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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#40~多事多端の北東北函館旅:1日目【横浜→宇都宮→日光→宇都宮】

 2024年11月14日(木)11時半、横浜の空は青く晴れ渡り、街は祝福の青色に染まっている、というのはかなり盛ってしまったが、少なくとも天気は晴朗、横浜駅コンコースには「横浜日本一」のポスターが溢れていて、清々しくも気持ちが良い。
 ポチポチとやってきたJR乗りつぶしの旅も進んできて、あとは東日本を2回旅すればほぼ完了である。今回は年3回発売される特急乗り放題の秘密兵器「大人の休日倶楽部パス」で北東北と函館まわりを行くのだが、ここに至るまでの経過が一筋縄ではいかぬ。

 当初は9月下旬に旅をすることとしていたのだが、まず8月13日に三陸鉄道が台風被害で道床が流されて一部区間が運休となってしまう。しかし三陸鉄道はJRではないし、既乗区間でもあるので、代行バスに乗ることとして、計画はほぼ予定通りとしていた。
 ところが更なる悲報が入る。台風に引き続いて東北を襲った豪雨災害により、今度は盛岡~宮古間のJR山田線が運休となってしまった。一部区間は早期に復旧するとのことであったが、私にとっては全区間を乗れないと意味がない。全線を走るのは1日4本しかない超閑散路線で、今回計画の柱でもあったのに何ということだろうと頭を抱えたが、いくら頭を抱えたとて列車は走ってくれない。盛岡から山田線で宮古へ、そこから三陸鉄道で久慈へ向かい、さらに八戸線で北上するというプランだったのが、山田線も三陸鉄道も代行バスということになった。
 いろいろ上手くいかんわいとテンションが下がったまま出発日が近づいてきた頃、唐突に「大人の休日倶楽部パス」が11月にも追加発売されるという情報が入り、追って山田線の運行再開予定が11月中旬というプレスリリースが出た。そうなると何も9月に無理矢理行く必要はないと思い直し、山田線の再開が間に合うかは微妙なものの、一縷の望みを託して出発日を11月14日に変更したのであった。
 しかし、結局三陸鉄道はまさに私の出発日に復旧したものの、山田線の運行再開は12月にずれ込んでしまい、代行バスがひとつ減っただけであった。

 そうこうしているうちに乗りつぶしとは何の関係もないが、私の応援する横浜DeNAベイスターズが狂い咲きの強さを発揮して26年ぶりの日本一になってしまった。シーズンは3位ながら現行ルール上ではれっきとした日本一であり、ほぼ生まれた頃からのベイスターズファン(大洋ファン?)の私のテンションは山田線に乗れないことを補ってなお余りあるレベルまで上がった。
 優勝が決まったのは11月3日で、14日に関東にやって来るのは全くの僥倖としか言いようがない。東京からまっすぐ東北新幹線という予定を無理矢理ひねくりまわして、私は優勝の余韻がまだあるであろう横浜の街を半日徘徊することとした。

 こういう長い事前経過があって、私は横浜にいる。ベイスターズについて記すのは本稿の趣旨ではないので別の機会に譲るが、横浜駅やスタジアム周辺、みなとみらいなどの各所に日本一ポスターなどがあって、本当に優勝したんだなぁとしみじみ感じた。そしてスタジアムで日本一記念グッズをかなり大量に買って、旅のスタートからショルダーバッグが尋常ではない重さになってしまう。

 鉄道旅に話を戻す。徘徊途中の関内駅の指定券券売機で「大人の休日倶楽部パス」の切符発券をしようとするが、「定時メンテナンス中です。しばらくお待ちください」の表示に拒まれる。機械の前をウロウロしてしばらく待つが中々埒があかぬ。仕方なくインタホンで訊いてみると、あと20分くらい待てとのこと。ちょっとカチンときたので、それでは列車に間に合わぬではないかと文句を言うと、「有人のみどりの窓口でも発券できますよ」との回答。それを先に言えと内心で激怒する。
 関内駅には窓口があってたまたま空いていたので、私は結果的にはさほど時間を要さずに発券できたのだが、窓口がない駅だったらどうしようもないことになる。有人窓口をどんどん減らして券売機に誘導ばかりしているが、定時メンテナンスを真昼間に設定して発券を妨害するとは一体どういう了見なのかと思った。

 さてグッズで重くなったバッグを肩に食い込ませながら、ようやく鉄道旅を始めることとする。横浜駅15時12分発の上野東京ラインで東京へ向かうが、いきなり人身事故によるダイヤ乱れの洗礼を受け、東京駅着は10分ほど遅れる。関内駅での発券トラブルに続き、どうも初めからいろいろと起こる旅であるが、実はこれくらいのことは小事に過ぎなかったことが後々分かってくる。

 22分あるはずだった乗り継ぎ時間が10分少しになったので、ごった返す東京駅構内を足早に移動し新幹線ホームに向かう。東海道新幹線には嫌というほど乗っているが、東北新幹線はというと数えるほどで、福島以北は北海道新幹線も含めて未乗である。福島から新函館北斗までは600キロ近くあり、未乗路線中最大の大物になる訳だが、まずは表敬訪問的に宇都宮まで自由席に乗り込む。
 16時ちょうどに新庄行きの『つばさ』を併結した東北新幹線『やまびこ145号』は東京駅を発車した。横浜を相当歩きまわっって既に疲れているので、ガラガラの自由席は都合がよく、3席分を占領して、荷物の整理やら水分補給などをこなしているとあっという間に宇都宮に着いた。到着は16時48分、上野東京ラインだと2時間弱かかるので、やはりそこは新幹線の威力である。 

 既に宇都宮の街は夜の帳に包まれていた。元々は明るいうちに日光線と烏山線に乗るはずだったのだが、余計な横浜徘徊を入れたので夜になってしまい、しかも今日は日光線だけで時間切れである。自分で好き勝手しているので誰に文句をいう訳にもいかない。マイルールではなるべく明るいうちに乗ることとしているのだが、今回は26年振りの日本一に免じて日光線には許してもらおうと思う。

 宇都宮駅の端っこにある日光線ホームは世界遺産風味というか皇室風味というか、ダークブラウンのトーンで統一された重厚なデザインである。もっともその茶色は妙にテカテカしていて、最近レトロ調に改装したんだなと分かる。駅名票や「待合室」の表示も毛筆体っぽいフォントのどれも「インバウンド対応で和風にしてみました」感が拭えない。
 肝心の車両は小綺麗なE130系の4両編成でローカル感は全くない。おまけに平日夕刻ということで高校生で超満員、景色も見えず、席にも座れず、で増々疲れが増す。

 ダークブラウン満載のホームを17時16分に滑り出た列車は長い駅間をかなりの速度で走っていく。途中の主要駅である鹿沼で高校生軍団が降りて座れると踏んでいたのだが、さほどの降車はなく、疲れは究極まで高まる。
 結局高校生軍団がどっと降りたのは17時51分着の今市駅であった。やっと座れた席から車内を見渡してみると、地元客と最近はどこでもお馴染みの訪日外国人らしき客がちらほらという閑散振りである。先程までの混雑が嘘のようで、やっとローカル線ぽくなってきたなと思ったが、今市駅の次はもう終点の日光である。

 17時58分日光駅到着。東武特急で来た時にわざわざJR駅舎だけ見に来た記憶があるが、今日はちゃんと未乗区間を制覇した。かつて東京からの長大編成の直通列車が発着したであろう長いホームが僅かな照明に浮かび上がっている。日光への観光輸送は東武の独り勝ちでJRはほぼ通勤通学等の生活路線になっているようだが、駅舎とホームにはさすがの貫禄が漂っている。改札横には大正天皇が休憩に使われたという貴賓室があり、駅舎2階には一等旅客専用の待合室「ホワイトルーム」なる部屋が今も保存されている。
 大正元年に建築されたネオルネサンス様式の駅舎は月灯りとライトアップの照明で美しく浮かび上がっていた。しとしとと降る小雨が照明を一層引き立たせているように見えた。

 駅舎を十分に堪能し、往路と同じ車両で18時19分に日光駅を後にする。復路は今市でも鹿沼でもあまり乗車客はおらず、適度な混み具合のまま、19時2分に私は再び宇都宮駅のホームに降り立った。
 ホテルは歩いて行けない距離ではないが、雨が厳しくなってきたので、最新鋭の宇都宮ライトレールに二駅だけ乗り、途中で宇都宮餃子とラーメンを食して、8時過ぎにホテルに辿り着いた。ベッドに重いバッグを放り出した私は、果たしてあと4日もこいつを抱えて旅が出来るのだろうかと少しく不安になった。

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