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【ピトス・エルピス】考察&感想 樋口円香は何のために歌うのか-唯一の〇〇について-

 はじめに

 こんにちは。忙しいので長い考察記事を書くことはできませんが、コレ見せられて何も言わないというのも……ねぇ? ということで、自分が感じたこと、読解のキーになりそうな部分を少し語らせていただこうと思います。
 ……noteってどうやって記事書くんだっけ忘れちまったよベイベ。

 と、本題に入る前に。こちらの記事に触れておかねばならないでしょう。

 クオリティ高。

 こちら、以前自分が書いた【ギンコ・ビローバ】考察記事を受けて筆を執られたとのことで、恐縮……。引用までしていただいて。逆に今回、自分はこの記事がなければ筆を執ることはなかったでしょう。感謝感激、持ちつ持たれつお餅つき。ペッタンペッタン。

 なんで本来なら書かなかったかって? そりゃ長くなると書くのがしんどいからさ。ははっ。しかし、この記事のおかげで結構な量の説明を省くことができました。非常に助かる。

 もちろん全部が全部同じ解釈というわけではないのですが、自分が特に触れないところは基本的になつおり氏の記事と同じか、非常に似ている(むしろ自分より読みが深いところが多く、なつおり氏の記事からヒントを得て、派生させて語るところも多い)ということで進めさせていただきます。まあ、とにかくあちらの記事を先に読んでいただいて。

 本記事では主にWING以外のコミュにも目を向け、円香の「激情」をもう少し抽象化・一般化し「ことばに誠実な円香」の更に奥、根幹にあるものを探していきたいと思います。なお、ほとんどがTRUEについての話になる気がしてます(書き始める9/7夜時点)。 

 本記事では適宜【ギンコ・ビローバ】「天塵」「海へ出るつもりじゃなかったし」円香WING編~GRAD編まで等のコミュを引用します。ご注意ください。

1.『hibi』

 笑えるコミュなんですけど、一部重要な部分があります。【ギンコ・ビローバ】でも、一見笑える1つ目のコミュ『囀』に伏線(考察ポイント)がありました。それと同じですね。
 その重要な部分ついては後で書きますね。

 さて、早速ですが自分となつおり氏の解釈の違いをば。
 コミュのはじめに出てくる「心をえぐるものは」という文言。実は、自分はこれについて【ギンコ・ビローバ】とのつながりはそこまで深く考えていませんでした。TRUEコミュ、ひいてはそこから考察できる円香の本質に結びつくものであると考えています。それについても、後の方で。

 【ギンコ・ビローバ】と結びつける場合は、自分は逆に「Pのスーツが汚れてもなお、Pが善人であること」であるとしておきます。Pが悪人であればよかったのにという期待→どんなに汚れてもPが善人という真実という形で。

2.『hako』

 右の選択肢を選んだ時について少し。

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 答えは基本的には、はじめに提示したなつおり氏の記事と同じです。強調されているのはリフレインされたやり取りの直前にあるこの言葉、「分別」と言って差し支えないでしょう。

 ここからもう少し進めましょう。自分は「大人になれば」というPの発言(ボケ)、これも非常に重要な部分であると考えています。
 これには、自分が【ギンコ・ビローバ】考察記事で出した「大人と子供」の対比構造が関係してきます。自分が円香のコミュを読む時は、常にこの構造を意識して読んでいます。以下引用。全文はこちらから。

 それぞれのコミュについての考察に行く前に、考察の軸となる前提についていくつかお話しておきたいと思います。1つ目は「プロデューサー(以下Pと略記)と樋口円香は(全てが正反対というわけではありませんが)基本的に対比される存在である」ということ。

 これは、WING編4話『心臓を握る』で「高望みしよう」を選ぶと聞ける有名な台詞「私、泣きませんので」の一つ前、「どこまでも価値観が合いませんね」という言葉から読み取れます。「泣こう」と言うPと「泣かない」円香の対立構造です。「天塵」でも円香から「あなたとは価値観が違うので」という言葉が出ていたり、円香の「売り物はこっちなのに」という言葉にPが言いよどむなど、両者の考えの対立は常に強調されてきたと言ってよいと思われます。それは今回も例外ではありません。

 他に対比の例を挙げるなら、【カラカラカラ】1話『ニガニガ』がいい例になります。ここではブラックコーヒーを飲むPと飲めない円香……言い換えれば「大人と子ども」の対比が行われています。「大人と子ども」の対比については「天塵」最終話のPの言葉からも読み取れることですね

 ここにおいて「分別がつく」という一見「大人っぽい」円香は「実際は子供」であり、「分別が完全にはつかない」という一見「子供っぽい」Pは「実際は大人」です。ここで自分が感じたこと、それは……

 必ずしも全てに分別をつけないということ(P)は「清濁併せ呑む」というある種「大人っぽい」言葉で言い表せるのでは?

(まあ大人っぽいっていうのは個人の主観ですが)

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 この「二度と買えないものだってあるじゃないか」というPの言葉は、様々な経験を重ねてきた「大人」ゆえの慎重さであると捉えることもできるでしょう。

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「天塵」より 「最初からなかったんです、そんなものは」ポイント

 さて、「分別」というキーワードに加えて「大人と子供」の対比構造を当てはめたのには大きな理由があります。この2つの材料を用いることにより、4つめのコミュ『kara su』におけるPの発言、TRUEコミュで描かれる円香の「激情」、さらにはもっと奥にある樋口円香という人間の核にすら迫ることができると考えるからです。
 後の2つは取っておくとして、『kara su』におけるPの発言について見ていきましょう。

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「童心に帰るのは大人の特権だとも思うんだよなあ」

 ここで「大人」という言葉が出ていますね。つまりここでは「童心に帰るという行為を拒否して退出した」円香は「子供」になるわけです。
 また、「童心に帰るのは大人の特権」なんて言われてしまっては「子供っぽい」という主観だけで「子供」と位置づけるのは難しくなると考えました。ですから、逆に「P=大人」「円香=子供」という先に存在する構図を固定して考えることにしました。

「大人は分別がつく」「子供は分別がつかない」ではなく

「大人らしく分別をつける」
「大人らしく(その場面では)分別をつけない」
「子供らしく分別のつける」
「子供らしく分別をつけない」

と、もう少し細分化しようということです。
もう少し言えば、Pは「分別をつけるかつけないかの分別をつけることができる」と読んだわけです。

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 もし円香のように「分別がつき」「手放すことを恐れない」場合、Pは「天塵」の時点でノクチルを辞めさせていたかもしれませんね。
 にちかのWING編等とも通じてくる部分だと思います。

 時にはノクチルの行動を憂い、小言を言うなどという現実的な思考・行動を取りつつも「……けど、あの子たち見てると、なんだかそういうこともどうでもいいように思える瞬間があって……」といった発言もするPには、まさに「清濁併せ呑む」という言葉がピッタリなのではないでしょうか?

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 要は、現実的な大人の事情と、子供特有の輝きの間で上手にバランスを取っている(取ろうとしている)のがシャニP、というわけです。そりゃ簡単に分別なんてつけようもないですし、慎重になる事柄ですよね。

3.『uru uru』

 このコミュの最初、円香は「胸を打つものは」という言葉を背景に「技術」と言います。

 【ギンコ・ビローバ】『噤』では、映画関係者に映画の感想を求められたときに「そう感じさせた技術」に触れながら映画について話していました。いやあ、あれは最大級の賛辞だったわけですね。それと同時に「正解」だったのでしょう。

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 これらの場面から、円香は「言葉にしない」ことが最も良いとしながらも、映画関係者に感想を求められた時には(何も言わないのは絶対にダメなので)言葉を選び、その場において最良の答えを探したのだと理解されます。

  さて、『uru uru』に戻りますが……ここでお話することはあまりないです。この「技術」という言葉も抽象化して円香の核に近づけることができるのですが、これも後に回しましょう。全部後回しですね……。

 さて、このコミュでは真ん中の選択肢と右の選択肢が非常に重要になってきます。重要な部分を貼るだけ貼って、ここについての考察も後回しにしちゃいますよー。

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4.『kara su』

 「カラス」と「枯らす」まではすぐに気付いたけど「空の巣」までは思考が至ってなかった……クヤシイ。

 さて、このコミュにおいて自分が地味に注目しているのが、真ん中の選択肢です。

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 「カラスの巣」と「箱」が対応関係にある以上、「巣を捨てたカラス」と「箱を捨てた円香」も当然対応関係にあると読み取れます。そして、カラスが直接登場するのはこの選択肢のみ。
 もちろん、その巣にいたカラスと同一個体である可能性は低いのですが、流石にここから何も読み取るなって方が無茶だと思うの。

 自分は、ここで描写されているのは「距離感」であると考えます。その根拠となる部分が(人間に驚いたのかすぐ去ったが)という部分。

 箱をつついていたカラスが、Pという人間が来たことに驚いて逃げる……ん? どっかで似たような話を見た覚えが……

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 ババーン! まさかのここで浮かび上がってくる『hibi』! まさか、あんな笑えるコミュがここで出てくるなんて。というわけで、後回しにしていた『hibi』について少しですが触れておきましょう。

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 ここでは、円香が純粋に楽しんでいた状況をPが邪魔してしまいました。まあ「距離感」の話は今回の物語の軸とは少し違う部分かもしれませんが、決して無視して良い話ではないでしょう。 
 Pが近くにいると円香はありのままではいられないということ、こちらから近づきすぎると逃げることを改めて認識させられましたね。いやぁ、これはいい伏線だぁ……。
 プロデューサーにおかれましては、その点注意していただき、節度をもって触れ合っていくようお願い申し上げます……と。

5.gem

 ここからが本番じゃ。これまで後回しにしてきたものを全部説明しなければいけないわけですから。そのためには「激情」という最重要キーワードをもう少し抽象化して説明する必要があります。ここまで引っ張ってしまい、申し訳ない。とっとと書いてしまいましょう。


ピトス

 それは「『正解』に対する渇望」です。


 よく使われる言葉だと「完璧主義」「潔癖」とかも近いでしょうか。

 自分の【ギンコ・ビローバ】考察を読み返したら、自分自身が「正解」という言葉が使っている部分がありました。しまった。もっと早く一般化しておけば良かった……気づくタイミングはたくさん用意されてましたね。未熟。

 【ギンコ・ビローバ】では、「ことば」を非常に重く見て慎重になるという円香の人間性が描写されていました。この言葉を選ぶ、言うべきでないことはできるだけ言わないというスタンスを一般化していけば「最も適した〇〇を探り、実行するという行為=正解を選ぶこと」だろうと。
 要は「ことばに誠実である」という要素が先にあるわけではなく、「正解を選ぼうとする」という根本的な部分が「ことばに誠実である」という性格として表に出てくるのであり、そこにスポットを当てたコミュの一つが【ギンコ・ビローバ】であったということなのではないか……と。

 とはいえ、これもまだ「途中」。コミュが増えるごとに、まるで玉ねぎを剥いていくかのごとく、より円香の深層の部分が明らかになっていくのかもしれません。楽しみにしていましょー。それに、「核」が一つの要素だけで構成されているとも思えないですし。

 ところで、実は「正解」についてはGRADでもしっかりと明言されてるんですねコレ。GRADや感謝祭、その他イベントについては記事にしていないこともあり、アップデートが遅れていました(ちゃんと実装された瞬間に読んではいます)(言い訳)。

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 「ことば」の「正解」を探しているのがよーく分かる部分ですね。

 さて、こうして一般化してしまえば「ことば」以外にも当てはめることができるはずです。例えば、『uru uru』のこれなんてどうでしょうか。

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 「違うものは……違う……」という言葉は、ホームユニット会話にも出てくる部分であり、それだけ重要な部分なのだと考えられます。
 これは今までに出てきた「ことば」の正解とは違い、「歌・芸術」における正解です。ここから『uru uru』の冒頭が説明できます。

「胸を打つものは」-「技術」

 「歌の正解」とは「胸を打つ」こと、そしてそれに必要なのは「技術」というわけです。技術とは、「芸術の正解を引き出すもの」なのです。しんみりとした曲を歌う時の正解は「しんみりとさせる要素を引き出すこと」、かわいいアイドルソングを歌う時は「曲のかわいさを引き出すように歌うこと」が正解だということですね(あくまで一例)。
 「彫刻作品のあるべき姿はその石塊の内にあらかじめ現れているものだという信念」(Wikiからの引用でゴメンナサイ)を持っていたミケランジェロを想起しますね。

 私達でも分かりやすい例としては「好きな楽曲が別の歌手にカバーされたけれど、なんかしっくり来なくて好きになれない」とか。多少アレンジが加えられることはあるとはいえ、歌詞や曲は同じものです。
 だけど「違うものは、違う」。このようなプロセスを経て、円香は既に作品そのものに内包されている力を完璧に出すこと、すなわち「正解」を求めているのではないかと考察したのです。

 『uru uru』の部分で挙げた【ギンコ・ビローバ】『噤』について自分が書いたことをもう一度見てみましょう。

【ギンコ・ビローバ】『噤』では、映画関係者に映画の感想を求められたときに「そう感じさせた技術」に触れながら映画について話していました。いやあ、あれは最大級の賛辞だったわけですね。それと同時に「正解」だったのでしょう。


 もう少し足元を固めていきます。続いて、こちらの画像をご覧ください。



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ま た お 前 か


 ちょっと大事な伏線になってたのは分かったが、こんな重要な部分にギャグコミュの出番はねえ! 

 と、案外そんなこともないんですよねー。
 うん、自分も意外でしたよ? まさかこんな重要な部分の説明でこのコミュを使うとは……。

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 もうお分かりでしょう。 

 これは「Pが(態度・ことばの)正解を探している」様子です。「どこまでも価値観が合いませんね」とは円香の言葉ですが……2人ともどこか似ているというかなんというか。

 そして、またまた棚に上げていた『hibi』の最初。「心をえぐるものは」の答えも自ずと分かってきますね。そうです、「正解」です。

 …………便利ですね、「正解」ってワード。そりゃ抽象化・一般化して広く適用しようとしてるわけですから当たり前なんですけど。実はこれ、言い方を変えてるだけで、なつおり氏の記事で書かれていることと何も変わりません。

円香の『心をえぐるものは』隠していた感情を見られてしまうことなのでしょう。
                    (なつおり氏の記事より引用)

 このシーンの場合では「本心を見られる=Pに本心を当てられる=正解される」という言い換えです。なつおり氏と反対に【ギンコ・ビローバ】と結びつけて解釈する場合は「心をえぐるもの」=「Pが善人であること」としたのも、悪意よりも、善意からくる気遣いのほうがダメージが大きかったのではないかと。相手が善意だからこそ、怒っても怒りきれずに感情のやり場に困ったりすること、ありますよね。

 最後に、例の部分について少し考えていきましょう。

P「きれいな音じゃない」
円「きれいな音が出ない」

P「いつもとは違う」
円「違う違う違う」

P「だけど、この音だ」
円「この音じゃない」

P「とても荒くて、単純で、野性的で」
円「もっと精巧で、複雑で、繊細で」

P「豊かな音があるじゃないか」
円「透明な音じゃないと」

P「まるで」
円「もっと」

P「魂を削り出すように」
円「魂を削り出すように」

P「美しく」
円「美しく」

 ここで「大人と子供」の対比「分別」についての考察が重要になってきます。『uru uru』における円香の「世界にたった一つの正解」があるかのような発言や、Pが円香には「本当に美しいもの」が見えているのではないかと考えるシーンも重要ですね。
 ここを言い換えれば、「円香は分かりやすく『正解』と『間違い』を分けていて」「Pは簡単に『間違い』と切り捨てずに、一つではない『正解』を認めている」のです。

Pは「分別をつけるかつけないかの分別をつけることができる

 これは、円香GRADにおけるPのこの発言からも読み取ることができます。

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 Pは「正解は無いよ」と言い切ってしまえる人間、すなわち大人なのです。一方で円香は「たった一つの正解」を定めることで、脇目も振らずにそこへ向かっていく鋭さがありますが、それは危うさと隣り合わせということでもあるということなのです。
 「正解」について断言していて分かりやすい、説得力の補強になることなどからこのシーンを引用しましたが、『uru uru』での(正解があるかのように言うんだな 世界にたったひとつの正解が)という部分などからも十分読み取れること(カード単体でも完結している要素)ですね。 

 少し話は変わりますが、オルゴールのメタファーについても軽く触れておきましょう。

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 自分がここを見て真っ先に思いついた言葉は「調律」でした。壊れたオルゴールの中にもまだ「音を出す機能」(「音」の意味合いを少し広げて解釈した形です)は残っており、なおせば(直せば/治せば)また綺麗な音を響かせるでしょう。喉を壊した円香も同じです。
 Pは「壊れながらも正しい音へ手を伸ばそうとするその姿勢」にこそ、美しさを感じたのかな……と。円香は「正しく綺麗な音が出なければ意味はない」って感じでしょうけど。
 白背景に変わる演出とか、後のことは大体なつおり氏の記事を読めば分かる! 以上!

 ラスト、自分なりに簡単にまとめておいた図を置いておきます(全部拾うのはしんどいからこれくらいで許して)。

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(少し捕捉)

 円香の根幹に「正解」を求めるという精神があるとは言いましたが、必ずしも常に正解を選べるわけではありません。結局のところ、社会は複雑で「正解なんて無い」というPの言葉の方が正当性を持つのでしょう。

 例えば、「天塵」で透含めて番組を壊したことについてはどうでしょう。あれは「番組的/アイドル的には間違い」なのでしょうけど、シャニマスを通して描かれる価値観の中では「あの番組こそ違う」のではないかと。これは裏返せば、「(たった一つの)正解なんて無い」ということなんでしょう。

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 「正解な部分」にある「不正解な部分」も、「不正解な部分」にある「正解な部分」も認めるそのあり方……これを「清濁併せ呑む」という言葉で表現することにしたわけですね。

「何のために歌っているか」の答えがようやく出た

  皆様、円香のこの言葉を覚えていらっしゃるでしょうか。

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  感謝祭シナリオでの発言です。そして、この言葉に対して、多くの人はこう思ったはず。

「じゃあ、円香は何のために歌うの?」

 これに対する回答が、今回の【ピトス・エルピス】のコミュ(特にTRUE)なのではないか、ということです。

 既に書いた通りです。つまり、芸術の正解を引き出すため
 「オルゴール」と同じで、円香自身「楽曲の力を引き出して魅力的に発信する装置」という捉え方になるのでしょう。

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 よく考えれば、「誰かのために歌っていない」発言の前に、ここで普通に言ってたんですね。あの言葉のインパクトが強すぎて注意を向けていなかったのと、謙遜とかだと思っていたせいで、完全にスルーしてましたね......。

 さて、「正解」について考えると、「天塵」におけるこの発言についても理解が一気に深まるように思われます。

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 「正解」できたから満足、別にそれは人に見られても、見られなくてもいい。ゆえに「誰かのために歌っていない」……よし、繋がったな!

 「正解」した結果として人からの評価がついてくることは多いでしょうが、必ずしもそれは必要ではないのですねー。

 感謝祭の時点で書いてあるわけですから「いや、そんなこと感謝祭/GRAD読んだ時点で分かってたよ?」という人もいるかもしれませんね。自分は、今回でようやく点と点が結びついて線に、さらには網になったという感じです。あくまで自分の中での解釈にはなりますが、この点と点が繋がっていく感覚はやはり気持ちがいいものですね。

あとがき

 ダラダラと蛇足のおしゃべりでございます。

 実はまだ「さざなみはいつも凡庸な音がする」読めてないんですよね……。読もうと思ってたらnoteで記事が引用された通知が来まして、なんか書く気になっちゃって。投稿したら読む! 多分!
 でも今FGOで水着鯖が発表された! コルデーと沖田オルタはLV100にしてるくらいには好きだから死んじゃう。でも今日イベ読むんだ、絶対読むんだ。

 と、まあ結構疲れました。7時間ぶっ通しでPCに向かい、仮眠を取り、起きてまた記事を書いてと超特急で完成させたので。これでもうしばらく考察記事は書かなくていいな!
 自分は考察畑の人間じゃなくてですね、隅っこで二次創作小説書いてる人なのです……。ぼんやりと理解してることを言語化するのはなかなか大変ですし、脳が焼き切れるかと思ったよ。専門知識とかからアプローチする「深く深く」という方向性の考察はできませんし。
 あ、pixivで真面目に二次創作小説書いてるから、よければ見てね(隙あらば宣伝)最近忙しくて更新停滞してるけど。

 最後に、なつおり氏へ
 はじめにも述べたとおり、今回はなつおり氏の記事がなかったら書かなかったと思います。感謝するのはこちらの方です。




本当の最後に、こちらを御覧ください。





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ヒグティーーーーーーーーッ!!!!

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