進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#6~北海道5日旅:2日目(1)【旭川→北見】
昨日は道北の旅で稚内まで往復したが、今日明日は道東に向かう。旭川から網走、釧路、根室、帯広と回って、明日夜には旭川の同じホテルに舞い戻ってくるので、キャリーケースをフロントに預けて、ポチポチと駅に向かう。
2022年9月7日(水)旭川発網走行き特急『オホーツク1号』は8時35分発、まず朝食を駅そばで済ませる。駅には7時半に着いたが、そば屋はまだ開いていなかったので、駅裏の河川公園を少々散策する。今日は気持ちのいい秋晴れで、緑に覆われた朝の忠別川のせせらぎが一際清涼に響く。
8時になると同時に「幌加内そば」の幟がはためく立ち食いそば店に飛び込む。幌加内地方はそばの作付け面積日本一で、音威子府のやや濃い味(食べてないが)に比べてあっさり風味が特徴とのこと。実際に食するとなるほど少し時間を置いてからゆったりと味が染み渡る感がする。北海道では朝はもう寒さを感じる時期なので、体が温まるのが嬉しい。
ホームに上がり特急の入線を待つ。ちょうど通学時間帯なので、隣のホームに発着する普通列車から沢山の高校生が乗り降りしているが、平日の朝にリュックを背負って特急を待っている私は彼らの目にどう映っているのだろうと思う。
やがて特急が大きなエンジン音を響かせて入ってきた。長年北海道を走り続けて来年春に役目を終えるキハ183系で、引退フィーバーが起きているらしい。私以外にもカメラを構えている輩が沢山いて、若干の気恥ずかしさを感じるが、記録より記憶と割り切れる程に人間が出来てもいないので、やはり撮影はしておく。
発車時間が近づいてきたので車内に入る。私はこの形式の目玉である通称「かぶりつきシート」、つまり前面展望が広がる指定席を確保したはずだったのだが、何たることか、購入した左側の「D席」ではなく、反対右側の「A席」「B席」が展望席だったのである。きちんと調べたはずなのに何を勘違いしていたのだろうか。
またしても後悔の念を深く抱えた私を載せた『オホーツク1号』は定時に旭川を出発した。私の座ったD席は窓側ではあるが、眼前には運転席との間を隔てる壁がどうしようもなく存在していて、前面展望要素ゼロかつ空間狭小という始末である。一方、私が座るはずだったA席では、大きな一眼レフを持った如何にも風体な男性が撮影活動に忙しい。窓枠にはわざわざJRが貼ったであろう「かぶりつきシート」のシールが見えた。
新旭川から宗谷本線と分かれて、いよいよ石北本線に入る。将軍山、伊香牛という不思議な名前の駅を過ぎるあたりまで田園風景が続く。大きな窓から見える大雪山はさすがに綺麗だと感嘆していたが、地図で確認したら大雪山は進行方向右側、つまり反対側であった。どうもうまくいかない。
朝は肌寒かったのに、窓際で陽もあたるせいか少し汗ばんできた頃、最初の停車駅上川に到着した。すると暫くして北海道新聞を手にした年輩の男性客が例のかぶりつきシートにやってきて、一眼レフ氏を見下ろしながら「貴方はここの席ではない。去りなさい!」と戯曲に出てくるような口調で厳然と命令した。氏は慌てて荷物をまとめて私の隣席に移動してきて、気まずそうに無言でスマホを触りだした。何のことはない、氏もかぶりつきシート客ではなかったのである。
そんな車内の小さな出来事は知ってか知らずか、オールドタイマーな特急はブルブルと音を立ててひたすら北海道の屋根をよじ登っていく。列車交換のための信号所をいくつか過ぎて、登り体力も尽き果てそうになったあたりで石狩と北見の分水嶺を貫く長大な石北トンネルに入る。やがて下り勾配になってトンネルを出ると奥白滝信号所を通過し、田舎街とも森林とも付かぬ長い白滝地区を延々と走っていく。
私の持っている鉄道地図帳によると、石北トンネルを抜けた後は、奥白滝信号所、上白滝駅、白滝駅、旧白滝駅、下白滝駅、丸瀬布駅と続いている。ところが今の時刻表では上川→白滝→丸瀬布となっており、これはつまり白滝駅以外は悉く廃止されたことを意味する。2001年までは駅だった奥白滝信号所を含めると6つもあった白滝地区の駅が今は一つになってしまったということで、旅客の減少を感じるとともに、白滝という地区のとんでもない広大さもまた実感する。ちなみに旧白滝駅は白滝駅の跡ではなく別の駅であったというからややこしい。
唯一の生き残り白滝駅に僅かの時間停車し、更に残りの白滝地区を黙々と駆け抜けて、10時12分丸瀬布着。丸瀬布はかつて国鉄から枝分かれする大規模な森林鉄道があった場所で、今は森林公園で保存車両の公開やSL運転を行っているらしいが、石北本線での下車は北見だけなので当然見送らざるを得ない。
やがてぽつりぽつりと街並みが拓けてきて、10時28分に道東の主要都市である遠軽に到着した。出発時刻は10時42分で、この4分間で進行方向が逆になる。遠軽からオホーツク海までは30キロ程度で、昔は名寄から海沿いにぐるりと回り込んできた名寄本線が北東から遠軽に入ってきていたのだが、これも廃線になってしまい、遠軽駅は単独のスイッチバック駅になったという経緯である。
一眼レフ氏を始めとして多くの撮影者が車内を行ったり来たりしていて慌ただしい。僅かの停車時間にも関わらずホームに出ている猛者もいるが、私は臆病者なので着席したままである。すると隣席に戻ってきた一眼レフ氏から「席反対に向けましょうか?」と初めて話しかけられた。進行方向が逆になるのだからその提案も当然のことで私は即座に同意し、ギシギシ音のする昭和テイストのシートを二人で反転させて再度着席した。やがて特急は少しだけ心の通った中年2人を載せて、そろりと北見方面に向け再び走り出した。
遠軽を出ると生田原、玉ねぎで有名な留辺蘂と向け特急は進んでいく。生田原を過ぎてから通過する常紋トンネルはネット検索すると「人柱、心霊、白骨、タコ部屋」とかいう言葉が出てくる恐ろし気な場所で、建設当時に劣悪な労働環境下で亡くなった人が工事現場に埋められたなどという話が伝わっている。トンネルを出たところにあるスイッチバック式の常紋信号所跡と慰霊碑を見ようと目を凝らしてみたが、生い茂る草木ではっきりと確認することができなかった。
そうこうしているうちに定刻11時27分に列車は北見に到着し、『オホーツク1号』の3時間の旅は終わった。一眼レフ氏は終点網走まで乗っていくようである。
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