、1記事3000円で月2-5万円の収入を得ていたということだから、おそらく月に数本〜十数本の原稿を書いていたのだろう。自ら取材して執筆するとしたら、副業でこなせる量ではない。つまり、コタツ記事を量産しなければ、収入を得られないほど、一本あたりの単価が安いのだ。
いくら在宅ワークとはいえ、このような安価な仕事を受けていては、すぐに疲弊するのは目に見えている。
ライターの価値を上げるために
本が売れて、外車が買えるような時代は、とうに過ぎ去った。今や、車どころか、ライター専業で生活していくことすら難しい時代だ。このような現状を打破するために、僕は近々、自分自身のライターとしての価値がどの程度あるのかを確かめるための取り組みを始める。
無論、最初からうまくいくなんて思ってはいない。だが、現状維持は後退を意味する。チャレンジし続けなければ、何も答えは見つからない。新しい時代のライター像を模索しなければ、生き残れない時代に突入しているのだ。