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うたのシーソー 5通目

マイさんへ

こんにちは。伝書鳩でいる時間は、短くなりましたか。

白い羽根を散らして、キーボードの上をひたすら羽ばたく、マイさんの姿が浮かびます。じっと見ると、行き来するのは羽でもあり指でもあります。
わたしは人間の姿と伝書鳩を切り離せずに、どちらでもあるけれどどちらでもない姿として、マイさんのタイピングの音を聞いています。

終着が海であればとゆび食めば 川を流れる川を、流れる


電車、バス、何かの乗り物に乗れば、そこには終着があります。川はやがて海へ行きつきます。
ここでは、「終着が海であれば」と自らの指を口に入れることによって、川が流れだし、川を流れるのでしょう。


川を流れる。
その繰り返しの「川を、流れる」にある読点は、川を強調するようでも、「川を、(わたしが)流れる」とわたしが挿入されるようでもあります。口に出して読むと、いったん呼吸を止めて、躊躇っているようでもあります。


指を咥えた口内が川になり、躊躇いながら、たゆたいながら、その川を指が流れるような、それと同時にわたし自身の身体が大きな川を流れるような、どちらでもあるけれどどちらでもない姿が、ここでも思い浮かんでいます。
どちらでもないけれどどちらでもある姿、かもしれない。


身体があって終着があるはずなのに、気がつくと身体はかたちを結ばず、ただただ川を流れていました。
「共感」とは違うけれど共有するという点では似た、「川は海に行きつく」という共有認識がもとにあってこの短歌を読んでいたけれど、読み終えると、共有からははるか先へと流れているような気がするのです。

躊躇って舌へのせると雨が降るチーズの黴は青い断層


何かを躊躇って、躊躇ったそのものを舌へのせたら、雨が降るのを感じた、と読みました。黴に躊躇いながら、ブルーチーズを舌にのせる姿も浮かびます。


舌へのせると降る雨は、心象風景でしょうか。
その雨は青い色をしていて、ここでわたしは青い断層のふちに立っています。躊躇いながら舌に何かをのせるわたし、ブルーチーズをのせるわたし、そして青い断層に立つわたしが、二重三重に映し出されます。

マイさんの手紙の「日常と非日常を行き来する浮遊感」のことを思い出していました。

舌の上のせれば糖衣溶けだして不安の味は苦いこと知る
瓶底のジンを痺れた舌先へ滴らすうち迷い子になる
目薬が喉に届いて舌の上苦くなるのに似ています、空


マイさんの歌に出てくる「舌」が気になっています。舌を通して、それぞれ実感があるのに、どうしてだかふわっと浮かぶ感じがして。


また、何かに気がつくとき、何かを知るとき、「舌」がその起点をつかさどっているとしたら。舌を使わないと、どうなるのだろう、と思うこともあります。

本日も隣の人の独り言うなづきながら息を止めます


息を止めても、隣の人は気づきません。
わたしにしか分からない、わたしにしか影響しない、けれどわたしには作用する何かがあること。それは、果たしてわたしだけ、なのでしょうか。

そういう存在のようなものを最近は考えているような気がしています。「ようなもの」という言い切れなさを感じながら。

恋しさは目減りしていく淋しさは有耶無耶になる 春は平気です


この歌を読んだとき、びっくりしました。「春は平気です」に、空気のようなものが変わったのを感じたから。


「目減りしていく」「有耶無耶になる」が時間の経過を含むのに対し、「平気」と言う言葉はその時々をいう言葉だと思っています。
だから、「春は平気です」よりもずっと長い時間の「恋しさ」と「淋しさ」が目減りや有耶無耶になる前にあるように思います。


「恋しさ」や「淋しさ」が時間をかけて目減りし、有耶無耶になる。それを「春は平気です」が一瞬で吹き飛ばした、というのでしょうか。

これも共有認識だと思うのだけれど、「春」には「恋しさ」「淋しさ」が含まれているように感じるから、「春は平気です」のなかに、春だけでなく恋しさも淋しさも一緒に平気になる感じがあるのではと思っています。

マイさんからの手紙の「トモヨさんの歌に漂う寂しさのようなもの」について、何か返したいのだけれど、うまく言葉がでてきません。

そういえば、旅のあいだ、寂しくなるのは、知らない町を歩き回っている時でも、眠る前でもなく、早朝にコーヒーを飲んでいる時でした。
戻ってこれば朝は慌ただしく過ぎてゆくのに。


旅から帰ってきて三週間ほど経ちました。
旅のあいだ、これは日常ではない、期間限定だと思って過ごしていたのですが、今思うと旅の方が日常だったような気がしています。

この数週間をどのように過ごせばいいのかわたしは姿を決めきれず、わたしではないものを鏡に映しては、形を合わせていたように思います。


だからなのか、今のわたしは、春は平気なのか、平気ではないのか、分かりません。


けれど花は咲き、散り、別の花が咲き、気温はやわらぎ、春は春としてあります。
「春は平気です」は、わたしや誰かにとってではなく、春そのものなのかもしれませんね。


よく眠り、よく食べ、無理を重ねず、また会いましょう。

トモヨ

※引用した短歌の作者:中森舞

note: 椛沢知世

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