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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#45~多事多端の北東北函館旅:3日目(3)【青森→三厩→奥津軽いまべつ→盛岡】

 2024年11月16日(土)、新青森駅から乗った特急『スーパーつがる1号』(新青森~青森間は普通列車扱い)は僅か6分後の15時20分に青森駅に着いた。往時の青函連絡船の栄華を偲ぶ構内探索をしたいところだが時間がない。11分後に発車する津軽線のホームへ向かう階段を上っていると「函館本線の復旧のめどは立っておりません」と何度も繰り返されるアナウンスが耳に入る。

 自分では如何ともし難い諸問題は一旦脇に置いておいて、まずは未乗路線である津軽線に集中することとする。津軽線は青森駅から津軽半島北部の三厩駅までの約55キロを結ぶローカル線だが、蟹田駅の先の中小国駅のそのまた先の新中小国信号場から津軽海峡線が分岐していて、かつては青函特急や寝台列車が走る主要路線であった。しかし北海道新幹線の開業で在来線特急は姿を消し、更に二年前の大雨で線路がズタズタになり、今は蟹田から先は代行バスと乗合タクシーしか走っていない。
 鉄路の復旧に向けての協議は紆余曲折があったようだが、結局再び列車が走ることがないまま、蟹田駅から終点の三厩駅までの区間の2027年春正式廃線が決定したとのこと。

 私は北海道新幹線開業前の2000年に寝台特急で青函トンネルをくぐっているので、青森~蟹田~中小国間は既乗、中小国~三厩間が未乗となる訳だが、その未乗区間を鉄道で行くことはもう出来ない。それでは乗りつぶしにならないのではないかと言われそうだが、JR認定の「代行バス」に乗れば、路線としては乗ったことにするマイルールを適用しているのである。

 少し説明が長くなったが、蟹田までの津軽線は淡々としたものであった。既乗区間とはいえ前回は真夜中に通ったので、新たな発見があろうと思っていたのだが、青森駅を出てすぐに見えた車両基地跡の巨大な空地は印象的だった以外はさしたる感慨も湧かず、そこそこの乗客を載せた2両編成の701系電車は時々海岸線に寄り添いながら北上していく。もっともこれは津軽線のせいというより、私の注意がすっかり函館本線脱線事故の方に向いていたからかもしれない。
 蟹田までは10駅約40分の旅である。ローカル線ぽい風情はあまりなく、さりとて都会でもないよく似た感じの駅に丁寧に発着を繰り返しているうちに乗客は減っていく。平日の朝夕は通勤通学でそれなりの需要があるのだろうが、蟹田まででこういう調子では被災区間の廃線もやむを得ないのだろう。

 16時8分蟹田駅着、レールはまだ先に延びているが列車はここで終わる。上下共に待避線を有し、別に留置線も有する比較的大きい規模の駅で、新らしめの木造テイストの駅舎内には今や稀少になりつつあるみどりの窓口もあった。駅前広場には「津軽線列車代行様」という案内を掲げたバスが既に止まっていて、7~8人の客が列車から代行バスに乗り継いだようである。案の定リュックをもった男性が多く、やはり鉄道ファンだけなのかと思う。
 既に夕陽がその力をほぼ失いかけている薄暗い空のもと、16時20分に代行バスは蟹田駅前を発車した。一つ先の中小国駅前に着いた頃にはもう真っ暗となり、鉄道にも乗れず真っ暗な中をバスに乗るだけという未乗区間の旅に成り果てる。
 バスは途中で津軽線の踏切を数か所渡る。何とか目を凝らしてみると線路には草木が生い茂り、踏切設備の錆もひどい。廃線あるいは廃線予備軍に典型的な風景で物悲しくなる。

 半時間ほど走ったバスは新幹線の奥津軽いまべつ駅前に着く。周囲が真っ暗な中に忽然と出現する新幹線駅はあまりにも眩く光っていた。ここで半分ほどの客が降り、車内に残ったのは私を含めて4名となる。なおも真っ暗な道を進んだバスは今別駅前で2人の客を降ろし、ついにバスには私と若い女性の2人だけとなった。みんな三厩駅までいく鉄道ファンだろうと思っていたのだが、どうやら間違いだったようである。
 17時14分にバスは津軽線終着の三厩駅前に着いた。たった一人の同輩女性と2人で最果ての駅舎探検かと少し身構えたが、降りたのは私だけで、どうやら女性は終点の「三厩体育館前」まで乗る地元民であったようだ。
 
 何もないとは聞いていたが本当に何もない。元々街の中心地から少し離れていて淋しかったのが、鉄道が来なくなって増々存在感のない場所になったようである。バスが行ってしまうと文字通りの漆黒と静寂に完全に支配される。駅舎だけは照明がついているがいるが、それ以外は街灯ひとつない。駅前広場から駅舎の反対側に目を凝らすと、暗闇の中にうっすらと津軽半島の観光案内看板が見えた。
 ここで野犬かクマに襲われてもしばらく見つけてもらえないだろうなと思いつつ、唯一の発光源である駅舎に入る。建物自体は50年以上前のものらしいが、看板や屋根などは綺麗にリニューアルされていて、過剰なほどの明るい照明に照らされた『津軽半島最北端の駅 三厩』という看板には堂々たる風格が漂っていた。当然駅員も客もいない待合室はゴミが散乱しているというようなこともなく、閉ざされた切符売り場、地元の観光案内、自治体や警察のお知らせポスター、とありがちな光景をカメラに収める。

 駅舎はバスのために開かれていても列車の来ないホームには行けんわなと思い改札口に繋がるドアを引くと鍵は掛かっていなかった。ホーム上はこれまた真っ暗で、ホームの先端や駅名票を近代テクノロジーを駆使して写真に撮る。肉眼では殆ど何も見えないのに写真では見えるというのはどういうことかとも思いながら、津軽線終点のエンドレールを探してみるが、さすがにこれを視認することは出来なかった。

 もう列車が来ない北の果ての終着駅にただひとり、というこれ以上ないシチュエーションに満足して、帰りのバスを待つ。待ち時間でJR北海道のHPを確認すると「少なくとも明日明後日は函館本線運休」の情報がアップデートされていた。さぁどないすんねんと再び脳内が混乱し始めた頃にヘッドライトを煌々と照らしながら代行バスが少し早着でやってきた。バス客はもちろん私一人で、運転手さんがドアを閉めた途端にスマホが手元にないことに気付く。ドアを開けてもらって慌てて駅待合室に戻ると、スマホがベンチの上に置かれたままであった。この最果ての駅にスマホを置いたままだと、盛岡の土産物紛失の比ではない惨劇になるところであった。

 三厩駅からの帰路は途中の奥津軽いまべつ駅前でバスを降り、新幹線で盛岡まで戻る。眩く光る新幹線駅は変わらずに津軽の大地にそびえ立っていた。一日の乗降客数は30人程度という「新幹線秘境駅」で、旅客のためというより青函トンネルの保守と緊急対応用に存在しているような駅である。
 新幹線乗車まで1時間程あるので、駅周辺を徘徊するが見事なくらい誰もいない。既に列車が来ることがない津軽線の津軽二股駅が新幹線高架下にあり、その横に道の駅があるが入ってみると終業10分前で、弁当かサンドイッチでもないかと店内を回ってみるが何もなく、りんごジュースとマドレーヌを買った。

 誰もいない待合室でマドレーヌを食べ、ホームに降りてみても無人状態は継続されている。発車10分前に駅員さんが現れ、東京行き新幹線の案内放送を始めるが、その放送は発車の瞬間まで私専用であった。
 19時27分に『はやぶさ48号』東京行きは廃駅のような静けさに包まれた奥津軽いまべつ駅を出発した。私の乗った車両は貸切状態だったが、新青森駅からは客がどっと乗り込み車内は賑やかになる。思えば3時過ぎの青森駅以来の喧騒であった。
 
 新幹線の車内で一息ついた時にメール着信があり、見てみるとJR東日本忘れ物窓口からの「お探しの荷物はありません」との返事であった。盛岡駅に20時45分に着いて、今度は『はやぶさ』と『こまち』の連結風景を見た後で、改札前の「盛岡駅お忘れ物センター」に行ってみるが、営業時間は19時まででどうしようもない。予定を変更して明日朝9時のセンターオープンに行ってみようかと思うが、もう見つかる可能性は低いに違いない。

 とりあえずホテルに腰を落ち着けて、今や最優先課題に昇格した函館本線対応をしようと決意する。ホテルまで歩く途中でIGRの改札前を通ったので、駅員さんに「今日昼頃に花輪線で着いた列車に忘れ物したんですけど……」とダメ元で切り出してみると、「あ、レジ袋に入った東北のお土産ですよね」という答えが一瞬で返ってきた。何のことはない、JRとのやりとりは全て無駄で、置き忘れ直後に駅を管轄するIGRが保管してくれていたのであった。

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