[引き寄せの法則]とか言われるけど、ただの脳の機能です。
大多数の人が見てる世界線では
[引き寄せの法則が使える]とか
[引き寄せ体質]とか言われると
なんとなく特別な事のように感じますよね。
欲しいと思ってたモノが手に入ったり
今の自分に必要な人に出会えたり
願った通りの現実を叶えたり。
でも、これってただ単純に、脳を適切に使ったから、結果的にそうなったってだけ
[引き寄せが起きるのは奇跡]ではなく
むしろそーゆー事が起きてない
ヒントに気付けてない状態は、脳本来の機能を活用してないってだけです。
ただ、ほとんどの現代人は、この[適切な脳の使い方]がわからなくなっている事がほとんどなので
もう少し柔和な言い回しで解説していこうと思います。
自分も含め、人は、0〜15歳ぐらいまでの環境で学習した生きる術を
優先的かつ自動的に再生するよう、脳に自動モードのプログラムが書き込まれます。
(思考パターンも行動パターンも)
その思い込みのオートプログラムが多いか少ないか
強く書き込まれているか、そうでもないか
真我とのギャップの有無と大小は、個人差が非常に大きい
育った環境に異常がある場合、例えば
●毒親育ち
●おかしな価値観の住民が多い地域育ち
●極度の貧困
などの場合
真我とはかなりズレた、偏りのある、洗脳に近い思い込みが、強固に書き込まれている事が多いです。
その結果、脳は書き込まれた
[真我とは違う思い込みのプログラム]
を実行するため、自動的に、真我からの発信をシャットアウト
真我が発する[理想の未来に必要な情報]を
[こいつの人生には必要のない情報]として切り捨てる
願望を叶えるために必要な情報を、顕在意識に上げなくなります
これが、俗に言うスコトーマ
脳が作り出す[盲点]です。
要は、自分軸(真我)に氣付かず、自動モードで生きていることで
本来必要な情報が見えなくなるような盲点が作られている
だから、本心の望む事とは違う現実が、自動的に引き寄せられてしまう
全然望んでいないのに。
なので、簡単に言うと、その盲点を出来るだけ外してさえいれば
●理想を叶えるための情報
●進みたい方向に必要な情報は
そこら辺にゴロゴロ転がっています。
真我で生きていない時は、情報に氣付いてないだけなんです。
真我とは、わかりやすい言い方をすると
[その人自身のオリジナルのプログラム]
逆に、エゴや自我と言われる自動モードは
[環境により身に付けた後付けのプログラム]
で、通常、後付けのプログラムは自動モードに設定されているので
意識せずとも、そのプログラムに則った発言や行動をしてしまう
オリジナルのプログラムが[こうしたい]と意思表示しても
その指示が後付けのプログラムと違う場合(そのケースがほとんど)
オリジナルの意思を自動で否定し、意識にもあげない
オリジナルの意思表示を見えなくしているのが、盲点です。
盲点がある時は、盲点があることにすら氣付かない
顕在意識に上がってこない
それが、[人は皆、見ている世界が違う]と言われる所以です。
あとは、試練的な現実は、氣付きや成長に必要な[学び]
氣付きのキッカケだから、あえて体験しているという場合もあり
一概に[真我で生きてないから引き寄せられていない]とは言えないのですが
思い通りの人生にならないーと嘆いてる人の多くは
オリジナルのプログラムがオートで否定されて見えなくなっている
真我迷子の盲点だらけで生きているケースがほとんどです。
それに、ある程度、真我に明るい生き方をしていると
何かしらアクシデントが起きると、もはや自動的に
[あ、これは何に氣付くためにクエストかな?]
てな思考が湧いてきます。
もはや[目に映る全ての事はメッセージ]
松任谷由実さんもびっくりの
[小さい頃だけじゃなく、今も神様と居て]
状態の氣付きのフィーバータイム
引き寄せ無双モードです。
かくいう自分も、まだ悟りの2丁目ら辺でうろついてるだけなので
手からビブーティを出したり
海を割ったりはできないし
全ての盲点が外れてるわけでも全くないですが
それでも、多少の盲点が外れてるだけでコレです。
仏陀レベルまで悟ったら、どうなっちゃうんでしょうかね。
自分がうろついてる悟りの1丁目2丁目界隈では、
神の奇跡や神通力みたいな事象を起こす事はできませんが
今まで繋がっていなかった[点と点]が線で繋がるような
よく分かってなかった事が、腑に落ちる感や
今まで気付けなかった事に自然と氣付ける
盲点が取れた感覚、ぐらいはあります。
これだけでも悩みは特にないですし
脳内も視界も今までよりクリア、格段に生きやすくなっています。
[神の奇跡]的な事を起こしたい人は、他を当たって頂いた方が良いですが
1丁目ぐらいには来てみたい、と思われたら、ライン公式アカウントまでどうぞ。
(でも、自分ものこ2丁目界隈で止まっていようとは思ってないし、死ぬまで成長する予定です)